【No.1481】医療側の意見の受け止め方
学校に合理的な配慮を求めた。
だけど、「できる部分とできない部分がある」という返事だった。
結局、学校側はやりたくないという印象を受けた。
だから家で頑張るしかありませんね。
みなさんも一度や二度、このような話を耳にしたことがあると思いますし、「私がそうだった」という親御さんもいると思います。
私も過去に何十件も相談を受けました(笑)
私立の学校、自己完結できる配慮に関しては受けいられる傾向がありますが、「公立」「義務教育」「中途半端な田舎」が組み合わさると絶望的です。
「先生のお手を拝借」はとにかく反応が渋い(笑)
そういった状況を打破しようと、小児科、児童精神科医の意見書をもって学校との交渉に向かうご家庭もありますが、それで状況が変わることは稀です。
医療と学校は文化と管轄省庁が違いますから。
学校を動かすなら教育委員会です。
「医療に学校、教育の何がわかるか」が本音ではないでしょうか。
実際、医療側の意見書を拝見することがありますが、基本的に「患者のために周りが尽くせ」という書き方なので印象が悪いし、そもそも現実的ではない提案が多いと感じます。
もちろん、すべて患者さん中心の個別対応ができればいいですよ。
音の静かな個別の教室を用意し、この子だけの試験問題を作り、この子だけの試験官が付き、この子だけの評価ができればいうことはありません。
しかし学校は集団で、かつ学ぶ場です。
ある学校の先生から
「医師の診断、意見で、『朝起きられない』『午後の授業になると体力が持たない』『子ども同士の声や音に強いストレス、不安を感じる』というような話がありました。これは遅刻や早退はやむを得ないから認めましょうということなのでしょうか。子どもの声に配慮することは困難で、どうしたらいいか悩んでいます」
といった相談を受けたことがあります。
まじめな先生ほど悩みます。
だけど、学校は医療機関でも、養生を目指す場所でも、発達を促す場所でも、ありません。
冷静に考えれば、「心身の不調は医療が担当で、お前が治せ」です。
正直、症状を障害という固定化されたものと定義することで、責任逃れしているにすぎません。
だから医療側の意見という名の要求は、学校側からすれば単に「負担を強いられた」という印象、認識しか生まないのです。
こういった治療を行っていて、こういった経過を辿り、回復、改善、治癒していく。
その経過の中で、学校側にはこういった面で配慮をお願いしたい、というのが常識的な流れではないでしょうか。
治療している事実とゴールがあるから、負担に思えるような配慮も「一時的なモノ」と思い、先生たちは頑張ることができる。
それが「症状は治りません」「卒業するまで配慮をお願いします」というのは無理な話。
対象の子だけが登校しているわけでも、その子だけ学力が上がればよいわけでもありませんね。
通ってくる子ども達、全員が大切ですし、その全員の学びと成長を保障するのが学校の役割です。
学校の先生のほとんどは、子どもの成長や学びに繋がるのなら労力を惜しむことなく、まい進する人たちだと思います。
しかし、先生も人ですから、限度もある。
合理的な配慮以外にも、様々な要求がなされ、疲弊しているのが現在の先生たちです。
ですから
「紙の教科書じゃなくて、デジタルの教科書で良いですか」
「板書に集中すると、先生の話が耳に入ってこないので、タブレットで写真を撮っていいですか」
「授業中、辛くなったら保健室やトイレに行って気持ちを落ち着かせていいですか」
「光に過敏なので、蛍光灯の真下の席は勘弁してください」
そういった自己完結型の配慮に対し、管理職&他の先生、クラスメイトへの説明と合意形成をとることが妥協点であり、十分、児童、生徒のために動いてくれていることになると私は思います。
限られた人数、資源、予算。
決められたカリキュラム、教育活動。
共働き、ワンオペの育児、きょうだい児を含めた子育て。
「想像力の欠如」が生む医療側の意見と言ったところでしょうか(笑)
だから医師の意見書は病院の外に出ると受けが悪いのかもしれません。
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