発達のヌケが埋まると、赤ちゃん返り、幼児返りが始まる
以前、発達のヌケが埋まった大人の女性が、若い頃にできなかった青春を楽しむような生活を送るようになったというお話を書きました。
私が「青春の育て直し」と表現したお話です。
生きづらさを抱えていて、十分に味わえなかった青春時代に戻り、そのとき、同世代の人達が味わい、育てていた部分を戻って育て直しをされているのだと私は捉えています。
こういった過去に戻っての育て直しは、子どもの場合でもよく見られます。
発達のヌケが育ち、埋まると、子どもは赤ちゃん返り、幼児返りが起きます。
赤ちゃんのときにできなかった愛着を育む行動をしたり、普通の子が楽しむような遊びに熱中し始めたり、人とのやりとりを楽しむようになったり…。
中には、子ども同士で喧嘩ができるようになった、という子もいました。
呼吸や内臓、感覚や動きなど、生きる上で土台となる部分の発達のヌケが育ち、埋まり始めると、今度は定型発達の子ども達が成長過程の中で何気なくやっているようなことを辿り始める。
そんな姿を見て、生きるための土台作りが終わった人は、人間として生きるための土台作りを始めるのだと感じます。
「ヒトの発達の次は、人間の発達へと進む」
でも、これは自然で、当たり前のことだと思います。
受精した瞬間から進化の過程を辿り、ヒトとしての発達を遂げていく。
そして、ヒトとしての発達が進んでいくと、人間としての発達を始め、自分の身を守り、自分で生活できる「自立して生きる」まで発達を続けていく。
600万年の人類の歴史を見れば、同じ道を辿っていることがわかります。
発達障害の人達は、ヒトとしての発達の部分にヌケがあり、人間として生きるに支障、生きづらさが表れます。
年齢は、すべての人と同じように重ねていきますが、人間としての発達課題はそのまま、未経験、満たされないまま。
こういった状況の人に対して、年齢相応のことを求めたりしても難しいのは当然です。
年齢は時の流れを示すだけであって、ヒトしての発達段階、人間としての発達段階を表していないからです。
発達のヌケが埋まると、赤ちゃん返り、幼児返りするのは、当然だといえます。
赤ちゃんのとき、お母さんが抱っこしても何だか違和感を感じていた子が、大きくなってから抱っこを求め始めることもあります。
「あれ、みてみて」と共同注視を求めたり、「あれ何?」「これ何?」と質問魔になったり、“しりとり”や“にらめっこ”など、幼児が楽しむような遊びにハマりだしたり。
こうやって、赤ちゃんのとき、幼児のとき、同世代の子がやっていたけれども、自分はやってこなかった部分をやりなおし、育てていく。
発達のヌケが埋まり、ホッとしたところに、赤ちゃん返りが始まると、驚かれる親御さんがいます。
でも、大丈夫です。
赤ちゃんのやり残し、幼児のやり残しが埋まると、同世代の子ども達と同じように心身共に発達を遂げます。
子どもの赤ちゃん返り、幼児返りに、とことん付き合ってもらうと、「あっ、うちの子、お兄ちゃんになった、お姉ちゃんになった」と思う瞬間がやってきます。
身体が育ったあと、心が育つといった感じです。
「もう小学生なのに、こんな小さい子がやるような遊びをやって」と悩まれるのではなく、「ああ、小さいときにできなかった、味わえなかった遊びをやりなおしているのね」と捉えられるのが良いと思います。
土台となる部分の発達と同様、やり切るとちゃんと発達段階は進んでいきます。
街を歩いていると、年齢よりも若い格好をしている人を見かけることがあります。
ただの趣味嗜好の場合もあるでしょうが、もしかしたら、当時、何らかの理由でできなかった部分を育て直している途中なのかもしれません。
発達課題は、いつからでもクリアできるし、クリアしない課題は、クリアするまで残り続ける。
発達のヌケが埋まったら、赤ちゃん返り、幼児返りするのは自然なことです。
それがヒトの、人間の自然な発達の流れですから。
同じようなご相談が続きましたので、みなさんにお話ししていることを記事にしてみました。
私が「青春の育て直し」と表現したお話です。
生きづらさを抱えていて、十分に味わえなかった青春時代に戻り、そのとき、同世代の人達が味わい、育てていた部分を戻って育て直しをされているのだと私は捉えています。
こういった過去に戻っての育て直しは、子どもの場合でもよく見られます。
発達のヌケが育ち、埋まると、子どもは赤ちゃん返り、幼児返りが起きます。
赤ちゃんのときにできなかった愛着を育む行動をしたり、普通の子が楽しむような遊びに熱中し始めたり、人とのやりとりを楽しむようになったり…。
中には、子ども同士で喧嘩ができるようになった、という子もいました。
呼吸や内臓、感覚や動きなど、生きる上で土台となる部分の発達のヌケが育ち、埋まり始めると、今度は定型発達の子ども達が成長過程の中で何気なくやっているようなことを辿り始める。
そんな姿を見て、生きるための土台作りが終わった人は、人間として生きるための土台作りを始めるのだと感じます。
「ヒトの発達の次は、人間の発達へと進む」
でも、これは自然で、当たり前のことだと思います。
受精した瞬間から進化の過程を辿り、ヒトとしての発達を遂げていく。
そして、ヒトとしての発達が進んでいくと、人間としての発達を始め、自分の身を守り、自分で生活できる「自立して生きる」まで発達を続けていく。
600万年の人類の歴史を見れば、同じ道を辿っていることがわかります。
