【No.1226】施設の目標と学校の目標の違い
息子が小学校からもらってくるプリントは、毎回楽しみに読んでいます。
とくにコロナ騒動に対する考え方や世の中の動きを読みとるのには最適です。
2020年のコロナ騒動の始まりの頃は、文部科学省も「マスクの着用」を強く求めていました。
しかし、夏の熱中症や体育のマスク着用による健康被害、そして残念ながら落選してはしまいましたが静岡から選出された青山前衆議院議員が尾身会長、当時の厚生労働大臣、萩生田文部科学大臣との質疑によって強い要請が徐々に「お願い」になり、「推奨」へと文部科学省の文面が変化していきました。
それに応じて北海道教育委員会も、いつの間にかマスク着用などの感染対策の”お願い”に変わったのです。
しかし学校の文面は、いまだに「感染対策を徹底します」と記されています。
これは現場の「絶対に陽性者を出してはならない」という想いが表れていますし、子どもの健康、心身の影響が二の次、三の次になっているとも読みとれます。
ただ学校の校長、教頭は賢い人でしょうから、ここの文章にはいつも主語が抜けているのです。
学校の先生たちが「感染対策を徹底します」なら問題ないでしょう。
それは組織として、学校としてのお話なので。
でも実際は、子ども達にマスク着用を促したり、外している子を注意したり、挙句の果ては「鬼ごっこ禁止」「放課後友達の家で遊ぶのは禁止」と来たものだから、親として、一人の大人として今回も指摘させていただきました。
もちろん、文面で(笑)
この主語が誰なのかの件は、毎度はぐらかしていたのを徹底して突き、「それは学校です」という言葉が出たので、今後、文面が変わっていくかもしれません。
日本語には主語がない場合が往々にしてあり、それこそ行間を読む文化ですから、それをうまく利用し責任回避で「読み手の責任でしょ」という風に出してくる人達がいるので注意が必要ですね。
私は福祉と教育の世界にいたことがありますので、こういった表現、言葉の両者の違いに感じることがあります。
それは目標を立てるときです。
福祉施設も、毎年、新年度開始時に支援目標を立てます。
その際、気を付けるルールがあって、それは「誰が見てもわかる目標を」と「評価できる目標を」立てることでした。
たとえば、「トイレの自立」「一人でトイレができるようになる」などはダメで、「排便時、自らトイレの便器に座り、用を足す」とか、「トイレットペーパーを取り、便の付着がない状態までおしりを拭くことができる」とか、「拭きとり後、便器のふたを閉めたあと、レバーを押し、流すことができる」とか、「排便後、トイレの手洗い場に移動し、手を洗うことができる」とか、とにかく具体的に目標を立てるのです。
その理由は、利用者の人達が知的障害の重い人ばかりだったのもありますが、あくまで主体は利用者本人である、ということがあったと思います。
また人権の面での意識もあったはずです。
もし曖昧な目標、なんとでも解釈できるような文面を書いてしまうと、本人たちからの訴えはないものですから、支援者は少しでも仕事がラクになるようテキトーに支援するようになるでしょう。
それこそ、提出することが目標になる目標を立てることになるので、実効性が乏しく、本人たちのQOL、自立度が向上することのないお役所文章になるのです。
施設職員を辞める前の2,3年は職員たちが立てた目標と年度末の評価を確認助言する役目に従事していましたので、とくにあくまで「利用者本人のための目標」というのは強く意識していました。
退職後、そこから学校の世界に入るのですが、まあ、驚きの連続です。
もちろん、サンプル数が1校で、短い教員生活でしたので、これで「日本の学校全部」と申し上げるつもりはありませんが、とにかくお役所文章でびっくりしました。
だって、最初に言われたのが、「親から突っ込まれないような目標を立てる」ですから。
なるべく良い印象を与えるような文章を書き、そして評価はいか程にも書けるような目標を立てる。
施設ではとにかく「具体的に」でしたが、そこからとにかく「曖昧に」になったのです。
しかも、前期の目標の評価はちょっとできたように書き、後期の目標はしっかりできるようになったと書くのがコツという先輩の貴重なご意見を賜りました。
学生時代から親御さんが「学校ではできると言われるが、家では同じことができない」という話は聞いていましたが、そもそもその目標自体が曖昧で、評価もほぼ文章の創作活動だったのなら、「そりゃー、家でできるはずはないよな」と合点がいったことが思いだされます。
安倍嫌いのマスコミ、野党同様に、「桜を見る会」や森友学園に関わる文章改ざん問題に注目していた国民は多かったと思います。
今も国土交通省の統計の不正問題が挙がっています。
そういった出来事は社会の縮図であり、私達の生活の中にも同じ構造、問題が隠れているのだと思います。
岸田首相の会見を見ればわかるように、「前向きに検討し、徹底的に抑え込めるよう国民の皆さまの期待に応えるべく頑張る所存であります」と、本当になにも具体的なことは言っていません。
