【No.1223】比べることで初めて見えてくる発達障害の本質

沖縄ではすでにピークアウトしたようで、これは南アフリカで見られた傾向と同じです。
パッと上がって、パッと下がる。
火蓋が切って落とされた一足早い春の甲子園、じゃなくて、都道府県退行のやってます大会。
どの知事が最後まで残るかのせめぎ合いでしょう。
我が北海道知事は、いつも先頭を走るのですが、今はまだ様子見の状態。
これは過去に学んだのか、はたまたただ手続きに手間取っているのか。
たぶん、一通り凡知事が出そろいマンボウが宣言される頃には、全国でピークアウトが起きているはずです。
それにしても医師会は、参議院選挙の票をちらつかせながら、もう一儲けしようとする姿勢がみられ、ほんとに腹が立ちます。
接種後の強い副反応よりも、ほぼ無症状・軽症のオミクロンですから、ノーガードでとっととみんなが暴露してしまった方が終息も早く、身体的にもラクだと思いますね。


昨年末に見た南アフリカの人達がビーチで遊んでいる姿を見て、私の中でのコロナ騒動は終わっています。
いま、私が見ている先はコロナ後の世界、とくに子ども達、若者たちに及ぼす影響です。
いま、月曜日の19時からBS11で再放送されている「カーネーション」を観ていますが、主人公の糸子が幼い我が子に「生まれてから、ずっと戦争中だもんな」というセリフをちょうど聞いたところです。
最初からさざ波ニッポンで、バカな大人たちが勝手にヒステリックを起こし、騒動を大きくしていった。
その結果、当たり前の人と人との関わり、対話、遊び、そのときしかできない体験、そして息を吸う、いろんなものを触って心身を育てるという機会が奪われた子ども達です。


戦後、大人たちがころっと言動を変えたように、コロナ騒動後も同じような醜い大人たちの姿を見ることでしょう。
そして、これから明らかになってくるワクチン接種後の中長期的な影響、コロナ騒動で当たり前を奪われた子ども達の心身の発達への影響、これからの社会を担っていく若者たちの学業、就職、生活、人生への影響、日本という社会の形への影響…。
それらに対して大人たちはきっとこう言うでしょう。
「あのときは、それが仕方がなかった」と。
論理や科学的な根拠よりも、その場の空気が支配する日本ですから、「悪いのは、そのときの空気だった」と開き直る姿が目に見えています。


ワクパスによる行動緩和は、いとも簡単に中止になりました。
国民の7割が接種すれば、普通の生活ができるようになる、と言ってませんでしたか。
接種すれば、感染しないし、他人に移さないと言っていたノーベル賞受賞者もいましたし、ワクチン後に死んだ人はいない、重症になった人はいないと大臣も言っていました。
彼らはそのときの空気に合わせて発言しているだけで、つまり、科学よりも空気を優先したのです。
最初から「権威」というだけで、うんうんと聞いている方が浅はかだと私は思いますね。


「権威」に騙されないためにも、事実、目の前の現象を見る必要があると思います。
世界の状況と比べてどうなのか、過去のウィルス、他の病気&リスクと比べてどうなのか。
比べることで、人は冷静な判断ができるようになります。
これはずっと発達の世界でも同じことを思うのですが、発達障害の中で比べるから見誤る人が耐えないといえます。
どうして発達に関わる不具合なのに、定型の発達を知らない人、それと比べない人が多いのでしょうか。


昨日のブログでも書いたように、同じ番組を繰り返し観るのは定型発達の子どもにも見られます。
他にも、ある年齢の子はその場でクルクルと回って遊ぶのです。
それなのに、クルクル回っているのはヘンな行動で、それが自閉症っぽさなどと解釈する支援者が後を絶ちません。
本来、定型発達を学んだうえに、特別支援の知識が積み上がっていくのに、そこの土台である定型を知らずに療育や支援をするなんて理解不能です。
だから、一般的な子どもでも見られる行動と、自閉症の子に見られる行動のニュアンスの違いがわからない。


端的に言えば、定型の子ども達は短期間であっという間に発達課題をクリアし、しかも同時進行で育てているため、大人が気がつく前に自らで終えている、その段階を通過していることがあります。
一方で発達障害の子ども達は、胎児期から言語獲得までの初期に発達のヌケを抱えてしまうため、広がるように積み上がっていかない。
だからこそ、同じ発達段階で留まり、それが同年齢との子とのギャップを大きくしてしまう。
さらに本来通過する時期にやっていないであとから育て直すとなると、当時行う以上に時間がかかる。
それが周囲の人から見れば、自閉症の特性、奇異な行動になってしまうのです。


だいたい同じ人間なのですから、定型の子だけやって、発達障害の子がやらない、なんてことはないでしょう。
たしかに自傷などは定型の子には見られない行動ですが、それは極度の不安や異常があれば、定型、発達障害、自閉症に関わらず行います。
ですから、支援、療育、発達援助、そして発達障害の子の子育ても、基本は定型発達であり、そこからよりよく育つアイディアを導きだす以外は、すべて特殊な芸事になるのです。
療育機関で展開されている療法に魅了し満足するのは、本人たちではなく、見ている大人たちでしょ。
観客のために行っている見せるための療法は、すべて芸事です。


特殊な子育てではなく、自然な子育てをするには、自然な発達を知る必要があります。
このように言うと、現在は一人っ子のご家庭が多いので、「自然な発達」に触れる機会が少ないと思われる親御さんも多いでしょう。
実際、そういった悩みを相談される親御さんは少なくありません。
ではそこで幼稚園、保育園の先生が読むような子どもの発達の本を読んでも良いのですが、ここに出てくるのは定型発達の中の定型発達になるので、実践では使いづらいこともあります。
第一、目的は我が子をよりよく育てる、発達のヌケや遅れを育て直すことであって、定型発達を学ぶことではありません。


ですから、私がお勧めしているのは、地域の子ども達、公園などで遊んでいる子ども達をよく見ることです。
私も我が子の子育てを通して定型発達を知ることが多いですし、公園や保育園の迎えなどに行くと、他児の姿、変化から気づかされることが多くあります。
できるだけ多くの子ども達を見ることが、またできれば一緒に遊んだり、活動をしたり、同じ時間を過ごしたりすることが大きな気づき、ヒントになります。
そういった意味では、子どもさんのより良い発達のためだけではなく、子育てをする親御さんにとっても、一般的な幼稚園、保育園に入園することが良いと思います。


コロナ騒動が及ぼす子ども達の心身の発達への影響も、ベースは定型発達であり、コロナ以前の子ども達の発達の様子と比べることで、その輪郭がはっきりしてくると思います。
コロナ禍のヌケを育て直すためにも、今後そのようなニーズ、コロナ騒動による発達障害児が増えていくと思いますので、すでに準備を行っています。
また個人的には、敗戦後の日本のように空気のせいにして、それこそ水に流そうとする大人たちがどんどん出てくると思いますので、しっかり文字や言葉などで気づいていたことを、そういった人達もいたことを残していきたいと思います。
そういった人達がいたということが残っていかなければ、今後同じようなことが起きたとき、あらゆる場面で似たような現象が起きたとき、同じミスを繰り返してしまいます。
あとから「ほんとは俺も気づいていた」というのは卑怯者のセリフです。


発達障害もなってからよりも、なる前にこそ本質があるように、コロナ後の発達障害も、2020年以前と比べることで本質が見えてくる。
そんなことを考えながら、2022年はコロナ騒動で生じる誤診を解いていけるような、そこからいち早く抜け出せるような仕事をしていきたいと考えています。




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