発達障害の人達は、ヒトとしての発達の部分にヌケがあり、人間として生きるに支障、生きづらさが表れます。
年齢は、すべての人と同じように重ねていきますが、人間としての発達課題はそのまま、未経験、満たされないまま。
こういった状況の人に対して、年齢相応のことを求めたりしても難しいのは当然です。
年齢は時の流れを示すだけであって、ヒトしての発達段階、人間としての発達段階を表していないからです。
発達のヌケが埋まると、赤ちゃん返り、幼児返りするのは、当然だといえます。
赤ちゃんのとき、お母さんが抱っこしても何だか違和感を感じていた子が、大きくなってから抱っこを求め始めることもあります。
「あれ、みてみて」と共同注視を求めたり、「あれ何?」「これ何?」と質問魔になったり、“しりとり”や“にらめっこ”など、幼児が楽しむような遊びにハマりだしたり。
こうやって、赤ちゃんのとき、幼児のとき、同世代の子がやっていたけれども、自分はやってこなかった部分をやりなおし、育てていく。
発達のヌケが埋まり、ホッとしたところに、赤ちゃん返りが始まると、驚かれる親御さんがいます。
でも、大丈夫です。
赤ちゃんのやり残し、幼児のやり残しが埋まると、同世代の子ども達と同じように心身共に発達を遂げます。
子どもの赤ちゃん返り、幼児返りに、とことん付き合ってもらうと、「あっ、うちの子、お兄ちゃんになった、お姉ちゃんになった」と思う瞬間がやってきます。
身体が育ったあと、心が育つといった感じです。
「もう小学生なのに、こんな小さい子がやるような遊びをやって」と悩まれるのではなく、「ああ、小さいときにできなかった、味わえなかった遊びをやりなおしているのね」と捉えられるのが良いと思います。
土台となる部分の発達と同様、やり切るとちゃんと発達段階は進んでいきます。
街を歩いていると、年齢よりも若い格好をしている人を見かけることがあります。
ただの趣味嗜好の場合もあるでしょうが、もしかしたら、当時、何らかの理由でできなかった部分を育て直している途中なのかもしれません。
発達課題は、いつからでもクリアできるし、クリアしない課題は、クリアするまで残り続ける。
発達のヌケが埋まったら、赤ちゃん返り、幼児返りするのは自然なことです。
それがヒトの、人間の自然な発達の流れですから。
同じようなご相談が続きましたので、みなさんにお話ししていることを記事にしてみました。
なんだか、うれしい情報をありがとうございます。
返信削除小3男子、最近ベタベタ手をつないできたり甘えるようになってきたので、
この年で幼いな~。心身ともに幼いのもしょうがないかな・・・。まっ。かわいいからいっか~。と思っていたのですが、ヌケが埋まってきたサインととらえると
見方がかわります。
以前の癇癪や暴力が「お母さんに甘えている」という状態と説かれても自分に言い聞かせても苦しいばかりでした。
年齢にそぐわなくてもお互いに受容できる「甘え」をみせてきた子を素直に「かわいい」と思えます。
癇癪暴力当時から2年たち、その頻度が収まり、
感じ方の違いはあっても、お互いに会話で意思疎通できるようになってきたことおよび手ごたえを感じてきています。
シフォン様
削除こちらこそ、メッセージを頂き、ありがとうございました。
シフォンさんのような方に読んでいただき、また子育ての後押しになることができたのなら、このブログを書いてよかったと心から思います。
小学生の高学年くらいの子ども達でも、発達のヌケが埋まると、ぐっと幼い子のような行動をとることがあります。
1歳くらいの子が行う後追いをするような子もいて、お母さんの後をついて回っていました。
でも、もちろん、中学生、高校生になっても、そのようなことを続けるわけではなく、ちゃんと満たされれば、自然とやらなくなっています。
シフォンさんの息子さんも、発達のヌケが埋まり、当時足りなかった発達をやり始めたのだと思います。
甘えにも、時期と段階がありますので、「息子の甘えは、いつの頃の甘えのやりなおしかな?」と思い返してみると、より良い接し方、応じ方ができるはずです。
赤ちゃん時代の身体接触の甘えなのか、1歳くらいの子が行う甘えなのか、もうちょっと大きい子が行うような甘えなのか、です。
当時を振り返り、「ここが足りていないな」と思うときの息子さんの姿をイメージしながら、存分に甘えさせてあげると、課題を終えるのが早くなります。
言語を獲得する前の場合は特に、母親の感情がそのままストレートに伝わりますので、お母様ご自身の気持ち、感情、雰囲気も、当時の息子と触れ合うような感じで心がけられるのがポイントになります。
言葉を介さない感情の交流をお楽しみください。
甘え切ったあとは、一気にお兄さんらしくなると思います。
大久保様
削除お忙しい中、丁寧なコメントいただきありがとうございます。
色々なケースをみて経験されてきた先達のご意見は、
私にとって、進むべき道を照らしてくださる灯台のようです。
いつも、真剣に、優しく、貴重な情報を惜しげもなくだしてくださる姿に
涙したり、共感したり、勉強になったり、時に今回のようにタイムリーに
こちらの状況とリンクしたり。(思わず、失礼もかえりみずコメントしてしまいました。)
励まされたり、癒されたり、自分の考えをまとめる時の参考にさせていただいています。
いつもありがとうございます。
ブログ楽しみに拝見しています。