【No.1043】その子の認知的スキルから見て、普通級が望ましいか、支援級が望ましいか

「支援級から普通級への転籍」という話は、皆さんの関心が高いように感じます。
この話題に触れると、アクセスは増えますし、相談や質問も多くなります。
もしかしたら、ネット検索でひっかかるワードなのかもしれません。


私のところには、毎年のように上記のような相談、依頼がありますし、実際、転籍をしていくお子さん達がいます。
しかし、だからといって、どの子にも、転籍を勧めているわけではありませんし、その子の状態、学校の様子から、「そのまま、支援級の方が良いのでは」という話をさせてもらうこともあります。
「なんで、他の子には支援するのに」と言われた親御さんもいますし、散々、支援級での学び、環境について、いかに最悪かを言い続ける親御さんもいました。
いくら仕事とはいえ、依頼とはいえ、親の願いとはいえ、お子さんのより良い未来へとつながらないと感じることには同意できません。


私の基本的な考えとしましては、不登校と登校を比べれば、断然、登校できる方が良いと思っていますが、支援級か、普通級か、といえば、その子が伸びるのなら、どちらでも良いと考えています。
普通級に通うのが難しくて、支援級なら通えるし、勉強もできる、というのなら、その子にとっては支援級が望ましい環境だといえます。
また、学校に通えていて、支援級で成長が見られているのなら、無理に転籍する必要はないと思います。


私が転籍、普通級を強くお勧めする場合は、支援級での時間が本人の成長に繋がっていない、また、時間つぶしのような学習内容だというときです。
本人の学力や能力とミスマッチしている時間というのは、非常にもったいないことです。
本来、普通級レベルのお子さんが、診断名がついたという点だけで、支援級への在籍が決定されることがあります。
それまで、普通級で何年も勉強していたのに、診断名が付いた途端、学年の途中からでも、支援級へ席が移されることもあります。
支援級で力をつけていき、普通級でもやっていけるだけの準備が整ったのにも関わらず、「小学校のうちは」「中学校のうちは」とズルズルいくこともしょっちゅうです。
その子が最もよく伸びる、よく学習できる環境を用意するのが学校、親の務めですから、ミスマッチが生じた時点で、環境を変える必要があります。
それがなされないまでの時間は、空白の時間になってしまいますので。


「日本でもホームエデュケーションを」と言われますが、今の日本の学校という環境を用意することは大変難しいといえます。
同世代の子ども達が学校で学び、経験していることを、家でやろうとすれば、大人の側も相当な知識と技能、準備、環境調整が必要になります。
別の言い方をすれば、なにかあるとすぐに「学校教育ガー」と言われますが、多くの先生たちは優秀であり、学校という環境は恵まれているといえます。
ですから、なおのこと、空白の時間を作らない。
そのためには、普通級でも、支援級でも、成長し続けられていることが何より大事なことです。
将来的なことをいえば、普通級に在籍している方が、選択肢が多いのは事実です。
でも、普通級にいることが多くの選択肢を得られることにはなりません。
本人が成長し続けることで、目の前に現れた選択肢を掴むことができる。
親御さんの強い意向で、普通級へ転籍した子もいましたが、結局、本人の成長にはつながらなかったため、支援学校、福祉の世界へ行ったという話もあります。


一昔前のような一度、支援級に在籍したら、「進学は無理」「一般就労も無理」「将来は福祉」ということは、だいぶ薄れてきたと感じます。
子ども自体が減っていますし、発達障害を持つ子達も特別な存在とは見られなくなってきています。
ですから、社会の方にも選択肢が増えたのだといえます。


しかし、その「選択肢が増えた」という変化は良かった反面、その子個人が問われるようになったともいえます。
普通級にしろ、支援級にしろ、ただ在籍しただけではどうにもならなず、そこで何を学び、どんな成長を遂げたのか、が問われるのだと思います。
「支援級にいました。ですから、高校でも、御社でも、同じような配慮をお願いします」は無理な話です。
同じように、「発達障害はありますが、普通級に在籍していました」というだけでは、「はい、そうですか」で終わってしまいます。
在籍よりも、「あなたは何を学び、成長したのか」「あなたには、何ができますか」の時代です。


そういった意味でも、学校という場を最大限に活かすために、その子がより良く学べる環境を用意していくことが肝要だといえます。
そのときのポイントは、本人の認知的スキルです。
よく「同じように体験させたい」という理由から、普通級を望まれる親御さんがいますが、学校は体験教室ではなく、一番は学ぶ場ですので、認知的に見て、普通級で学べるか、が重要になります。
認知的な差、不一致がありますと、当然、その場にいるだけのお客様になります。
お客様になると、受け身になり、学習にはつながりません。
大事なのは、主体的に学ぶことですから。
そのためには、やっぱり認知的に理解できる段階まで育っていることが必要です。


