【No.1042】普通級転籍には、それなりの『準備』と『交渉』が必要です
北海道は、明日から新学期&登校が始まります。
しかし、首都圏を中心に陽性者が増え続けている地域では、まだ通常登校まで時間を要するとのことです。
このような状況が続くと、日々の生活の中での心身の疲れも心配ですが、いざ、休校が明け、登校が始まったあと、授業に集中できるか、学校に通い続ける体力が続くか、リズムを取り戻せるか、も心配になります。
夏休みのような長期休暇でも、新学期後は乱れる子が多いのに、今回はいろんな制限、また心身のストレスもあると思いますので、学校が再開後、不登校や問題行動、意欲&集中力低下など、様々な面で、あとから子どもへの影響が出てくるように感じます。
休校が伸びた地域の子ども達は、より再開後のことをイメージした生活が望まれます。
たとえ、自分の家が生活を整え、いろんな学習の準備をしてきたとしても、他の家庭は分かりませんので、そういった影響も考慮しながら、我が子の学習の機会を守っていく必要もあるように感じます。
新聞やネットなど、メディアでは、休校が続くことに対する意見や影響が報道されています。
その中で気になるのが、支援級、支援学校に在籍する子ども達に関する記述です。
普通級の場合、学習の遅れや受験などを心配する声、論調が主なのですが、支援級、支援学校に関しては、「生活のリズムが乱れ、親子とも、大変」「変化に対応できず、問題行動が出て困っている」「登校することで、ストレス発散になっている」などの声が目立ちます。
とても驚いたのが、どこかの大学教授の「日中、学校という預かってくれる場所がないと、家庭は疲弊していく」という発言でした。
おいおい、いつから学校は“預かってくれる場所”になったのか。
どうして、普通級の子ども達のように、「彼らの学ぶ機会を」とか、「学習の遅れが心配だ」とか、「進路への影響が」とか、そういった論調、声が出てこないのか。
日頃、アピールするときには使われない言葉が、あらゆるところで見られます(脇が甘い)。
こういった非常時には、本音の部分、繕っていた認識が表に出るのだと思っていたのでした。
実は、この春から、支援級から普通級へ転籍する子ども達が数名いました。
しかし、その中には新学期の始まりが伸びてしまった子達もいて、親子共々、残念に思っているというお話が届いています。
せっかく頑張って、実績を積み、また認められ、転籍が叶ったのに…。
さあ、普通級で、新学年を頑張ろうとしていた矢先だったのに…。
その無念さも伝わってきて、私も残念に思うのですが、どのご家庭も、転籍に至るということは、それだけ前向きに行動できる方たちなので、いくら休校が伸びようとも、今の子の時間も大切に過ごし、乗り越えられると思っています。
「転籍」と一言で言っても、その道のりは大変なものがありました。
まずは、一度、「支援級が妥当」と行政的に判断されたものを変えていく、という点です。
特別支援教育の理念上、本来なら、その子の発達、成長と共に、最適な学習の場を変えていける、変えていくべきなのですが、なんせ、前例主義の学校なので、なかなか、「じゃあ、新学期から普通級ね」とはなりません。
たとえ、支援級で学力がついても、それはあくまで「支援級にいたから身についた」という評価になり、「このまま、支援級で」となりやすいです。
実際、同学年の教科書レベルの学力が身についた子がいましたが、「これは支援級という環境で学んだからです」「普通級の一斉授業になると、ついていけなくなりますよ」「普通級はいじめもあるし」などと脅しのようなことを言ってくるケースもありました。
あとは、「交流の時間を増やしていきますんで」と、転籍はしないけれども、普通級の時間を増やす、という提案も、よくあるパターンです。
それだけ自分が担任の間は、前例を覆したくないし、作りたくないし、リスクを取りたくない、というのが基本的な姿勢だと感じます。
そして当然、普通級へ転籍するには、一斉指示、一斉教示で理解できなければなりませんし、普通級は普通級で様々な子ども達がいるわけです。
何も、診断がついている子だけが大変なわけでも、問題を起こすわけでもありません。
一緒に学ぶ子の人数が増えるということは、それだけ刺激も増えるということ。
そういった教示の仕方や環境の違いにも対処できるだけの土台が育っている必要がありますし、学習面だけではなく、こういった部分も養っていかなければなりません。
あと、大きいのが、45分、座っていられるだけの姿勢、体力です。
就学すると、普通級の子ども達は、45分授業を受け、5時間、6時間と学校で過ごすわけです。
その間、支援級では、同じように45分単位で座っての授業を行っているか、教科学習を同じ時間数行っているか、といったら、疑問に思うところ。
「プリント1枚やって、あとは余暇エリアで」「朝の会がやたらに長い」「なんだかわからないけれども、とにかく調理学習(ていうか、給食の前におやつの調理は止めようよ)」…。
