社会を恨んでいる暇はないでしょ
有名人が「実は、私、発達障害でして…」と告白すると、「よく言ってくれた」「勇気づけられた」「私達の代弁者だ」なんて声が上がります。
でも、この人が告白しても、変わるのはこの人の仕事だけ。
この有名人には、今までとは違って発達障害関係のお仕事が増えるでしょうが、告白を称賛している人たちに仕事が舞い降りてくるわけではありませんね。
棚ぼたも、人を選びますから。
もし称賛したいのでしたら、その有名人の生き方ではないでしょうか。
どういう家庭で育ち、どのように学び、職を得、そしてその仕事を続けられているのか。
こういった生き方に、自分の人生をより良くするためのヒントがあるように感じます。
有名人が告白するかどうかより、自分の人生の方が大事ですよね。
私も、この仕事を続けていると、いろんな人にお会いしますが、どうも「自分の人生を一番に考えていないんじゃないの、この人」って方を見かけますね。
壇上に上がり、ずっと自分の苦しみ、社会の理解を訴える。
でも、その人は感覚過敏に苦しんでいる、二次障害に苦しんでいる。
「いやいや、社会に訴える前に、症状と病気、治しなよ」って、声には出さないが、聴衆の心の中でツッコミの嵐が起きる人。
社会を変えるより、自分の生活を変えなきゃねって感じ。
こういう人達を見ると、「責任転嫁したいだけじゃないの」って思ってしまいます。
無駄に敵を作り、社会を恨む。
私も実際、このような人に支援で関わることがありますが、はっきり言いますよ。
「社会を恨むのは、時間の無駄」
「社会を恨んでも、社会から理解を得られても、努力しない者は受け入れられないし、スキルがない者は仕事が得られないのは変わらない」
「社会は怖いところではなく、頑張る人に優しいところ」
結局、こういう人って、どうしたら良いか分からなくて迷っている人達。
だから、自分以外の“敵”が必要なんですね。
だから、有名人が障害を告白するのを見て、「自分以外にも苦しんでいる人がいることを知って安心したい」→「いじめとか、苦労話を聞きたい」→「社会の理解ガーってやってほしい」という感じに、「自分は悪くないんだ、仕方がないんだ。だって、〇〇が悪いから」と思いたいだけなのでしょう。
本当に、自分の人生を第一に考え、幸せになろうと思うのなら、社会を恨んでいる暇はないし、告白した有名人の生き方に注目するはずですね。
どうしたら良いか分からなくて迷っている人達に必要なのは、妄想の否定と、今日からできる具体的な方法です。
決して、彼らの好き放題、苦しみの垂れ流しができる場の提供ではないんです。
そして、自分以外の誰かが社会を恨むような言動をしているのを見て、ほっとしたり、「よく言ってくれた」と喜んだりするのは、「健全ではない」とはっきり伝えることが大事だと思うのです。
その心持ち、思考こそ、病であり、治すべき対象だと言うべきだと思うのです。
「苦しんでいる人達、少数派の人達が声を上げることで、社会を変えていく」なんて言われますが、私はそのようには思いません。
だって、昨日のNHKの特集を見て、一般の人は心を動かされたでしょうか。
社会を変える力を持つ人達、社会を変えていく人達というのは、苦しんでいる人ではなくて、苦しみを乗り越えた人だと私は思います。
乗り越えていない人、「まず自分自身が乗り越えてよ」と思われる人のメッセージは、人々の心を動かしませんし、社会を変えることはできません。
私は、いつまで苦しみの垂れ流しをお膳立てするんだろうと思うのです。
そんなことばかりしていたら、ますます一般の人達と心が離れていくばかり。
幸せになった人、克服できた人、治った人、そんな人のメッセージこそ、あとに続く者たちの希望となり、社会を変える道を照らすことになる。
だからこそ、自分の生活、人生、幸せを第一に考えないといけませんね。
どうも陰気くさい番組は嫌ですね。
まあ、本も、講演会も、人も、ですが。
