【No.1047】『切り替えが苦手』は、障害特性なのか?

自閉症スペクトラム障害の診断基準の中に、「同じであることへの“固執”」「ルーチンへの頑なな“こだわり”」という文言が出てきます。
具体的には、小さな変化による“強い苦痛”、行動を移行することの“困難”といったところです。
この『固執』や『こだわり』は、今の診断基準(DSM-5)の前から用いられていた言葉ですので、自閉っ子の行動を表現するとき、昔からよく使われていました。
ですから、『固執』『こだわり』と言えば、自閉症であり、自閉症といえば、固執やこだわりがある、という認識が当たり前になっているような気がします。


自閉症が神経発達症の一つであることが示される前、つまり、まだ、それが障害特性で、生涯変わることのない特徴と考えられたときの名残が現在も続いているような印象を受けます。
なんとかの一つ覚えのように、ある行動を止められなかったり、次の活動に移行するまでに時間がかかったりすると、「ほれ、固執だ」「こだわりだ」と言われます。
しかも、診断基準に固執やこだわりの項目がありますので、そういった子どもの姿を見て、「自閉症かもしれない」とチェックが入ったりすることもあるのです。
実際、こういった子どもさんの姿が確認されると、「ASDの疑いあり」といった診断になることも少なくありません。


で、そういったお子さん、ご家族から相談が来るわけです。
実際、お子さんにお会いすると、というか、会う前からわかるのですが、ほとんどが固執でも、こだわりでもありません。
厳密に言えば、言葉的に言うならば、固執やこだわりなのかもしれませんが、病的なものではないのです。
ある行動を止められない、次の活動への移行に時間がかかる。
それは、単に幼いからであり、どの子もそういった発達過程を辿るものです。


じゃあ、なぜ、それがわかるか、言い切れるかといえば、とっても簡単。
そこに強い苦痛も、困難も、存在しないから。
幼児さんが、遊びを途中で止めるように言われると、ギャーと泣く。
公園で遊んでいて、「そろそろ夕食の時間だから帰りますよ」と言われて、「嫌だー」と言って、手に持っていたスコップを投げる。
これが障害特性というのなら、世の中の幼児さんは、みんな自閉症。
強い苦痛というのは、遊びの中断からパニックになり、感情爆発、激しい興奮、自傷などが起きて、初めてそうだと評価できるようなもの。
ギャーと泣くくらいでは、強い苦痛とは評価できません。


同じように、「夕食だから」と言われても、まだ時間の概念がよく分かっていないし、お母さんの意図を想像しきるまでは経験値が乏しい幼児さん。
たまたま持っていたスコップを投げただけで、他害と評価するのには無理があります。
他害というのは、明らかな方向性があり、つまり、「あいつを攻撃しよう」という目的があり、敢えて道具を持つ、勢いをつけて向かっていく、というような明確な意図がなければなりません。
幼い子が、うまく気持ちを表現できなくて、手あたり次第投げるのは、子どもさんによく見られる行動です。
これも、本人からしたら「嫌なこと」かもしれませんが、強い苦痛とまではいえず、「今日のごはん、好きなハンバーグなのに」と言われて、ケロッとするのなら、そこに次の活動への移行の困難は見当たりません。


まとめますと、診断をつけるための診断をしている職業の人にとっては、それが幼い子に共通してみられる幼稚な行動か、苦痛を伴うほどの行動か、はどうでもよく、「固執」「こだわり」を連想できるものだったら良いわけです。
現行の診断基準は、当てはまる行動を見つけることが診断に繋がりますので、その背景に気を留める必要はない。
ですから、実際にお子さんにお会いすると、「ただ幼いだけじゃん」「別の場面では、スムーズに移行できているじゃん」「いつも切り替えられないんじゃないし、ちゃんと理由があるじゃん」ということばかり。
よくもまあ、この行動で、“強い苦痛”を伴う固執と評価したな、と思うことも少なくありません。
ほとんどのお子さんが、成長と共に、切り替えが上手になっていきます。


診断という入り口で間違うから、次に出会う支援者たちも、こぞって間違いを犯します。
「自閉症=こだわり」という頭、先入観で、子どもの行動を見れば、すべてこだわり行動に見えてきます。
1つの行動が止められない→切り替えが苦手となる。
この切り替えが苦手も、いつの間にか、拡大解釈がなされ、あたかも自閉症の障害特性みたいな扱いがされています。
何度も言うようですが、切り替えが苦手なのは、幼児さんの幼さゆえの自然な発達過程です。