人は責任を取りたくないとき、曖昧な言葉を使い、法的な根拠などがないときに、いかほどにも解釈できるような言葉を使うものです。
敢えて主語を抜かしてしゃべるのも、その技の一つです。
これから年度末の評価の時期になり、学校の支援ミーティングに参加される親御さんもいらっしゃると思います。
その際、気を付けて文章を確認してください。
その評価は、きちんと第三者が評価できるものになっているのか、「できる・できない」という評価は、どんな行動のどんな部分が、またはその活動全体ができているのか、できていないのか、きちんと先生に訊く必要があると思います。
よくあるパターンが、たとえば学校で「給食の配膳当番ができている」という評価があって、それを聞いた親御さんは「そんなことが学校ではできているのね」「家でもごはんの準備手伝ってもらおうかしら」と思っちゃうことがある。
で、先生も「〇〇くん、立派にできていますよ。家でもできるはずです」などと持ち上げる。
でも、家でやらせようとしてもできない。
その姿を見て親御さんは「家だから」「親だと甘えているから」などと落ち込む。
しかし何のことはなくて、学校では先生が横につき、あれこれと指示を出して配膳をやっているだけ。
つまり、「給食の配膳当番ができている」という目標は達成している。
一方で私が勤務していた福祉施設のように、「一人で給食室まで移動し、【2-A】と書かれたコンテナを持ち、教室まで戻ってくる」「鍋も蓋を開け、お玉を使い、汁を溢れないように1人分ずつお椀に入れることができる」だと、目標は未達成になります。
私自身は、本が好きですし、この行間を読む日本語の文化に面白みを感じています。
しかし、特別支援における文章、とくに目標や評価に関する言葉には厳密に注意深く読みとらなければならないと考えています。
何故なら、繰り返しになりますが、子ども達、障害を持った人たちの人権は、とてももろいものだからです。
このコロナ騒動の間、支援級、支援学校に通う児童、生徒の親御さんから、また福祉施設に入所、通所している人達から、人権侵害を疑うような報告を多く貰っています。
私も生活していて、そういった様子を見かけます。
いま、学校でも、福祉施設でも、もちろん社会全体でも、「感染予防」という大義名分のもと、多くの人権侵害が行われています。
マスクが嫌だと外そうとする子ども、人に対して、無理やりつけさせようとしたり、「指導」という名で強要したりすることがあります。
他の教室に行こうとしても、他の部屋、みんなとの共有の場所に行こうとしても、「ダメだ」と制止され、さらに特定の場所にいなさい、と命令されることもあります。
息を吸うというのは生きるための根源的な権利であり、移動の自由、どういった生活をするか、自分自身の幸せを追求する権利は憲法で保障されています。
マスクをつけるのは、あくまでお願いであり、法的な根拠はなにもないのです。
ですから、自分の意思で付ける人はいいですが、とくに意思表示や言葉の理解が難しい子ども達、人達には、格段の配慮と意思の尊重が求められるといえます。
そういうと、「子ども達の命を守るために」ともっともらしいことを言ってくる大人たちがいますが、2年間でコロナで死亡した子はいなくて、重症になった子も6人で全員回復。
10代も4人なくなったという報告がありますが、基礎疾患があった子と交通事故で亡くなったあと、鼻を検査したら陽性になった子が含まれての4名ですから、そもそもが命を奪わないウィルスに対しての「子ども達の命に守るために」は成立しません。
私は7年間の施設職員生活で、入所者達に対して多くの人権侵害をしてきたと思います。
それが施設内の秩序を保つため、支援しやすい環境を整えるため、という理由だったにせよ、一人ひとりの個人で見れば、多くの権利や自由を制限してきたといえます。
だからこそ、今、障害を持った子ども達、そして意思表示が難しい人たちの人権には意識的に取り組んでいます。
先生や支援者側には人権侵害をしているという意識はないと思いますが、「それが普通の子、大人だったら」という視点で見れば、まずいものが少なくないはずです。
どうしても知らず知らずのうちに、またそういった流れに生きやすいのが、障害を持った人たちの生活です。
普通級の子ども達ならテストの点数などで客観的な習熟度、理解度が確認できますが、支援級、支援学校に通う子ども達は、ある意味、いかようにもなりますし、いかようにもされてしまう危険性があります。
ですから、子ども達の学ぶ権利を保障するための【目標と評価】を丁寧に見ていく必要があると思います。
是非、「この目標の主語は誰かな」「できるって一言で書いているけれども、本当に一人の力でできているのかな。他の場所でも応用してできる状態なのかな」などという視点を。
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