お店も、照明が暗いお店を増やすより、どんなお店でも買い物ができるように治す方が、何倍も、何十倍も、ショッピングが楽しめると思いますがね。
でも、この人が告白しても、変わるのはこの人の仕事だけ。
この有名人には、今までとは違って発達障害関係のお仕事が増えるでしょうが、告白を称賛している人たちに仕事が舞い降りてくるわけではありませんね。
棚ぼたも、人を選びますから。
もし称賛したいのでしたら、その有名人の生き方ではないでしょうか。
どういう家庭で育ち、どのように学び、職を得、そしてその仕事を続けられているのか。
こういった生き方に、自分の人生をより良くするためのヒントがあるように感じます。
有名人が告白するかどうかより、自分の人生の方が大事ですよね。
私も、この仕事を続けていると、いろんな人にお会いしますが、どうも「自分の人生を一番に考えていないんじゃないの、この人」って方を見かけますね。
壇上に上がり、ずっと自分の苦しみ、社会の理解を訴える。
でも、その人は感覚過敏に苦しんでいる、二次障害に苦しんでいる。
「いやいや、社会に訴える前に、症状と病気、治しなよ」って、声には出さないが、聴衆の心の中でツッコミの嵐が起きる人。
社会を変えるより、自分の生活を変えなきゃねって感じ。
こういう人達を見ると、「責任転嫁したいだけじゃないの」って思ってしまいます。
無駄に敵を作り、社会を恨む。
私も実際、このような人に支援で関わることがありますが、はっきり言いますよ。
「社会を恨むのは、時間の無駄」
「社会を恨んでも、社会から理解を得られても、努力しない者は受け入れられないし、スキルがない者は仕事が得られないのは変わらない」
「社会は怖いところではなく、頑張る人に優しいところ」
結局、こういう人って、どうしたら良いか分からなくて迷っている人達。
だから、自分以外の“敵”が必要なんですね。
だから、有名人が障害を告白するのを見て、「自分以外にも苦しんでいる人がいることを知って安心したい」→「いじめとか、苦労話を聞きたい」→「社会の理解ガーってやってほしい」という感じに、「自分は悪くないんだ、仕方がないんだ。だって、〇〇が悪いから」と思いたいだけなのでしょう。
本当に、自分の人生を第一に考え、幸せになろうと思うのなら、社会を恨んでいる暇はないし、告白した有名人の生き方に注目するはずですね。
どうしたら良いか分からなくて迷っている人達に必要なのは、妄想の否定と、今日からできる具体的な方法です。
決して、彼らの好き放題、苦しみの垂れ流しができる場の提供ではないんです。
そして、自分以外の誰かが社会を恨むような言動をしているのを見て、ほっとしたり、「よく言ってくれた」と喜んだりするのは、「健全ではない」とはっきり伝えることが大事だと思うのです。
その心持ち、思考こそ、病であり、治すべき対象だと言うべきだと思うのです。
「苦しんでいる人達、少数派の人達が声を上げることで、社会を変えていく」なんて言われますが、私はそのようには思いません。
だって、昨日のNHKの特集を見て、一般の人は心を動かされたでしょうか。
社会を変える力を持つ人達、社会を変えていく人達というのは、苦しんでいる人ではなくて、苦しみを乗り越えた人だと私は思います。
乗り越えていない人、「まず自分自身が乗り越えてよ」と思われる人のメッセージは、人々の心を動かしませんし、社会を変えることはできません。
私は、いつまで苦しみの垂れ流しをお膳立てするんだろうと思うのです。
そんなことばかりしていたら、ますます一般の人達と心が離れていくばかり。
幸せになった人、克服できた人、治った人、そんな人のメッセージこそ、あとに続く者たちの希望となり、社会を変える道を照らすことになる。
だからこそ、自分の生活、人生、幸せを第一に考えないといけませんね。
どうも陰気くさい番組は嫌ですね。
まあ、本も、講演会も、人も、ですが。
お店も、照明が暗いお店を増やすより、どんなお店でも買い物ができるように治す方が、何倍も、何十倍も、ショッピングが楽しめると思いますがね。
コメント
コメントを投稿