【No.1221】積み上がっていかない理由

発達に必要なのは「酸素」「刺激」「時間」ですね。
酸素は生きるための条件であり、神経を生かし、発達させるためにはなくてはならないものです。
またいくら酸素があったとしても、まったく刺激のない無の環境の中では神経発達が生じる必要はなくなってしまいますので、刺激も必要です。
その刺激は、自ら動くことで得られる刺激と、これは重力との関係性の中で生じる刺激で、光やにおい、音などの環境側から受け取る刺激があるといえます。
そして酸素が満たされ、適切な刺激を受けたあとは、やはり時間が必要になるわけで、とくに発達のヌケや遅れをもう一度育て直そうとするのでしたら、それなりに時間がかかります。


「発達のヌケ」という視点が広まり、ヌケているのなら、未発達ならそこを育て直せば良い、それには身体アプローチというイメージで取り組まれている方達が増えたように感じます。
抜けた運動発達を繰り返し行ったり、足りなかった刺激を味わえるような環境設定をしたり。
以前の親御さん達は、障害を障害と飲み込むところから始まり、できることを求めるよりも「その点は手助けしよう」「できないことは代替手段を用いよう」とされていましたので、子ども一人ひとりに応じた育ちを後押しするような自然な子育てに戻っていったことは、私も嬉しく思います。


しかし一方で親ではない支援者がその段階で止まっていてはなりません。
発達が抜けている→じゃあ、そこを育て直そう、というのは家庭の話です。
もっといえば、子どもというのは本能的に自分に足りない刺激、必要な発達課題を求めて動くものなので、それを邪魔せず、存分にやり切れる環境があれば、自らで育て直していけるのです。


よく教室や家の中を歩き回る子がいて、そういった相談を受けることがありますが、小学生、中学生が教室をうろうろ歩いていたら問題に見えるけれども、それが歩き始めたばかりの幼児さん、就学前のお子さん達ならどうでしょうか。
うろうろと動きまわるのは、その子にとっては動きまわる必要があるからです。
だけれども、学校的にいうと、一般的な年齢的にいうと、奇異な行動に見えるから、それが問題だとなるのです。


その際、「落ち着かない=問題行動・障害特性」となり、「教室では歩きまわりません」と絵カードを作ったり、精神科薬を求めたりするのは、旧来の支援。
で、「動きまわるのは本人にとって必要だから」と、身体活動を増やしたりするのは、発達のヌケの視点に立った発達援助。
そしてもう一つ先に「なぜ、小学生になっても、幼児期の課題が埋まっていないのだろうか」と考えるところがあると私は考えています。
極端なことを言えば、動きまわる子は放っておけばいいのです。
本人が満足するまで、その発達課題をやりきるまで、その時間を待てばよいと思います。
そうすれば、いつか歩きまわらなくなり、次のステップ、止まっての活動、座っての活動へと移行できるからです。


でも、子どもが育つのを温かく見守るのは家族の役目ですし、いくら「育て直し」という視点に立って仕事をしていたとしても、それはプロの仕事とは言えないでしょう。
繰り返しになりますが、学校という集団、一般的な年齢とのミスマッチで「問題」だと周囲に見られているだけで、本当のところは問題でもなんでもなく、その子のペースで育てているだけですから。
だからこそ、ただの発達の違いを育て直そうと後押しするのは当たり前の話であって、お金を貰って誇れるような仕事のレベルの話にはならないと思うのです。


中学生の子が教室の中を歩き回る。
本来、2~5歳くらいの幼児期でやりきる発達課題が、どうしてそこから10年経っても、まだ埋まっていないのだろうか。
そこに注目し、どういった背景、根っこと繋がっているかを確認して初めて発達援助という仕事になるのだと私は考えています。
端的に言えば、積み上がっていかない理由を見つけるのです。
それは前庭系の未発達からかもしれない。
それは運動発達のヌケからかもしれない。
それは背中がないからかもしれない。
それは頭と胴体のつながりがないからかもしれない。
背景や根っこは複雑に絡み合っていますが、そこを紐解いていき、どうして本人が育てようと刺激を入れ続けているのに、それがなかなか積み上がっていかないのか、やりきるに達成しないのか、そこのところが重要だと思います。


高等部生になっても、まだグルグル回っている生徒さんがいました。
回転という発達課題のはじまりは3歳からで、その中心は年中、年長時代です。
そこから10年以上経っても、クルクル回っているというのは、回転刺激が前庭覚に入力されても、それが神経発達につながっていないからです。
私の見立てでは、あと10年くらいそのまま回り続けていけばやり切れると思います。
しかし、それでは支援者はいらないですし、お仕事にはなりません。
ですから、なぜ、積み上がっていかないかを確認していき、まずはそちらから育てなおしてみては、というお話をしました。
そして先日、「あれだけ何年も何年も毎日、グルグル回っていたのに、ピタッと止まりました」という親御さんからの連絡を頂戴しました。
ある程度、大きくなった身体で回り続けるのは、本人も、周囲も大変なことがあるので良かったと思いました。


「障害だから支援しよう」という段階から、発達のヌケを育て直すという視点へ。
全部が特性で、障害と見えていたものが、「発達のヌケ」という視点を知ることで、子どもさんの行動を前向きに捉えることができるようになったと思います。
そしてその視点があれば、その子本人が育てようとする行為を、そのプロセスを温かく見守り、ときに後押しすることができます。
だけれども、お金を貰って仕事している人間が、この状態で満足してはならないでしょう。


「このヌケにはこの遊び、このエクササイズ」というのでは、あれだけ批判してきた旧来の支援と根本が一緒です。
「自閉症には視覚支援」「高機能にはSST」「ADHDにはトランポリン」と図式が同じで、自動販売機のようなその子の”顔”が見えない支援はいけませんね。
北海道でも沖縄でも、日本人でも外国人でも、大人でも子どもでも、同じボタンを押せば同じものが出てくる、そんな支援、援助。
子育てとは、ヒトを育てるとは、その子の顔が見えてくるようなものでなくては。
そこを目指す上でも、その子だけの「積み上がっていかない理由」にも目を向けていく必要があると思いますね。




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