【No.1217】子ども次第であり、親次第

「PCR陽性=感染」という設定。
「無症状者が感染させる」という設定。
「(新コロのみ)年をまたいで累計数を出し続ける」という設定。
「症状がない人も患者」という設定。
「マスクが感染を防ぐ」という設定。
「変異したウィルスは必ず飛行機に乗ってやってくる(世界同時多発的に同じような変異も起きるのでは)」という設定。
もういい加減、やめてくれないかと思いますし、気づけよ国民という感じがしています。
ここまでくると、意図的に引き延ばしたい人達がいるとしか考えられませんね。


今回のウィルスで顕著だったのは、人による違いです。
アジアと欧米の人達では状況が大きく異なりました。
同じ日本人でも、高齢者と若年者・子どもでは症状や命の危険度は異なります。
子どもにとってはただの風邪であり、毎年命を奪うインフルエンザのほうが脅威だといえます。
ある人にとってはリスクになりますが、ほとんどの日本人にとっては2年間も過剰な対策をし、自粛をし、個人の権利と幸せ、自由を投げ捨ててまでをも恐れるべきリスクではなかったのです。


本来、個人個人でリスクが異なりますので、「国民全員が」というのはマイナスのほうが大きくなるといえます。
社会全体でリスクがある人を守り、それ以外の人は動いて社会を回す必要があった、人生の幸せのために行動すべきであった。
しかし、出てくる専門家は個人を殴り捨て、すべてが均一の人間かのように提言をしてきました。
個人という差を勘案しないから、「気の弛み」という行動の違いによって感染するしない、リスクのあるなしを設定していたのだと思います。
健康な人はいちいち消毒しなくても、マスクをしなくても、会食をしても、おのれの自然免疫でウィルスをやっつけてしまうでしょう。
一方で、病院という感染対策が徹底された場所でも、クラスターは起きているわけで、もともと健康に不安を抱えている人がいる場所ですから、彼らの気の弛みのせいではなかったはずです。


ハッタツの世界に20年ほどいますが、口では「個別支援」「一人ひとりが違う」と言いながら、一度「自閉症」「ADHD」などが付くと、均一な支援、療育が行われてきました。
何度も申し上げているように診断名で支援も、療育も、教育もできっこないのです。
同じ自閉症という診断名でも、どうしてその症状が出ているのかは個人個人で大きく異なります。
年齢による違い、環境による違い、どんな発達課題を抜かしているか、どのくらいの期間、そのヌケた状態が続いているか。
親御さんや支援者たちは、その症状に対して、どんなアプローチを行ってきて、どういった方向で発達の後押しを行っているのか。
それらを勘案しなければ、同じ診断名でも、同じ症状でもアプローチの仕方が異なります。


2000年代、高機能ブームがきたあと、彼らの社会性の課題について画期的なアプローチができたと、こぞってSSTを学び、実践していた時期がありました。
バカの一つ覚えのように、全国各地、療育機関でも、施設でも、学校でも、相手が自閉症、発達障害者なら、中には身体障害の子ども達にもお構いなく、実践していたのです。
その状況を見て私はすぐに過去のTEACCHブーム、ABAブームを思い浮かべました。
猫も杓子も自閉症で、視覚支援を行い、トークンとご褒美で行動を変えようとしていた人達の姿。


私がここで申し上げたいのは、TEACCH、ABA、SSTなどの療法が役立たずであったというのではありません。
それぞれの療法も、人によっては意義のあり、効果的なものもありますが、個人によってはまったく効果がなく、むしろ逆効果だったものもありますし、同じ人であっても発達段階、年齢、時期によって良い悪いが変わることもあるのです。
つまり、療法自体は最初から個別的であり、限定的なものであった。
しかし、それを使いこなすだけの支援者、先生側に問題があったのです。
習ったことをそのまま、目の前の自閉っ子に行うのは人体実験になります。
習ったことをまず支援者、先生が咀嚼し、自分の血肉にしたあと、目の前の自閉っ子に合わせてカスタマイズして初めて意味のある支援、療育になるのだといえます。


結局、人が人を育てる話になりますので、どんな専門性をもっているか、どんな知識、知見、技術を持っているかよりも、大切なのはカスタマイズできる力です。
ですから私は事業計画の段階で、特定の療法を売るような商売はしないと決めていました。
特定の療法ですと、ブームが去れば事業は終わりになります。
またそのブームが去ったあとも、自分の療法にこだわるのなら、それはお客さんである個人がその療法のほうに合わせなくてはいけなくなります。
ハッタツの世界で見てきた数多の療法は、一度下がると再び上がることはありませんでした。
根本が運用する側のカスタマイズ力になりますので、そこに目を向けなければ、どんな療法をやろうと運次第になります。


子ども達の発達の課題をクリアしようとするのなら、また安定した生活、自立した生活を目指すのなら、まずは親御さん自身が我が子にカスタマイズできるくらいにならなければなりません。
しかし、支援者は親御さんをお客さん扱いしてしまいますので、そして親御さんの力量の差についての言動はご法度なので、カスタマイズ力は求めない。
となれば、表面的な療法のマネばかりが氾濫し、結局、子どもさんの課題はクリアできない。
で、よくわからないけれども、同じ療法をやっているのに、うちの子に効果がないのは、自分自身の勉強が足りないからだと、親御さんは無駄に落ち込む。
そこで、「いやいや、カスタマイズできていないからですよ」と支援者は言わない。
というか、支援者の大多数は子ども一人ひとりを観る力、習ったことを改変する力に難がある。
中には作りかえられる力を持っている支援者もいるけれども、欧米のお免許システムにより「勝手に習った方法、順序を変えるのは契約違反」という誓約書にサインしてから資格を貰う場合もあるので、手足を縛られていることもある。


という姿を見てきましたので、特定の療法にこだわるのではなく、いいとこどり。
結局、子の発達は親次第でもあるので、親御さんを後押し、援助する仕事にしようと考えました。
ですから、家庭訪問という形態をとっていますし、子どもさんのどういった部分に注目するか、そして具体的に今ある環境でどういったアプローチができるかをお伝えするようにしています。


ここ数年、栄養療法がブームですが、それは子どもさんが変わること以上に、親御さん自身が変化を実感するからではないでしょうか。
それだけ私達大人の健康は長年の蓄積と現在の余裕の無さから脆弱なんだと思います。
親御さん自身が心身を整えることで、脳みそと身体に余裕が生まれます。
その余裕が新たな発想、柔軟な発想を生み、子育てという身体活動のエネルギーとなるのです。
親御さんがいくらお金持ちでも、いくら懸命に療育や支援に通っても、支援者は家庭生活を含めた24時間をカスタマイズすることはできません。
できたとしても、その療育機関で過ごしている数時間、学校で過ごしている数時間なものです。
しかも、支援者自身がそのカスタマイズ力をもっているかどうか…。


子どもの課題がクリアできるかどうか。
子どもの発達障害が治るかどうか。
それ自体がすべて「親次第」と申し上げるつもりはありません。
何故なら、発達の主体は子どもさん自身だから。
子どもさんが何を育てようとし、何に興味関心を示すか、そして持っている発達する力によるところが大きいのです。
しかし、その子どもさんの内側にある発達する力をより大きくするか、発揮できるだけの環境を準備できるかは親御さんの力によるところが大きいといえます。
幼児さん、小学校低学年くらいまでは、家庭と親御さん、家族が生活の大部分を占めるからです。
今年も「自分自身が変わりたい」「より良い育ちの環境になりたい」という親御さん達と共に頑張っていきたいと思っております。




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