当然、新一年生は、45分座ってられないし、午後の授業まで集中力も、体力も持たない。
それでも、続けていくうちに、一年生、二年生と少しずつ身についていくのです。
その学ぶ姿勢を培っていく機会が、最初から普通級の子とは大きな差があります。
ですから、発達的にも、学習的にも、普通級で大丈夫、だけれども、45分×5時間、6時間が無理で、転籍を諦める子もいます。
この学ぶ姿勢は、家庭や習い事などでフォローしていく必要があります。
こういったことを考えながら、個別に課題をクリアしていく。
それには、どうしても1年、2年と、かかってしまいます。
まとめますと、支援級からの転籍には、自分が支援級に在籍してきた同じ時間で、普通級の子達が学んだこと、経験したこと、身に付けたことをフォローしておく必要があります。
また、当然、就学時、「普通級よりも支援級が望ましい」という何か発達上の課題、遅れがあったのは事実ですので、そこは育て直しておく。
そして、ここが一番の山なのですが、学校側との交渉です。
学校は前例主義で、特に教育委員会、その前には医師からの診断、意見書が出た上で、会議を行い、決定されたものに対して“変える”、しかも自分が担任のときに、というのは、なかなかハードなものです。
親の要望で、一担任の意向で、なんて簡単に変えることはできません。
それに、管理職も、担任も、数年おきに変わります。
ですから、転籍を勝ち取るためには、具体的な理由と客観的なそれが望ましいという根拠を示し、また転籍後、一番学校側が気にするリスクに対する対策案を提示し、かつ、最後には人間同士なので、学校内に賛同してくれる人を増やしていく必要があります。
私は教育大出身で、同期はほとんど教員なので、そういったネットワークも利用しながら情報を集め、交渉のアイディアをお伝えするくらいしています。
それでも、なかなか認められないことの方が多く、結局、小学校6年間は支援級で過ごし、中学受験をして普通教育へ移っていった子ども達も少なくありません。
っていうか、相談のたびにいつも思うことですし、これを書いてて湧き出てくる感情ですが、どうして、家庭が、親が、実績を作り、学校側に認めさせるか、意味が分かりません。
普通、学校という場で指導している先生の側から、「普通級への転籍はどうですか」「もう大丈夫だと思いますよ」「同年齢と一緒に学ぶ方が、〇〇くんは、より成長できると思います」なんて、親御さんに提案があるべきなのに。
実際は、交流学習の時間を1時間、増やすのも、親が難儀する有様です。
就学時、適当だった学び舎が、ずっと最適なわけはありません。
子ども達は、日々、成長しますし、変化しますので、その時々で適当な場所を、学びの機会を考え、提供するのが、学校の役目、特別支援教育の意義ではないでしょうか。
それを6年間、考慮することなく、また本人の実態、成長を更新することなく、同じ教室に留めておくなんて、学校は何様?と思ってしまいます。
6年間、支援級という事実は、そのまま、中学へ引き継がれます。
中学校3年間、支援級だったという事実は、受験、内申書にそのまま書かれます。
今は、高卒認定や通信制の高等学校など、選択肢があります。
でも、そもそも普通高校も含めた中の選択肢だったら良いのですが、「普通高校が無理だから、高卒認定、通信制」というのは違うと思います。
元支援級、支援学校だった若者たちと話す機会もありますが、彼らは発達障害以前に、学びの機会、選択肢が少なかったと感じますし、そこを辿っていけば、就学時の選択、小学校での学び、周囲の考え方、認識と、ぶつかります。
特別支援教育が始まって10年以上経ちますが、まだまだ理念が体現されていくまでに時間がかかるような気がしています。
今回、ネットを使った学習が展開されるようになり、「そもそも、学校に通う意味は?」なんてことも言われています。
しかし、学校は単に学力を身につけるだけではなく、もちろん、それが学校の中心であることは疑いもないことですが、通い続けること、座位を続けること、一斉授業の中で自分をコントロールし学び続けること、自分の思い通りにいかない他者という存在を子ども時代に味わうこと、他者や集団での共感、共有、単純に刺激を受けるだけではなく、自分が刺激を与え、変化が生じることを体験すること、など、挙げればきりのないくらい、その意義、ある意味、ライブ感の刺激の交流には、数値化されない学びがあるのだと思います。
理想で言えば、もっと流動的に、子どもの学び舎、教室が変わっていけると良いですし、学校側がリードするように、支援級→普通級の転籍の提案と指導、教科ごとの選択ができていくと良いと思います。
それには、やっぱり転籍し、伸びやかに成長していける子ども達を増やしていかなければなりません。
案外、1名、前例ができると、すんなり「転籍、いいですよ」となりやすいです。
その当時の担任の先生が、味方になってくれる場合もありますし。
無事に新学年が始まり、楽しみにしていた普通級での学びが始まりますようにと願っています。
