【No.1483】発達援助の「手段」と「目的」
環境調整とは、「本人の内側にある生きづらさ、困難を弛める方法の一つ」だと思います。
聴覚過敏がある子に静かな環境を用意する。
視覚過敏がある子に暗い場所を用意したり、掲示物等、視覚に入る情報を減らしたりする。
感情コントロールが難しい子に、落ち着くための個室を用意する。
こういった場所や空間の確保、調整のほかには、イヤーマフやサングラス、タブレット型のデジタル教科書などの利用と、見通しが持ちやすいように写真や文字でスケジュールを提示したり、音声言語の代替手段としてのコミュニケーションカードの使用したりといった補助的な支援も含まれると思います。
当然、「場所や空間の確保、調整」は周りの協力が必要ですし、負担も大きくなります。
そのため、必ず要望が通るわけでもありません。
それこそ、その場を共有する人たちとの合意や妥協といった調整が必要になります。
ですから学校など多くの人と共有する場所では、個人の範囲で行われる環境調整、つまりイヤーマフをつけるとか、デジタル教科書を使うとかが好まれます。
支援グッズにしてもその子がコントロールできる範囲での使用になるので同様です。
社会の理解を求める人たちから言えば、自閉症や発達障害の人達の生きづらさを軽減する配慮は「社会が叶えるべき当然の配慮」ということになるでしょう。
しかし社会はマイノリティの人達だけのものでもなく、昨今問題となっている過剰な配慮が逆差別、ほかの人の不利益に繋がっていることもあります。
少数派だから配慮されるべきなのではなく、共有する人たちでお互いが心地よくなるような、それぞれの自由を侵害しない範囲での前向きな合意形成が重要なのです。
「学校が悪い」「社会のシステムが悪い」と主張する人に限って、現実で関わる先生の気持ち、同級生の気持ち、日々顔を合わせる人たちの気持ち、そんな身近な社会の一員としての自然な気持ちを大切できていないと感じます。
18歳の壁を作っているのは社会ではなく、あなたかもしれない。
自閉症の人達に多く見られる感覚面の不具合、体調、自律神経の課題。
そういった生きづらさを弛める方法、養生と育てるための身体アプローチがあります。
たとえば過敏性が弛むこと、改善することで、教室という環境の調整が必要だったものが、個人の範囲で行える配慮で済むようになった。
イヤーマフが必要だったものが、耳を育てるアプローチを行った結果、必要なくなり、授業に集中できるようになった。
個人の身体に余裕を生む養生。
発達のヌケや遅れを育て治す身体アプローチ。
個人の力の向上、成長と発達を促すことで、できるだけ配慮を求める必要がない状態を目指していくのです。
「ひとはだれでも他人の助け、支援を受けて生きている」
「だから支援を受けることはダメなことではない」
もちろん、自給自足している人以外はそれが当てはまるでしょう。
しかし個人の気持ち、尊厳、そして自由が考慮されているのか。
多くの当事者の人達と関わってきましたが、「できるだけ支援や配慮を受けて生きていきたい」というような人はいません。
どんなに深刻で辛い状況だとしても、「いつかは支援を必要することなく、自分の力で働き、自立した生活を歩んでいきたい」
みなさん、そうおっしゃいます。
施設で重度、最重度という知的障害を持った子でも、手助けしすぎると怒って拒否することは日常茶飯事でした。
たとえ1歳くらいの認知機能だったとしても、彼らにも「自分のことは自分でやりたい」「他人からその権利を侵害されたくない」という想いがあるのです。
どんな赤ちゃんでも自分で環境を動かせたことに気が付くと、パッと笑顔になるというのは、ヒトがもつ根源的な喜びの一つなんだと思います。
援助者とは、彼らの、一人ひとりが持つ自立と自由への想いを叶えるための援助をする者だと考えています。
発達のヌケや遅れを育て直すのも、身体を整えるのも、その前準備です。
大事なのは脳や身体が準備できたあと、どういった刺激や学びが必要かを考え、より豊かな成長を目指すためにテーラーメイドの育ちを作り上げていくかです。
私達はよりよい支援を目指しているのではなく、よりよい子育て、成長を目指しているのです。
手段と目的をもう一度、確かめる時期なのかもしれません。
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