また、その認知的なスキルには、学習の土台である発達も含みます。
座位や立位の姿勢保持や、手や指の使い方、感覚の育ちや自分の軸、基本的な運動の発達が完了していることが基本になります。
いくら授業の内容がわかったとしても、基本的な動作、身体、感覚に未発達、ヌケがあれば、授業を受け続けることが難しくなります。
小学校の中学年以降、不登校になる子の中には、この土台の部分の未完成により、学校自体がしんどくなり、結果的に授業についていけない、学力低下、意欲の低下と繋がってしまう場合も少なくありません。
特性云々、支援云々、普通級より支援級という話ではなく、発達という土台の不安定さから、身体がしんどいだけです。


そういった意味で、家庭での取り組みが重要になります。
それは、学習面のフォローという意味ではなく、やっぱり子育てを通して、いかに発達の土台を培っておくか、未発達&ヌケを1つでも多く育てるか、です。
そこが育たない限り、普通級が、支援級が、といった話にはなりません。
学校はあくまで学習する場であって、発達を促す場所ではありません。
教科の時間を削って、「呼吸を育てましょう」「栄養を整えましょう」「感覚刺激を存分に味わいましょう」とはなりませんし、なっても困ります。
学校が教科を教えなくなれば、ひと昔前の特殊学級、養護学校のような空白の12年間へ逆戻りになります。


未発達や発達のヌケを育てていくことで、適切な学びの場、教育内容と目標が変わっていく。
そうなったときに、初めて「交流学習を増やそうか」「普通級への転籍はどうか」という話題になるのだと思います。
未発達や発達のヌケ、つまり、発達という土台が育つことで、学習の準備が整うことになる。
学習の準備が整うということは、本人の認知的なスキルが上がるということです。
本人の今の認知的スキルから見て、支援級が合わないなら、普通級の方がより良く伸びる、学習できるとなれば、是非、転籍を目指してください。
決して、「普通級に在籍したから伸びる」という順番ではありません。
過去に何人もの子ども達が、それでつらい経験をしてきたのを見ました。
私自身も、あのとき、もっと強く言えていたら、きちんと納得できるくらい上記のような説明ができていれば、と後悔することもあります。
発達の土台が育つ→認知的なスキルが向上する→交流級増or普通級転籍の流れです。


単に「学力だけつければいい」という話なら、在籍する教室はどこでもよく、なんなら塾に行って、家庭教師をつけて、なんなら学校に通う必要もない。
でも、どれだけ正確に多く記憶できるかが評価される時代は、とっくに終わっています。
これからは、主体的に学び、自分で答えを見つけていく時代。
答えのない問いに答えを導き出していくには、お客様では無理です。
たとえ、支援級にいたとしても、お客様ではなく、自分で課題を見つけ、答えを出していく主体性が求められます。


「うちの子には、発達障害があるから…」というのは、逆差別です。
発達障害があろうとなかろうと、主体的に学ぶ姿勢を培っていく。
そのためには、認知的な不一致が起きてはなりません。
それが、その子をお客様にし、受け身の姿勢を養うこととなりますので。

コメント

  1. 一つ一つ頷きながら読みました。本当にその通り。
    気持ちを穏やかにしたり、夢を見ることを応援したりすることが、特別支援教育ではないし、特別支援教育に限ったことじゃない。
    相手を納得させたり、精神的に応援したりすることは、教育活動として最低限の当たり前ですよね。
    その子の将来を具体的に見立てて、必要な能力と体力と精神力を身に付けてあげるのが、私たち教育者の仕事なんですよね。
    身に付かなかったら、主体的も意欲的も能動的も始まらない。
    大久保さんの文章を読むたびに、まだまだ頑張らなくちゃと言う思いになります。
    感謝‼️

    返信削除
  2. 無記名で失礼しました‼️
    ムーブメント遊び集団 虹の子 主宰の森です。

    返信削除
    返信
    1. 森さんへ

      お気持ちのこもったコメントを書いてくださり、ありがとうございました!
      コメントにあった『その子の将来を”具体的”に見たてて』の部分に、一番心が惹かれました。

      ときに、夢や理想を語ることが必要なときもあるはずです。
      でも、やはりそれだけではダメで、いかに具体的な見立てと手立て、指導で、その子の能力を引き伸ばしてあげられるか、という部分が大事だと思います。
      教育者は、サイエンティストである必要がありますし、だからこそ、プロの仕事、教育者であると私は考えます。

      森先生の周りにいる子ども達が、持てる資質を磨き、大きな成長と、大きな翼を広げて社会に飛び立っていくことを願っております。
      私も、まだまだ経験も、勉強も、足りませんので、これからも謙虚に精進していきたいです!!

      削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

【No.1358】体軸が育つ前の子と、育った後の子

【No.1364】『療育整体』を読んで

【No.1370】それを対症療法にするか、根本療法にするかは、受け手側の問題