しかし、首都圏を中心に陽性者が増え続けている地域では、まだ通常登校まで時間を要するとのことです。
このような状況が続くと、日々の生活の中での心身の疲れも心配ですが、いざ、休校が明け、登校が始まったあと、授業に集中できるか、学校に通い続ける体力が続くか、リズムを取り戻せるか、も心配になります。
夏休みのような長期休暇でも、新学期後は乱れる子が多いのに、今回はいろんな制限、また心身のストレスもあると思いますので、学校が再開後、不登校や問題行動、意欲&集中力低下など、様々な面で、あとから子どもへの影響が出てくるように感じます。
休校が伸びた地域の子ども達は、より再開後のことをイメージした生活が望まれます。
たとえ、自分の家が生活を整え、いろんな学習の準備をしてきたとしても、他の家庭は分かりませんので、そういった影響も考慮しながら、我が子の学習の機会を守っていく必要もあるように感じます。
新聞やネットなど、メディアでは、休校が続くことに対する意見や影響が報道されています。
その中で気になるのが、支援級、支援学校に在籍する子ども達に関する記述です。
普通級の場合、学習の遅れや受験などを心配する声、論調が主なのですが、支援級、支援学校に関しては、「生活のリズムが乱れ、親子とも、大変」「変化に対応できず、問題行動が出て困っている」「登校することで、ストレス発散になっている」などの声が目立ちます。
とても驚いたのが、どこかの大学教授の「日中、学校という預かってくれる場所がないと、家庭は疲弊していく」という発言でした。
おいおい、いつから学校は“預かってくれる場所”になったのか。
どうして、普通級の子ども達のように、「彼らの学ぶ機会を」とか、「学習の遅れが心配だ」とか、「進路への影響が」とか、そういった論調、声が出てこないのか。
日頃、アピールするときには使われない言葉が、あらゆるところで見られます(脇が甘い)。
こういった非常時には、本音の部分、繕っていた認識が表に出るのだと思っていたのでした。
実は、この春から、支援級から普通級へ転籍する子ども達が数名いました。
しかし、その中には新学期の始まりが伸びてしまった子達もいて、親子共々、残念に思っているというお話が届いています。
せっかく頑張って、実績を積み、また認められ、転籍が叶ったのに…。
さあ、普通級で、新学年を頑張ろうとしていた矢先だったのに…。
その無念さも伝わってきて、私も残念に思うのですが、どのご家庭も、転籍に至るということは、それだけ前向きに行動できる方たちなので、いくら休校が伸びようとも、今の子の時間も大切に過ごし、乗り越えられると思っています。
「転籍」と一言で言っても、その道のりは大変なものがありました。
まずは、一度、「支援級が妥当」と行政的に判断されたものを変えていく、という点です。
特別支援教育の理念上、本来なら、その子の発達、成長と共に、最適な学習の場を変えていける、変えていくべきなのですが、なんせ、前例主義の学校なので、なかなか、「じゃあ、新学期から普通級ね」とはなりません。
たとえ、支援級で学力がついても、それはあくまで「支援級にいたから身についた」という評価になり、「このまま、支援級で」となりやすいです。
実際、同学年の教科書レベルの学力が身についた子がいましたが、「これは支援級という環境で学んだからです」「普通級の一斉授業になると、ついていけなくなりますよ」「普通級はいじめもあるし」などと脅しのようなことを言ってくるケースもありました。
あとは、「交流の時間を増やしていきますんで」と、転籍はしないけれども、普通級の時間を増やす、という提案も、よくあるパターンです。
それだけ自分が担任の間は、前例を覆したくないし、作りたくないし、リスクを取りたくない、というのが基本的な姿勢だと感じます。
そして当然、普通級へ転籍するには、一斉指示、一斉教示で理解できなければなりませんし、普通級は普通級で様々な子ども達がいるわけです。
何も、診断がついている子だけが大変なわけでも、問題を起こすわけでもありません。
一緒に学ぶ子の人数が増えるということは、それだけ刺激も増えるということ。
そういった教示の仕方や環境の違いにも対処できるだけの土台が育っている必要がありますし、学習面だけではなく、こういった部分も養っていかなければなりません。
あと、大きいのが、45分、座っていられるだけの姿勢、体力です。
就学すると、普通級の子ども達は、45分授業を受け、5時間、6時間と学校で過ごすわけです。
その間、支援級では、同じように45分単位で座っての授業を行っているか、教科学習を同じ時間数行っているか、といったら、疑問に思うところ。
「プリント1枚やって、あとは余暇エリアで」「朝の会がやたらに長い」「なんだかわからないけれども、とにかく調理学習(ていうか、給食の前におやつの調理は止めようよ)」…。
当然、新一年生は、45分座ってられないし、午後の授業まで集中力も、体力も持たない。
それでも、続けていくうちに、一年生、二年生と少しずつ身についていくのです。