拡大解釈によって生まれた「切り替えが苦手」という偽の特性。
もうこの時点でアウトなんですが、切り替えが苦手という偽の特性に対して、視覚支援なんかを始めちゃう支援者がいまだにいます。
「切り替えが苦手だから、見通しを持たせよう」と、せっせと絵カードを作り、スケジュールを提示する。


確かに知的障害が重く、周囲の状況、意味理解が乏しい人たちにとっては、絵などによるスケジュールが、唯一、理解できる情報になるので、それに従っていくような傾向があります。
でも、幼さゆえの切り替えの苦手さを持つほとんどの子ども達は、最初は好奇心で、面白そうだからやることはあっても、すぐに飽きて、提示されたスケジュールに従わなくなります。
そうすると、支援者との間で、押し問答が始まるわけです。
スケジュールに従わせようとする支援者と、自分がやりたいことをやりたい子どもさんとの闘い。
「スケジュールをやります」「次は〇〇です」と言い続ける支援者と、床で寝転ぶ子どもさん。
こういったやりとり、姿を、平成の世から数え切れないくらい見てきましたし、いつも、「どっちが自閉症で、どっちが支援者かよ」と思うことばかり(笑)


切り替えが苦手なのは、障害特性ではなく、単に幼いからですね。
脳の前頭葉が、自分の行動をコントロールするわけですが、幼児さん達は、小学校低学年くらいまでは、もっといえば、ここが完成するのは20代になってからなので、まだ自制したり、切り替えたりするのは苦手で当たり前。
「遊びたい」という本能的な欲求を、自制するまで、子ども達の前頭葉は育っていません。


ですから、固執やこだわり、切り替えが苦手などと指摘され、診断に至ったお子さん達の発達相談では、その前頭葉の発達状態を確認します。
幼児さんは、未熟とはいえ、日々、育っていく部分でもありますので、その年齢で「だいたい、このくらいの発達段階」というのはわかります。
よって、その発達段階と比べて、明らかに遅れている場合、それを育てる方法を親御さんに提案します。
でも、これは、自閉症を治すというよりも、発達を促す意味での子育ての範疇です。
遅れていれば、育てれば良いのです。
それを固定された固執のような誤った解釈をし、スケジュールなどの視覚支援で、自閉症として生きることを学習させるから、従来の支援が「グレーを黒くする」と言われるわけです。


年齢と比べて、前頭葉の発達が遅れている子に対しては、まずは胎児期から2歳くらいまでの間に生じている発達のヌケを育てなおすことが、一番です。
前頭葉が最後のほうで育っていく部分ですので。
そこを育てつつ、前頭葉を刺激する遊び、活動をすると良いです。
で、ここで出てくるのが、「切り替え」という話。
活動の切り替えには、前頭葉の発達が必要であり、ということは、活動の切り替えという要素が、前頭葉の発達に繋がるのです。


活動を切り替えるには、まず今やっている行動を「やめる」「とめる」「とまる」ということが必要です。
まず活動を止めなきゃ、次の活動へは移れない。
そして、この活動を止めるには、時間的な“間”が必要であり、その“間”を作るには、自分の身体を止めるだけの運動機能、筋力が必要なわけです。
他にも、止められるようになったら、次に移行しようという意思が出なくちゃならなくて、そのためには「今と次」という流れを感覚的に掴める必要があります。


という具合に、ほかにも必要な要素があるのですが、長くなるのでやめにしておきます。
とにかく前頭葉を育てる方法はたくさんあるし、子ども達は主に遊びを通して前頭葉を育てている。
その結果として、幼いときは切り替えが苦手だったけれども、徐々にできるようになるわけです。
30代の大人が、「切り替えが苦手なんです」といえば、そこには工夫や配慮が必要なのかもしれませんが、幼児なら当たり前で、当たり前だからこそ、障害ではなく、育てていく。
「自閉症だから固執、こだわり」ではなく、その固執の背景は?発達の流れから見て、どうなのか?という視点で、子どもさんをしっかり見ていかなければ、いつまで経っても、誤診や『未発達保存の会』『白をグレーに、グレーを黒にする会』『青色を見る会』がなくなりませんね。

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