発達と向き合っているから前向きで元気になる

この夏は、いろんな方とじっくり時間をかけてお話ができているように感じます。
そして、お話をしていると、「元気が出ました」「希望が見えてきました」「頑張ってみようと思います」というように、みなさん、前向きな言葉を言ってくださいます。


本人や家族の方達から前向きな言葉が聞かれると、お伺いして良かったと心から思います。
大事なことは、前に足を動かすことですから。
一歩でも、半歩でも、昨日より今日、今日より明日、前に進んでいれば、より良い人生を歩んでいる証です。
時間は後戻りできませんし、前へ前へと進むのが自然の原理というものです。


時々、「話をさせてもらうと、元気になる」「私が前向きな気持ちになるように、前向きな言葉を使うようにしているのですね」などと言われることがあります。
しかし、私は敢えて前向きな言葉を使おうとは思っていませんし、本人のためだったら厳しいこともガンガン言います。
もし意図的に前向きな言葉を使っているとしたら、それは私が特別支援の世界に見た接待していることになりますし、本人の幸せではなく、自分の仕事や自分自身を見て仕事をしていることになりますので、そんなことはあり得ないのです。
接待や支援者自身のための支援は、本人の成長と自立を阻むのを散々見てきましたから。


では、なぜ、前向きな話になるのか。
それは、私の仕事が発達に関わることだからです。
この前も書きましたが、成長には良い成長と悪い成長がありますが、発達には良い発達しかない、ということです。


発達は、前に前にしか進むことができません。
発達が後戻りするなどということはなく、やったらやっただけ発達の器には水が溜まっていきます。
発達にヌケを持ったまま成長したお兄さん、お姉さんも、発達のヌケが埋まった瞬間、どどどっと一気に成長することがあります。
それは、もっと幼かった頃、ちゃんと発達の器に水を溜めていたからです。


当時、その取り組みは、結果として表れなかったけれども、少しずつ水は溜まっていた。
発達のヌケが埋まって堰が切られた瞬間、その水が溢れ出した。
よく「一気に変わった」というような場面に遭遇しますが、それは単に発達のヌケが埋まっただけではなく、それ以外の部分での育み、蓄積がちゃんとあったからだといえます。
たとえ、そのとき、意味がないように見えたことでも、将来を見据え、「きっとこの子の将来に活きてくるはず」「これも大事な学び、成長につながる」と思って、コツコツと取り組まれていた親御さんのお子さんには、こういった堰を切ったような発達、成長の波がやってくるように感じます。


この夏、出会った親御さんが、「子どもの発達っておもしろい」とおっしゃっていました。
本当に、その通りだと思います。
本来、発達とはおもしろいものです。
だって、前に前に進むものですし、やったらやっただけ発達につながっていくわけですから。
もし、子どもさんと関わっていて、そのおもしろさを感じられず、ただ辛いもの、どうなるかわからず不安なもの、というようにしか感じられていないとしたら、それは発達と向き合えていないのだと思います。


良い方向にも行くし、悪い方向にも行く。
そんな風に感じているのでしたら、それは発達ではなく、成長を、いや、成長ではなく、ただ単に行動のみを見ているのかもしれません。
子どもの行動のみを変えようとしているのでしたら、それは不安や緊張感、ときに無力感を感じるもの。


行動の主体は、子ども本人であり、行動を思うがままに変えるのは不可能ですし、もしそれができるとしたら洗脳するか、その子の主体性を奪ってしまうしかないからです。
意のままに操るのも、主体性を奪ってしまうのも、親心もそうですし、自然の摂理にも反することです。
ですから、行動のみに注目し、それを変化させようとしている人達は、ずっと苦しさが漂っている。
「〇〇ができるようになった」と言って喜んでいるようでも、それが本人が発達した結果ではなく、行動変容がもたらした結果だとしたら、心の奥底からは喜べない、むしろ、心の奥底で苦しみ、涙を流していることもある。


また発達を後押しするのではなく、対処をし続けている人にも、同様の苦しさを感じます。
「困ったことが起きたから対処する」
「これができないから、こうやって対処する」
対処には、その場に留める、流れを止める、というようなニュアンスがあります。
たとえ、問題行動であったとしても、その根っこは本人の内側から流れる自然な発露。


もちろん、問題には対処する必要がありますが、それだけではいつまで経って課題は解決しませんし、周囲の人間は本人の流れ、エネルギーを止め続けなければなりません。
問題行動こそ、発達のヌケを育て直し、埋めていく必要があると思います。
課題を抱える子を育てている親御さんが、「毎日、大変」「子育てが辛い」と感じるのは、その問題行動というよりも、その問題に対処し続けないといけない、子どもから出ているエネルギー、流れを止め続けないといけないことに対する悲鳴のように感じることがあります。


治るを目指している本人たちや親御さん達には、エネルギーに溢れ、明るい雰囲気が漂っています。
それは、前に前にと進んでいく発達と向き合っているからであり、自然な流れに沿っているから。
自然と言葉や態度が前向きになるのは当然だといえます。
自然な流れに沿った子育て、生き方というのは、心地良さがあります。
心地良い流れが、子どもの発達を後押しし、親としての本能を存分に発揮させる。
そして何よりも、自分の人生に動きを生み、彩を与える。


治るを目指している人たちは、明るい言葉、前向きな言葉で溢れています。
治るのは、発達だからです。
その子が発達しないから、「行動くらいは変えよう」「対処くらいはしよう」とするのではなく、自然の原理である発達が何らかの理由でうまく進めていけないのだから、そこをどうにかして、本来の前向きな流れにしようとするのが発達援助。


発達は、やったらやっただけ器に水が溜まっていくし、前にしか進めないもの、良い方向にしか進まないもの。
だから、発達と向き合うのはおもしろいことですし、発達援助は本人だけではなく、周りも元気にしてくれるもの。


この夏も、いろんな子ども達の発達、成長の話を聞くことができました。
ガラッと変わった子ども達の周りに、親御さん達の明るく、元気な声が溢れています。
秋の気配を感じる北海道のように、すでに豊かな実りの便りが届いています。

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