その学ぶ姿勢を培っていく機会が、最初から普通級の子とは大きな差があります。
ですから、発達的にも、学習的にも、普通級で大丈夫、だけれども、45分×5時間、6時間が無理で、転籍を諦める子もいます。
この学ぶ姿勢は、家庭や習い事などでフォローしていく必要があります。
こういったことを考えながら、個別に課題をクリアしていく。
それには、どうしても1年、2年と、かかってしまいます。
まとめますと、支援級からの転籍には、自分が支援級に在籍してきた同じ時間で、普通級の子達が学んだこと、経験したこと、身に付けたことをフォローしておく必要があります。
また、当然、就学時、「普通級よりも支援級が望ましい」という何か発達上の課題、遅れがあったのは事実ですので、そこは育て直しておく。
そして、ここが一番の山なのですが、学校側との交渉です。
学校は前例主義で、特に教育委員会、その前には医師からの診断、意見書が出た上で、会議を行い、決定されたものに対して“変える”、しかも自分が担任のときに、というのは、なかなかハードなものです。
親の要望で、一担任の意向で、なんて簡単に変えることはできません。
それに、管理職も、担任も、数年おきに変わります。
ですから、転籍を勝ち取るためには、具体的な理由と客観的なそれが望ましいという根拠を示し、また転籍後、一番学校側が気にするリスクに対する対策案を提示し、かつ、最後には人間同士なので、学校内に賛同してくれる人を増やしていく必要があります。
私は教育大出身で、同期はほとんど教員なので、そういったネットワークも利用しながら情報を集め、交渉のアイディアをお伝えするくらいしています。
それでも、なかなか認められないことの方が多く、結局、小学校6年間は支援級で過ごし、中学受験をして普通教育へ移っていった子ども達も少なくありません。
っていうか、相談のたびにいつも思うことですし、これを書いてて湧き出てくる感情ですが、どうして、家庭が、親が、実績を作り、学校側に認めさせるか、意味が分かりません。
普通、学校という場で指導している先生の側から、「普通級への転籍はどうですか」「もう大丈夫だと思いますよ」「同年齢と一緒に学ぶ方が、〇〇くんは、より成長できると思います」なんて、親御さんに提案があるべきなのに。
実際は、交流学習の時間を1時間、増やすのも、親が難儀する有様です。
就学時、適当だった学び舎が、ずっと最適なわけはありません。
子ども達は、日々、成長しますし、変化しますので、その時々で適当な場所を、学びの機会を考え、提供するのが、学校の役目、特別支援教育の意義ではないでしょうか。
それを6年間、考慮することなく、また本人の実態、成長を更新することなく、同じ教室に留めておくなんて、学校は何様?と思ってしまいます。
6年間、支援級という事実は、そのまま、中学へ引き継がれます。
中学校3年間、支援級だったという事実は、受験、内申書にそのまま書かれます。
今は、高卒認定や通信制の高等学校など、選択肢があります。
でも、そもそも普通高校も含めた中の選択肢だったら良いのですが、「普通高校が無理だから、高卒認定、通信制」というのは違うと思います。
元支援級、支援学校だった若者たちと話す機会もありますが、彼らは発達障害以前に、学びの機会、選択肢が少なかったと感じますし、そこを辿っていけば、就学時の選択、小学校での学び、周囲の考え方、認識と、ぶつかります。
特別支援教育が始まって10年以上経ちますが、まだまだ理念が体現されていくまでに時間がかかるような気がしています。
今回、ネットを使った学習が展開されるようになり、「そもそも、学校に通う意味は?」なんてことも言われています。
しかし、学校は単に学力を身につけるだけではなく、もちろん、それが学校の中心であることは疑いもないことですが、通い続けること、座位を続けること、一斉授業の中で自分をコントロールし学び続けること、自分の思い通りにいかない他者という存在を子ども時代に味わうこと、他者や集団での共感、共有、単純に刺激を受けるだけではなく、自分が刺激を与え、変化が生じることを体験すること、など、挙げればきりのないくらい、その意義、ある意味、ライブ感の刺激の交流には、数値化されない学びがあるのだと思います。
理想で言えば、もっと流動的に、子どもの学び舎、教室が変わっていけると良いですし、学校側がリードするように、支援級→普通級の転籍の提案と指導、教科ごとの選択ができていくと良いと思います。
それには、やっぱり転籍し、伸びやかに成長していける子ども達を増やしていかなければなりません。
案外、1名、前例ができると、すんなり「転籍、いいですよ」となりやすいです。
その当時の担任の先生が、味方になってくれる場合もありますし。
無事に新学年が始まり、楽しみにしていた普通級での学びが始まりますようにと願っています。
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