【No.1341】親になるのに免許はいらない

パイロットの仕事は、乗客を安全に目的地まで運ぶことです(@岩倉学生)
いくら運ぶことができたからといって、乗客を危険な目に合わせたり、怪我を負わせるようなことはいけません。
当然、羽田に着く便を伊丹に向かうのも問題です。
同じように消防士は火を消すという職務を果たす必要がありますし、料理人なら注文を受けたメニューを提供しなければなりません。
しかし、こんな当たり前のことを果たさなくても許される職業があるのです。


そうです、医師ですね。
医師の職責は患者さんを治すことです。
でも実際はどうでしょうか?
医師はちゃんと患者さんの病気を治していますか?
救急医療や外科手術に関しては、その医師しかできない技術であり、「治す」という範囲に入るかもしれません。
しかし慢性疾患はどうでしょう。
腰痛って治せますか?
糖尿病って治しているといえますか。
ましてや、精神疾患、発達障害においては、ハナから自分たちで「治るものではない」と言っている。
患者さんを治さない医療は、何をしているのでしょうか。
なんのために存在しているのでしょうか。


慢性疾患における医療は、診断と薬の処方という対症療法に限られています。
でも、これは治しているわけではありませんよね。
昔の日本は東洋医学が中心で、医術者と言われるような人たちが困っている患者さんのすべてを診て、漢方を調合したり、施術をしたりしていました。
ですから、この時代の医療はなんでも診ていたし、その医術者が「治せる者かどうか」という評価基準があったわけです。
古い文献などには、流しの医術者がいたり、わざわざ遠い地から名医と言われる医術者を呼び、治療にあたらせたという記述もあります。


しかし西洋医学が日本に入ってきてから、そういった医術者は時代遅れで野蛮な存在にされてしまいました。
特に20世紀に入ってからというもの、徹底的な排除の方向で進んできたのです。
じゃあ、なんでそうなったかといえば、西洋諸国、とくにアメリカで起きていたことを知ればわかります。
アメリカでも本人の自己治癒力を引き出す医療が行われていました(ホメオパシー医学)。
でも、「そういったものは野蛮な医療だ」「効果がない」というプロパガンダを行い、徹底的に排除する流れが起きた。
それは豊富な石油が手に入るようになったあと。


石油から精製し薬を作り出すことに成功した製薬会社と、お金の力によって飼いならされた医師とその組織。
徹底的に治る医療、治そうとするを排除することに成功したあとはやりたい放題で、今につながっているのです。
自分たちに有利な基準を作り、診断をつけ、病気を作る。
診断名に対して薬を処方し、その処方によって副作用や新たな病気を引き起こさせ、さらにそれに対応した薬を処方する仕組み。
何よりも、医師の腕による違いをなくし、また治さなくても良いという評価基準を作った。
そのために医師を神格化し、医師免許という一般の人には手に入らないお墨付きを与えた、いや自分たちで作ったといえます。


こういった高々100年くらいの歴史を調べれば、今回の茶番デミックに引っかかるわけがなく、「ああ、いつものパターンね」とすぐにわかる。
ましてや、発達障害の分野で仕事をしていましたので、診断名を創造する→診断の範囲を広げる(患者を増やす)→継続的な服薬(薬で儲ける)でいっちょ上がりという意図がわかるのです。
私は別に医療に恨みはありませんが、そもそもが治そうとしていない現代医療だし、薬を飲ませるところがゴール、もっといえば医療に依存させることが目的になっているので、そんなものに頼ったりするのはまずいし、崇めるなんてもってのほかと思っているから発信を続けているだけです。
ちなみに日本人は「一挙両得」と言いますが、彼らは一度に2回おいしいだけではなく、3回、4回、5回と狙う傾向が強くあります。
食糧危機を煽ることで、種で儲ける、肥料で儲ける、食糧備蓄で儲ける、農薬で儲ける、昆虫食で儲ける、遺伝子組み換え技術の特許で儲ける、株で儲ける、安いうちに買い占めて自分たちでパニックを起こさせその差額で儲ける、そしてそれを食べて病気になった人に対する薬で儲ける、といった感じに。


つまり、医療から離れる、医療のお世話にならないようになることが、治っていくための一歩なんですね。
発達障害だって、薬を売るために作られた障害名です。
一昔前は、落ち着きがない子、元気な子、寡黙な子であり、発達がゆっくりな子で、大器晩成だね、と言われていたんです。
何度も繰り返し述べていますが、日常生活がままならない子は障害があり、ケアする必要があると思いますが、それ以外の子は普通に育てたほうが良いでしょう。
そうやって700万年、人類は生きてきたのですから。


医療はもちろんのこと、今の特別支援教育や療育に関しても、本当にそれが意味あることなのか、子どもの発達や将来の自立につながっているか、怪しいところもある。
それこそ、同じ子どもをクローンで用意して、片方は同年齢と同じような環境で育て、もう片方を特別支援の世界で育てる。
その両方を比べてみなければ、本当に意味があることなのかはわかりませんね。
だからぶっちゃけ、親のために医療に通っているんでしょ、療育や特別支援に行っているんでしょ、と私は思います。


「私の子育てではなく、この子に障害があるから」と思いたいがために、一生懸命療育に通い、それを外にアピールしている人もいるでしょう。
自分で根本から治すだけの気力と決心がないから、インスタントに服薬に頼る人もいるでしょう。
自分の過去の過ちを打ち消すために「治った」アピールをしている人もいるでしょう。
自分の愛着不全や家族との不仲の代替えとして、優しく受け止めてくれる支援者やカウンセラーのところに通っている人もいるでしょう。
もしそうじゃなければ、最初から医療や特別支援の限界に気が付いていて、「これは部分的な利用」「一時的な利用」という認識でいるはずです。
実際、そういうご家庭からどんどん自立へと向かっている。


私は何も全員に「強くなれ」「甘えるな」と言っているのではありません。
そういった自分の弱さ、醜さを直視することが大事だと言っているのです。
SNSで愚痴の一つ言わなきゃならない状況がある。
それはその人の選択だし、その人しかわからない状況があり、その人だけの歴史があるのでしょう。
どんな人間だって、気分が落ち込むこともあれば、完璧に何でもできるわけでもありません。
たまたま今うまくいっていないだけかもしれませんし、ほかの人がみんなうまくいっているかと言えばそうでもないでしょう。


私は人間、みんなポンコツだと思うし、こんな仕事をしているけれども、わが子の子育てがうまくいっているとも思っていません。
だから日々、自分のポンコツ具合と向き合い、だからこそ、日々よくなるように、自分自身と周りが向上できるように努力するしかないのだと思っています。
一見すると理不尽な医療だと捉えてしまいそうですが、医療は治せないからこそ、独占支配と医療の神格化を目指し努力を続けてきたともいえますね。
もしかしたら間違っているのは、勝手に医療に治すことを期待し、あたかも医療に関しては全能であると勘違いしている我々のほうかもしれません。


医療は発達障害を治せません。
特別支援も治せません。
専門家も治せないし、私も治すことができません。
唯一治すことができるのは、本人だけ。
そしてその本人を一番そばで後押しできるのが家族。
「私がダメな親で」「親に向いていないんです」と言う親御さんが少なくないですが、ポンコツな人間が頑張って子育てをしているにすぎませんね。
親になるのに免許はいらない。
ということは、神格化する必要がないくらい治せる存在でもある。
子どもがよりよく育つ環境の一つとしての親の存在。
ポンコツだからこそ、よりよい明日を目指して一緒に頑張っていきましょう。




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