治り切るを妨げていたものは…
今朝、きみか先生が言っていたように、人間、仕事とか、生きがいとか、誰かのためになっているという実感とかが、生きる力の源だと思いますね。
病気だからといって、いつまで経っても病人扱いするのは、「病人」というキャラクターを作ることになる。
お年寄りに「もう年だから」と言うのは、老化を加速させるだけ。
山口の行方不明になった子を見つけた男性は、元気な足腰があったから見つけられたのではなく、「誰かの役にたちたい」という想いが活力を生み、行動として表れたのだと思います。
障害があるからといって、障害者扱いをするから、「障害者」というキャラクターが出来上がり、無理をさせない、頑張らせないという姿勢が、生きる力を奪っていく。
私は、子ども達には家庭の中での役割を、若者たちには地域の中での活動を、大人になった人達には社会の中で働くことを勧めています。
「自分が誰かの役になっている」という実感は生きる力につながります。
そういった意味で、社会には人を癒し、発達、成長を促す力があるのだと思います。
発達のヌケが埋まり、治った人達が最後に通る道があります。
それは「発達障害」というラベルを剥がすこと。
支援グッズ、連絡ノート、支援者とのお別れ。
家族の後押しによって、発達のヌケを育て直し、「もう治ったね」と言えるくらいの状態までになった子がいました。
本人も、「もう配慮も、支援もいらない」と言っていました。
そこで私が関わるのを止めたのですが、このくらいで治り切るだろう、本来持っていた発達の流れに戻っただろうという時期になっても、治り切らないし、グラついている。
発達に後戻りはないので、何か治り切る力を押し返しているものがあるのではと思い、再び訪問したのです。
お宅に訪問し、すぐにその原因がわかりました。
治り切るを押し返していたのは、支援グッズだったのです。
この子は、長い間、特別支援を受けていて、私が初めて訪問したときには、家中、支援グッズで溢れていたのです。
当然、必要なものは残しつつも、役割を終えた支援グッズは取り外していくようにお願いしていました。
本人の発達、成長と共に、支援グッズは減っていき、徐々に自然な部屋に変わっていきました。
「もう大丈夫です」と言って支援を終了したときに残っていた支援グッズが、再び訪問したときにも残っていたのです。
親御さんに理由を尋ねることはしませんでしたが、本人に「この支援グッズを見てどう思う?」と尋ねました。
すると、本人は一言「気持ちが悪い」と言ったのです。
この子は、自分でも自信をつけ、「もう大丈夫です」と言う子でした。
でも、部屋にあるその最後に残った支援グッズを見るたびに思い出すそうです、生きづらかった自分、障害者として見られていた自分を。
そして、そのたびに気持ちが落ち込み、結果として治り切るをストップさせる要因になっていた。
発達が満たされると、それまでやっていた遊びや運動をまったくしなくなったり、「気持ちよくない」「もうやりたくない」という気持ちになったりすることがあります。
それと同じで、必要のなくなった支援グッズに対し、思いや見え方が変わってくることもあるように感じます。
最後に残った支援グッズを外すように、親御さんに提案しました。
そのあと、すぐに実行していただき、ほどなく本人の気持ちの揺らぎがなくなりました。
そして、そのまま順調に発達、成長の流れに乗っていったのです。
このような経験から、ちゃんと障害名や特別支援とお別れすることも、治り切るには大事な儀式であり、通過儀礼のようなものだと考えるようになりました。
治った方たちからは、「日常生活で障害を意識しない、意識することなく生活できている状態が治った」というお話を聞きました。
私も、本当にその通りだと思います。
発達的に言えば、ちゃんと埋まり、もう治っているはずなのに、という方が、治る手前で行ったり来たりしていることがあります。
そのような人を見ると、障害や過去を連想するものが側にあったり、定期的な支援者との関わりがあったりします。
当然、完全に切ってしまわない方が良い状態の人もいるでしょうが、治るに関して言えば、完全にお別れするのが良いと思います。
そして社会に出て、同世代の人達と同じような環境、人間関係を新しく築いていった方がしっかり治っていくし、そのあとの成長に繋がると感じます。
必要のない支援グッズや支援、支援者を減らしていくのは、刺激を減らし、心身の余裕を生むと同時に、自然な環境、新しい世界に飛び立つ準備、助走を始めることだと考えています。
ですから、私の支援、関わりは、極力回数を減らすことが大事であり、私の余韻を残さないようにするのが重要なのです。
ある一般就労している若者が、「未だに学校の先生がやってくる」と怒っていました。
小さな街ですので、そのお店を支援の先生が利用することもあるでしょう。
でも、ちゃんとこうして一般就労し、普通の人として何年も働いているのに、「支援学校の〇〇ちゃん」としてやってきて、話しかけてくるのが許せないそうです。
学校の先生というのは、卒業後も先生で、プライベートも先生という人が少なくないような気がします。
学生時代は、特別な支援が必要だった子かもしれないし、あなたの教え子だったかもしれない。
でも、卒業し、社会人として働いているのだから、一般の人同士で接する必要があると思います。
愛着障害を抱える支援者というのは、いつまで経っても支援者でいようとし、いつまで経っても生徒、利用者から離れられないものです。
支援グッズも、配慮&支援も、支援者も、必要なときに利用するもので、あとは気持ちよく捨てていくものだと思います。
それが、本当の意味での「自立する」ということですから。
「支援を受けながら自立する」という矛盾した言葉同士をくっつけちゃうのは、どうにかこうにか続けさせたい、という想いから生まれた寂しいアイディア。
自立や治るためのプロセスには支援が必要であっても、ゴールテープを切る瞬間には必要がないもの。
別の言い方をすれば、支援が必要だと思っている限り、自立も、治るも、ないということなのだと思います。
