【No.1228】親御さんも参加する教科書作り

支援学校では教科書を使っていないところが多く、また支援級においても、教科書に沿った学習をしているところもあれば、ほとんど教科書を使わず学習をしているところもあります。
意外にこの実態を知らない親御さんは多く、もちろん、初めてのことですから仕方がない面もありますが、こういった話をすると驚かれる方もいらっしゃいます。
「じゃあ、どうやって授業をするのですか?勉強するのですか?」という疑問が湧くのは当然で、「固定された教科がなく、いろんな要素を柔軟に子どもに合わせた授業を行っているようです」と形式的な説明を行います。


実際、私も某国立の附属養護学校の授業の補助、教育実習に行ったときはその事実に驚き、教科書がないということは、一つずつ先生が授業を考え、指導しなければならないということで、それだけ先生の力量が問われると思っていました。
当時、養護学校の先生は普通級の先生よりも大変で、専門性が求められる仕事だと思っていましたが、どこの組織、仕事も同じように1割くらいが優秀で8割が普通の人、残り1割が働かないということがあり、一生懸命、いちから授業を組み立て、子どもに合わせた教育をしようとしている先生はごく僅かで、結局、前年度の同じ時期にやっていたことをそのまま授業でやるだけ、という先生ばかりでした。


建前では「教科にとらわれない柔軟な教育」となっていますが、実際は何年も同じ内容の繰り返しだったり、「それを行って本当に子どもの知識や技能の獲得に繋がっているの?」、悪く言えば「時間つぶしじゃないの」と見えることがあります。
コロナ以前から感じていたことですが、特に支援学校に通っている子ども達の場合は、「怪我なく、落ち着いた状態で下校させる」が第一目標になっているような感じがあり、教育の内容が二の次、三の次になっているような気がします。
また実際、親御さんの中にも、「元気に通ってくれればいい」という人もいて、それがある意味、支援学校の先生たちをサボらせてしまっているようにも思えます。


支援学校で中心に行われている教育というのは、身辺自立、身の周りに関すること、そして将来の福祉的な仕事に向けた作業学習だといえます。
申し訳ないですが、支援学校に通ってくる子ども達は「重い子達」という認識があり、最初から福祉の予備校、もっといえば、福祉までの時間つなぎ、経過処置のように言えなくもないと思います。
将来、福祉の世界で生きていくのなら、支援学校など行かず、そのままグループホームや通所施設に通えば良いのではないでしょうか。
つまり、「なぜ、支援学校に通うのか?」が曖昧になっているということなのです。


「重度」という言葉は、「できなくても重度だしな」という想いを持たせるものです。
また指導する内容が決まっていないこと、普通教育のような教科書がないことは、頑張れる先生はとことん頑張れるし、ラクをしようと考える先生がいればとことん手を抜くことができます。
先生側のやりがいの面にしても、子どもの成長がゆっくりで、身につくまで時間がかかる分、気持ちが安定志向へ向かいがちなのも想像がつきますし、何よりも「これって障害うんぬんというよりも、家庭のしつけの話じゃないの」ということも学校の中でやらなくてはいけませんので、教育なのか、福祉なのか、介護なのか、よくわからないような状況もあると思います。


普通級では教科書があり、教える内容が決まっていますのでありませんが、支援級、支援学校の場合、一年間の教育目標を話し合う支援ミーティングが行われます。
この先生と一緒に子どもの目標を決めていく作業は、教科書作りに近いと私は考えています。
教科書はある意味、先生を縛る分、先生の力量ややる気に関わらず、一定の学習を子ども達に担保するものでもあります。
新卒の先生も、ベテランの先生も、日本全国、子ども達は同じような学習の機会と知識、技能を得ることができます。


一方で支援学校、支援級においては、住んでいる地域というよりも、先生一人ひとりによってまったく内容が異なります。
支援学校でも教科学習、読み書きそろばんの力をつけさせようと頑張っている先生もいれば、1分もそのような授業は行わないという先生もいます。
将来の自立を目指し指導している先生がいる一方で、「どうせ福祉でしょ」と言って元気に楽しく一日が終わることを目指している先生もいます。
もちろん、子どもの発達、成長、内面、世の中の見え方を我がことのように感じられる先生もいますし、退職金アップのために、普通級にいづらくなったために、支援学校にいる先生もいるわけです。
こうなると、何もアクションを起こさなければ、先生次第、運次第で、子ども達の教育が決まってしまいますし、それこそ将来の自立に関わってきます。


ですから、支援ミーティングにおいて、きちんと目標を考え、何を指導してもらうかを検討することが大事だと思います。
その目標が抽象的なものになればなるほど、先生は子ども達のそのときそのときの状態と成長に合わせて臨機応変に授業ができる利点がありますが、そのような力を持っていない先生であれば、具体的ななにかを習得することなく、一年間が終わる可能性もあります。
これは逆も言えて、親御さんが細かくて具体的な目標を要求すれば、臨機応変にできる力量のある先生にとっては窮屈で、かつ子どものニーズに合っていないものをやってしまう可能性がありますし、「この先生、大丈夫かな」と思うような先生にとっては現状維持ではなく、きちんと知識や技能習得に向けた授業を行ってくれるようになるので良いともいえます。


支援級の先生も、支援学校の先生も、一年間で中心的に担当する児童、生徒は3人くらいです。
20年のベテランの先生も、出会ってきたのは100人にも満たないでしょう。
つまり、「どんな子でもどんと来なさい」というには関わる子ども達の人数が少ないといえます。
私がトレーニングを受けた方は、「自閉症の人、年齢を問わず、1000人と関わり、支援、療育をして初めて一人前」という話をしていました。
私もこの道に入って20年くらい経ちますが、まだ1000人には到達していないと思います。


ということは、「先生だからお任せします」ではなく、一番子どものことを知り、それこそ胎児期から今までの成長の歴史を知っている親御さんなのですから、積極的に支援ミーティングという教科書作りに参加してほしいと思います。
公立の先生はどうしても異動がありますので、我が子がどういった成育歴だったか、に学校でどのような授業を受け、どのような学びをしてきたか、を毎年伝えていくことが大事です。
学校の先生の強みは、1人の子どもと「教育」という点に絞って、集中してとことん向き合えるということだと考えています。
朝の8時半くらいから15時くらいまでの年間200日以上。
この環境が活かせたら、子ども達は多くのことを学び、成長できる1年間になると思います。
子どもにとっての1年はとても長く、貴重なものですから。
*あくまで学校は「発達の場」ではなく、「学習の場」だと私は考えています。




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