2020年4月24日金曜日

【No.1053】まだ生まれてきていない子ども達を援助する

スーパーに買い物に行くのを「3日1回にしてほしい」と、小池都知事が言っていました。
どこのスーパーも人がいっぱいなようで、まさに三密状態。
お客さんは自分の意思で避けることができますが、従業員は基本受け身なので、常にリスクにさらされている状態だといえます。
従業員がいなくなれば、それこそ食料が手に入らなくなりますので、「働く人を守る」という意味で買い物する側の行動変容が起きれば良いな、と思っています。


しかし一方で「買い物客は減らない」と、私は思います。
何故なら、この前もブログで書いたように、みんなが"ヒト"モードになっているから。
「経済だ」「資本主義だ」などと言われますが、結局、お金を介して狩猟生活をしているのが私達人間です。
平時、自分の安全が守られた状態ですと、より精神性の満足感に意識が向いていきます。
たとえば、仕事でのやりがい、ひとの役に立つこと、自分で立てた目標に向かい努力する自身の姿、家族の幸せ、世界平和などに。


でも今は、一番の土台である安全安心が揺らいでいます。
700万年の人類の歴史そのものが「安全安心」と「子孫を残す」ための闘い。
ですから、身近に迫っている危険を前にし、人間はヒトに戻っていく。
「開いているところがスーパーくらいだから」と考えるのは、ABA。
「身の危険を感じている今だからこそ、生きるための(現代の)狩猟へと心が掻きたてられる」と、私は考えます。
食べ物を得るというのは、それ自体が安心感と繋がっています。


発達相談において、成人の人達からよく聞く言葉に「無理して働かなくていいって言われました」というものがあります。
公的な相談機関でも、病院でも、家族からでも、「(人的、金銭的)支援を受けて生きればいい」と勧められる。
確かに公的な支援を受ければ、物理的には生きていくことはできます。
しかし、心理的に生きることはできるでしょうか。


今まで多くの若者たちと出会ってきましたが、「働く必要はない」と言ったことはありません。
たとえ知的障害を持っていたとしても、今すぐに働くことが難しい状態だとしても、必ず働くことを目標に取り組んでいきます。
何故なら、働くことが現代の狩猟だから。
自分の目の前に届けられる獲物と、自分で身体を動かし、ときに危険を感じながら得た獲物とでは、肉体的な満足は一緒でも、精神的な満足はまったく違うものになります。


働くことで、ガラッと変わった人達がたくさんいます。
IQが上がった人もいますし、言葉のバリエーションが増えた人もいます。
働くという中には試行錯誤といった脳を育てる機会があります。
しかし、そういった学習の機会だけではなく、安心感と直結する「自ら動き、自ら得る」という行為が次の働く意欲、より向上しようとする意欲へと繋がっているのだと、私は感じます。


コロナ後の世界を想像すると、今まで以上に実感を持ちづらい働き方と形態が中心になっていくと
思います。
そうなったとき、つまり、バーチャルな世界での狩猟となったとき、私達は何で安心感を得るのだろう。
たぶん、ヒトとしての、動物としての土台である発達が培われていない人は、どんどん病んでいくはずです。
生きているという実感がないまま、ときだけが過ぎていく。
また環境の変化に翻弄され、ひたすら不安を感じるだけの存在になる。


肉体性のない狩猟の世界では、より精神的な生きる意味が求められます。
そのためには、自らが地に足つける安心基地にならなければなりません。
「生きる段階」の発達が整い、自分の身体が安心を生みだす。
自分の身体と共にある安心感が、より高度な、人間としての喜びと生きる目的を運んでくる。
コロナ後の世界は、自己実現や世のため、人のために生きることの喜びを感じられない人、祖の段階まで発達できていない人にとっては、生きづらい世界になると思います。


子育て世代である私達は、バブル・好景気は体験していませんし、これから先も金銭的な豊かさとは無縁のまま、生涯を終えると思います。
新型コロナと向き合い、このときを生き、改めて人間とは脆く、弱い存在なんだと感じます。
自分の生まれた時代を不幸だとは思いません。
しかし、自分の仕事、生き方を考え直す時期だと思います。


金銭的な豊かさではなく、精神的な豊かさ。
今、私の幸せではなく、未来に繋がる幸せ。
100年前のスペイン風邪のときの様子を見ると、現在とまったく同じ状況であり、対応だったことがわかりました。
ヒトは100年単位などでは変化しません。
それくらい弱い存在。
でも、私達、人間は想像する力を持った動物です。
他の動物にはできない100年後の未来を想像することができる。


100年後、もしかしたら、人類は今回と同じような事態に陥るかもしれません。
ですから、今体験したこと、学んだことを未来に届ける役目があります。
そう考えたとき、自分の仕事を見直すと、私の仕事はまだ生まれてきたいない子ども達のために頑張る必要があるのだと思うのです。


コロナ後の世界を見据えて、発達援助を行っていく。
今回の事態でよくわかったのが、こういった「生きるか死ぬか」という状況の中では、発達障害があるとかないとかではなく、皆、平等で「人」が問われるということ。
発達障害を治すとか、治さないとかは、とても小さな話で、これから先、どんな世界がやってこようとも子ども達が生き抜くことができるように育てていく、その後押しをしていくことが大事なんだと思います。
治した方が良いとか、治すのがすごいとかではなく、生き抜いてほしいからこそ、治していく。


呼吸や感覚、運動や内臓など、育ちの遅れがあれば、それだけ生き抜くことが難しくなる。
特に、全体的に貧しくなれば、余裕がなくなれば、弱者への手は遠のいていくばかり。
そして肉体的な実感を伴わない仕事が主となる世界では、人間としての高度な喜びを感じられないと、精神的な満足を得て生きていくことが難しくなる。
「この仕事が、見えない誰かの役になっている」「よりよい社会のためになっている」
そんな風に感じられるには、爬虫類の脳から哺乳類の脳、そして人間の脳まで育っている必要があります。


今、目の前にいる子ども達を援助することは、まだ生まれてきていない子ども達を援助することにもつながる。
100年後の子ども達が生き抜いていけるように、今の子ども達の発達課題をクリアして自立し、生き抜ける大人たちへと後押ししていく。
人間は弱い生き物だからこそ、想像力を使い、より良い未来を作っていくのだと思います。
その想像力を発揮できるように、発達の土台から育てていくのです。
2022年後を人間らしく生きていけるように。



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