2020年4月28日火曜日

【No.1055】児童デイに伺ったとき、まず何に注目するか?

起業して8年目となると、その間に色んな方から色んなお話がありました。
結構、児童デイに関しては厳しめの発言を繰り返していますが、児童デイに関わる方達からもお話があります。
「一度、うちの事業所を見てくれないか。助言をくれないか」と言ったものから、「一緒に児童デイを」「うちで児童デイを起ち上げるから、その代表に、アドバイザーに」などというものまでです。


児童デイに伺ったとき、そこで行われている療育や支援、スタッフの能力よりも、まず注目するところがあります。
それは代表がどういう人か?
もっと具体的に言えば、その人の経営力、もしくはちゃんと経営を担ってくれるスタッフがいるか、そういった専門家からコンサルタントを受けているかという点に注目します。


コロナ後、児童デイの半数くらいは潰れると思います。
たぶん、事業者が受け取る利用料1人分が減額されるでしょう。
だけれども、それでは事業者から、保護者からクレームが来るのは目に見えていますから、行政のほうは、1事業所当たりの利用できる人数の制限を緩めていくはずです。
そうなると、事業所に入るお金は変わらずですが、どこもすし詰め状態になる。
この状況下で、事業者も、保護者も、家庭の「レスパイト」という側面を訴えているくらいですし、既に児童デイを卒業した子の多くが福祉的なサービスを利用しているという結果も出ていますので、児童デイ=発達援助よりも、児童デイ=レスパイトという方向へ舵が切られていくと考えられます。
多くの子ども達を少ないスタッフがケアする状態。
そうなれば、低賃金&危険→スタッフが集まらない→志のあるスタッフもやりたい支援ができない→やる気のあるスタッフが辞めていく→経営&運営成り立たない→潰れるという流れができてしまいます。


私が児童デイの経営に注目するのは、こういった理由からです。
コロナ後は一気に潰れる、撤退する数が増えることになりますが、もともと事業として甘すぎるのです。
社会的な責任を果たそう、本気で子ども達の発達に関わろうと思えば、必然的にしっかりとした経営、安定した経営を目指さなくてはいけません。
児童デイは慈善行為でも、ボランティア活動でもないのですから。
それなのに、多くの児童デイは民間企業の意識が乏しい。
行政に提出する書類に関しては頑張るのに、経営には無頓着。
その収益のほとんどを公的なお金に頼っているということは、行政の考え方、制度変更によってもろに影響を受けるわけです。
つまり、もともとの財政基盤が脆い。


潜在的に財政的な不安定さを持っているのだったら、他で稼いで安定を目指すのが当然のことです。
代表が講演会やコンサル、大学の講義などで稼ぐ。
他のスタッフも、半数位の人は外に出て行って自力で稼げるくらいじゃなければ、事業を継続していくことは難しいでしょう。
「児童デイ一本で頑張る!」というのは、志は素晴らしいけれども、経営は学生サークルレベルだといわれても仕方ありません。
今まで見てきた児童デイでうまくいっていると感じたところは、代表・幹部に経営専門の人がいるところと、ある意味片手間で児童デイもやっているところ。
片手間というのは、本業、母体の収益事業が別にあり、児童デイもやっていますよ、という意味です。


当地だけではなく、全国的にそうだといえるのですが、児童デイや福祉事業所などは親御さんが起ち上げたところが多いです。
「この子の幸せのために」「この子が将来、困らないように」と考えるのは、親御さんとしては当然であって、その形の一つとしてそういった事業所があるのはわかります。
親御さんが起ち上げると、その地域の行政も、福祉関係者も、みんな温かい目で、温かい気持ちで応援してくれます。
ですから、これだけ全国で親御さん発の事業所ができたのでしょう。


しかし一方で課題もあり、どうしても「n=1」の支援になりがちなのです。
経験の浅い支援者も同じことが言えるのですが、自分が関わった子をベースに、これからの子と関わってしまいます。
親御さんで言えば、我が子にうまくいったことを他の子にもやりがちだし、求めがちになります。
今まで学生時代から合わせると、私が直接か関わった発達障害の人達は800人くらいでしょう。
それでもまだまだ経験が足りないと思いますし、1000人を超えて初めて一人前になれると思っています。
正直、「n=1」で仕事ができるほど、ひと様の発達と人生に関われるほど、あまくはありません。
一人として同じ人がいない、同じ発達の仕方をしないということは、それだけ多くの人達と関わらなければ仕事ができないということです。


