【No.1494】発達相談は検討会
ついこないだ『ブラタモリ』で熊本城が出てたよな、それを見たばっかりだな、と。
10年前の被災からの熊本城を復興させようと現場で汗をかいている人たちの姿が印象的でしたね。
もう一度、石を一つずつ積み上げていた石垣が再び崩れる様子を見たら辛くなった。
各地域にはそこを象徴するような山や建物があって、ひとはその大きな存在に守られているような、「ああ、私は今日も共に歩んでいる」というような気持ちをいだくもの。
熊本に住む人たちにとって、その一つが熊本城だったと思います。
今回、亡くなられた方が多数いたと知りました。
心よりお悔やみ、お見舞い申し上げるとともに、暑い中での生活、また復興に携わる方たちが体調を崩されませんようお祈りいたします。
このような大きな災害が起きると、物質的な支援、金銭的な支援、人的な支援が必要ですし、今回も地震発生後数時間で次々と支援が行われていた日本はすごいと思いますね。
日本アゲの意味ではないですが、同じような地震が起きたベネズエラでは1か月経った今でも建物も、そこに住む人たちの生活も、発生時そのままで復興へ歩き出せていない状況があります。
ただ復興(支援)では違いがある両国だけど、映像から伝わってくる“共に歩む”という気持ちの面では変わらないと思います。
被災した人たちに心を寄せ、自分にできることをする、いつもの生活を崩すことなくやるべきことをやる。
発達相談における大原則として、「それは仮説である」というのがあります。
親御さんから、または本人から「この問題、どうしたらいいんでしょう。なにか方法はありますか?」と相談される。
で、私は本人のアセスメントから、また過去に関わってきた人たちからの経験と、過去に学んだ知識、技能から、「こういった方法がありますね」と返す。
でも、これは“答え”ではなくて、“仮説”なんですね。
あくまで、「いま、この時点で考えられた仮説の一つです」という話。
この仮説がご神託のようになったらまずい。
なにがまずいかといえば、与える者と与えられる者の関係になっちゃうこと。
もちろん、100%その人に合ってて効果があるといったことはないし。
大事なのは考えられた仮説をテーブルの真ん中に置いて、親御さんと本人と援助者みんなで眺めながら検討すること。
「いま、先生はこういったけど、私が日頃見ている感じでは、ここをちょっと変えたほうがいいかも」という検討がオリジナルな援助、子育てを考えることになるんですね。
私が特にこのことを強く思うのは、定期的な支援ではなく、一回きりの発達相談という形式をとっているからかもしれません。
週に1回とか、毎月会うとかだったら、提案→実行→評価→修正というサイクルが組めます。
だけど、私はほとんどが1回で終わりですし、そもそも親御さんに子育て、援助の力、コツを教えること、もっといえば、自立的な子育て、援助ができることが目的なので、試行錯誤する主体を奪ってはいけないという強い想いがありますね。
「援助に対する意見」を持たない、持ってはいけないというような感じを持っている親御さんや本人たちがいます。
きっと過去の援助者、今関わっている援助者との関係の中で築かれた姿勢なのでしょう。
「これを治すには、ここを改善するには、この方法」
そんな言い切り系の援助者が流行っているのでしょうかね。
「共に歩む」という本来の援助者って少ないのでしょうか。
そんな当たり前のことを教えなくなったのでしょうか、援助者の指導者は。
援助に対する意見を持たない親御さん、当事者の人は、援助者にとって都合が良い人にすぎませんね。
援助に対して意見を持つことこそ、その姿勢を育んでいくことこそ、大事ですし、それを援助するのもまた援助者の役割の一つです。
先日の発達相談では、私がこんな方法がありますよと提案すると、「その方法は過去に失敗したんです」「だったら、ここを変えればできるかも」「私たちで考えたけど、わかんなくて。この点でアイディアありますか?」など、活発な意見の交換ができるご家庭でしたよ。
「この家庭なら親子で一緒に成長し続けられる」と思いましたね。
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