病気だからといって、いつまで経っても病人扱いするのは、「病人」というキャラクターを作ることになる。
お年寄りに「もう年だから」と言うのは、老化を加速させるだけ。
山口の行方不明になった子を見つけた男性は、元気な足腰があったから見つけられたのではなく、「誰かの役にたちたい」という想いが活力を生み、行動として表れたのだと思います。
障害があるからといって、障害者扱いをするから、「障害者」というキャラクターが出来上がり、無理をさせない、頑張らせないという姿勢が、生きる力を奪っていく。
私は、子ども達には家庭の中での役割を、若者たちには地域の中での活動を、大人になった人達には社会の中で働くことを勧めています。
「自分が誰かの役になっている」という実感は生きる力につながります。
そういった意味で、社会には人を癒し、発達、成長を促す力があるのだと思います。
発達のヌケが埋まり、治った人達が最後に通る道があります。
それは「発達障害」というラベルを剥がすこと。
支援グッズ、連絡ノート、支援者とのお別れ。
家族の後押しによって、発達のヌケを育て直し、「もう治ったね」と言えるくらいの状態までになった子がいました。
本人も、「もう配慮も、支援もいらない」と言っていました。
そこで私が関わるのを止めたのですが、このくらいで治り切るだろう、本来持っていた発達の流れに戻っただろうという時期になっても、治り切らないし、グラついている。
発達に後戻りはないので、何か治り切る力を押し返しているものがあるのではと思い、再び訪問したのです。
お宅に訪問し、すぐにその原因がわかりました。
治り切るを押し返していたのは、支援グッズだったのです。
この子は、長い間、特別支援を受けていて、私が初めて訪問したときには、家中、支援グッズで溢れていたのです。
当然、必要なものは残しつつも、役割を終えた支援グッズは取り外していくようにお願いしていました。
本人の発達、成長と共に、支援グッズは減っていき、徐々に自然な部屋に変わっていきました。
「もう大丈夫です」と言って支援を終了したときに残っていた支援グッズが、再び訪問したときにも残っていたのです。
親御さんに理由を尋ねることはしませんでしたが、本人に「この支援グッズを見てどう思う?」と尋ねました。
すると、本人は一言「気持ちが悪い」と言ったのです。
この子は、自分でも自信をつけ、「もう大丈夫です」と言う子でした。
でも、部屋にあるその最後に残った支援グッズを見るたびに思い出すそうです、生きづらかった自分、障害者として見られていた自分を。
そして、そのたびに気持ちが落ち込み、結果として治り切るをストップさせる要因になっていた。
発達が満たされると、それまでやっていた遊びや運動をまったくしなくなったり、「気持ちよくない」「もうやりたくない」という気持ちになったりすることがあります。
それと同じで、必要のなくなった支援グッズに対し、思いや見え方が変わってくることもあるように感じます。
最後に残った支援グッズを外すように、親御さんに提案しました。
そのあと、すぐに実行していただき、ほどなく本人の気持ちの揺らぎがなくなりました。
そして、そのまま順調に発達、成長の流れに乗っていったのです。
このような経験から、ちゃんと障害名や特別支援とお別れすることも、治り切るには大事な儀式であり、通過儀礼のようなものだと考えるようになりました。
治った方たちからは、「日常生活で障害を意識しない、意識することなく生活できている状態が治った」というお話を聞きました。
私も、本当にその通りだと思います。
発達的に言えば、ちゃんと埋まり、もう治っているはずなのに、という方が、治る手前で行ったり来たりしていることがあります。
そのような人を見ると、障害や過去を連想するものが側にあったり、定期的な支援者との関わりがあったりします。
当然、完全に切ってしまわない方が良い状態の人もいるでしょうが、治るに関して言えば、完全にお別れするのが良いと思います。
そして社会に出て、同世代の人達と同じような環境、人間関係を新しく築いていった方がしっかり治っていくし、そのあとの成長に繋がると感じます。
必要のない支援グッズや支援、支援者を減らしていくのは、刺激を減らし、心身の余裕を生むと同時に、自然な環境、新しい世界に飛び立つ準備、助走を始めることだと考えています。
ですから、私の支援、関わりは、極力回数を減らすことが大事であり、私の余韻を残さないようにするのが重要なのです。
ある一般就労している若者が、「未だに学校の先生がやってくる」と怒っていました。
小さな街ですので、そのお店を支援の先生が利用することもあるでしょう。
でも、ちゃんとこうして一般就労し、普通の人として何年も働いているのに、「支援学校の〇〇ちゃん」としてやってきて、話しかけてくるのが許せないそうです。
学校の先生というのは、卒業後も先生で、プライベートも先生という人が少なくないような気がします。
学生時代は、特別な支援が必要だった子かもしれないし、あなたの教え子だったかもしれない。
でも、卒業し、社会人として働いているのだから、一般の人同士で接する必要があると思います。
愛着障害を抱える支援者というのは、いつまで経っても支援者でいようとし、いつまで経っても生徒、利用者から離れられないものです。
支援グッズも、配慮&支援も、支援者も、必要なときに利用するもので、あとは気持ちよく捨てていくものだと思います。
それが、本当の意味での「自立する」ということですから。
「支援を受けながら自立する」という矛盾した言葉同士をくっつけちゃうのは、どうにかこうにか続けさせたい、という想いから生まれた寂しいアイディア。
自立や治るためのプロセスには支援が必要であっても、ゴールテープを切る瞬間には必要がないもの。
別の言い方をすれば、支援が必要だと思っている限り、自立も、治るも、ないということなのだと思います。
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