事業を起ち上げた親御さんの中には、こういった弱点を意識し、専門家を外部から中に入れるところもあります。
数は多くありませんが、有名どころを入れて人気を博したところもあります。
でも、ここでも課題があり、事業所=その専門家になってしまうのです。
どういうことかと言いますと、その専門家のコピーばかりができあがり、その専門家以上のものが生まれなくなってしまうということです。
その専門家が全国的にリードしているうちはいいですが、流行り廃りもありますし、特別支援の世界もどんどん新しい考え、アプローチが生まれてきます。
それに柔軟に対応し採り入れられる専門家は良いのですが、どうも過去の栄光、自分の見識の中から脱することができない人が少なくありません。
しかも、スタッフも、代表である親御さんも、その専門家には実力的に口出しできませんので運命共同体となります。
もともと専門家は、児童デイをやりたくて専門家になったわけではないので、自分の名を売るために一時的に利用しましたねという事業所も複数見受けられます。


まあ、こういう風に書いているだけでめんどくさくなりますし、到底、私などにはできないし、関わりたくもないと思ってしまいます(笑)
一人ですと、誰かに給料を払わなくていいですし、何よりも自由なのがいいです。
こういう私も、最初は志一本で始めちゃったところがありましたが、それでは事業継続はできないとわかり、経営の助言をもらったり、勉強をしたりしました。
ですから途中からですが、その児童デイ、事業所の経営の部分に注目するようになったのです。


どうしても福祉の世界は、親御さんや兄弟児など、当事者に近い人達が関わり、働いていることが多いといえます。
なので、自然と気持ちや感情の部分に流れて行きがちです。
しかし、仕事である以上、儲けなければなりませんし、経営を安定させなければなりません。
他の民間企業のようにリスクを最小限に、またリスクに手を打っておく必要があります。
それなのに想いだけでやっちゃう。
想いは始めるきっかけ、原動力になりますが、継続する力にはなりません。
今現在、どれだけの普通の人が事業を起ち上げているのでしょうか。
コロナ後、福祉予算が減らされていく中、どうやって自力で立ち続けることができるでしょうか。


就学時から児童デイに通っていた子が、学校卒業後、福祉事業所を利用する。
福祉事業所を利用するのは悪いことではありませんが、どうして自立する子、社会の中で働いていける子がもっと出てこないのか、そこに私個人としての不満があります。
学校で学び、放課後も将来の自立に向けた準備をする。
とても素晴らしい制度であり、恵まれている環境だといえます。
それなのに児童デイの延長で福祉事業所に移行する。
それって場所が変わっただけじゃないの?と思ってしまいます。


では、何故、児童デイから自立する子ども達が、社会に飛び立っていく子ども達がもっと出てこないのか。
それは児童デイ自体が自立していないから。
経営的に、経済的に自立していない事業所、たとえばある日から公的なお金がストップになっても立ち続けられるところはどれくらいあるのでしょうか。
そのときになって、「それは障害者差別だー」「社会の理解がないんだ―」と叫んでもどうしようもないのです、もう遅いのです。
ですから、少なからず児童デイ以外の収益も考えないといけませんし、スタッフの一人や二人は外に出て行ってバリバリ外貨を稼いでくるくらいじゃなければいけません。
「あー、制度が変わったので無理でした」「事業を続けられないから、撤退します」といって一番困るのは、利用している子ども達。
スタッフは転職できますが、子ども達の育ちは簡単に変えることができないのです、子ども達の時間は返ってこないのです。


先見の明がある親御さんは、児童デイ、福祉サービスをずっと使えると思っていないし、使おうとも考えていません。
しかし、それが本来のあり方です。
福祉は必要な人が利用し、必要がなくなれば、他の人のために席を譲るもの。
そのために福祉サービスを利用しつつも、目標は自立であることを忘れない。
コロナ後、児童デイも、他の福祉事業所も、一気に淘汰されていきます。
本物しか残らない。
その何が本物かといえば、その子の自立に向けた発達を支援できるかどうか。
そういった面で、支援者の腕が問われ、事業所の経営が問われるのだと思っています。




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