【No.1501】重度知的障があると自閉症の診断基準を満たしちゃう問題
学生時代、仲が良かった友達がいて、よく一緒に勉強してた。
彼も、私も、こんな消化試合みたいな、どうせ施設に入るから、というような障害児教育に憤っていたからね。
彼は学校の中から、私は施設の中から、障害をもった子ども達の教育を変えようと頑張っていたんだ。
そんなとき、知的障害と自閉症の違いってなんだろな、って話になった。
自閉症の診断基準を見ていると、知的障害が重い子たちはみんな当てはまちゃう。
当時は自閉症の“三つ組み”って言われていて、言葉、社会性、想像(こだわり)の三つの症状が「中核をなす」となっていた。
だけど、知的障害が重くなればなるほど、そういった子ども達は言葉がしゃべれなかったり、他人とコミュニケーションをとったり、関係性を作ったり、維持したりするのは難しかったりした。
また自閉症の人が行う常同運動やこだわりとは意味合いが違うかもしれないけど、同じような限局的な特徴ある動きをしている大人の「知的障害者」はたくさんいた。
だから、この自閉症の診断基準じゃ、明確な区別はできないだろう、そこは求めていないのかもしれない、なんて友達と討論していたんです。
で、私は大学卒業後、自閉症専門の入所施設に就職する。
すると、そこで見たり、感じたものは、学生時代の疑問そのものだったんですね。
国から指定された自閉症専門の施設だから、入所条件として「自閉症の診断を受けた」となっているんだけど、雰囲気、様子、診断の経緯に違いがあった。
幼少期から行動や認知に大きな遅れがあり、その後、自閉症やADHDなどの診断がついたケース。
幼少期は「言葉の遅れ」があって、気になり、相談したら自閉症の診断を受け、その後、知的障害がついたケース。
もちろん、入所施設だから、家で生活が困難になった、という背景があるんだけど、大きく分けてこのような成育歴の違いがあって、その両者の様子を比べると明らかに違っていたんだ。
診断上は同じ『自閉症』だけど。
当時のことを思い返せば、その違いをこのように捉えていたんですよ、個人的には。
重い知的障害が基盤にある子たちは、受け身で、ボーとしていることが多くて、反応が弱くて、力が弱くて、低緊張で、良く寝て、抱っこしたら重い、って感じ。
一方で自閉症が基盤にある子たちは、探求心が強くて、つねにアンテナがはっていて、なんか「良くなりたい」という想いが強い感じ。
この「良くなりたい」っていうのは、資質と学習の関係で、資質に合わない学習をしちゃって環境に適応できていないっていうのがあって、でもこれってそもそも学習する力を持っているからだよな、学習する力が乏しいのが知的障害だからここが違うよなって思ってたんですね。
で今はどう思うか、捉えているか。
発達障害は神経発達症になって、自閉症も、知的障害も、神経、ニューロンの発達の不具合、コネクトの不具合ということになれば、どっちも同じで、明確に分けることができないし、する必要もない。
脳のどの階層に障害が起きているのか、ダメージが大きいのか、コネクトが弱いのか、強すぎるのかに過ぎない。
イメージでいえば、人間脳に近いほう、上位脳の神経ネットワークに問題が生じている場合が自閉症、自閉っぽさで、哺乳類や爬虫類、魚類の原始的な脳に近いほうに問題が生じると脳全体に影響が出るから知的障害、知的障害っぽさが出てくるって感じ。
自閉症の人は社会性、コミュニケーションといった人間らしい、進化の過程でいえば最近の、新しい部分に軽微な問題が生じているよね。
だから、なんらかの化学物質、環境要因が影響して、脳神経の発達にわずかなダメージを与えているんだと思う。
学習は哺乳類でも、両生類でも、原始的な動物でも行うから、「なんかうまくいかないけど、よくなりたい想い、意欲が強い」というのはわかる気がする。
そこが障害されると、学習能力が障害されるくらい広範囲で、基盤となる脳、古い脳の部分がダメージを受けちゃうと、あらゆる身体活動に影響が出るから知的障害というような状態になる。
だとしたら、「自閉症」とか、「ADHD」とかいう診断名、知的障害がどのくらいか、といったのは必要ないよね。
みんな、神経発達症だから、神経発達の違いを持っているんだから。
▶発達相談の内容・お問い合わせはこちら
▶Instagramのフォローはこちら
▶花風社さん主催『夏祭り講演会』アーカイブ視聴のお申込みはこちら

コメント
コメントを投稿