2021年3月23日火曜日

【No.1151】脳内隔離

全国いろいろなところにお邪魔すると、そのたびに思うのですが、本当に「発達障害」なんていうのは曖昧で、インチキくさい話だなと思います。
だって、「えっ、あなたが発達障害って診断されたの?」という子ばかりなんですから。
そうかと思えば、「うちの市では、みんな普通級で学びます」というところもあって、また幼稚園や保育園の先生のよっては、「こういうお子さん、前からいたから、大丈夫」というようなところもある。
つまり、たとえば、北海道で「もうずっと支援の子」「重度で勉強なんかとんでもない」というような子が、関東に行けば「普通の幼稚園で大丈夫」なんて言われたりもするし、実際に隣同士の市や区で「こっちは普通級で、こっちは支援級」という話もありました。
これまたよくあるのことなのですが、「どうやって自閉症の診断がついたんですか?」「っていうか、自閉症の診断基準、満たしてます?」というのは全国どこでもあるあるです。


どうして、こんな状況になっているか、現場での混乱が生じているか、といえば、「早期診断主義」という誤った考えの氾濫が大きいと言えます。
「とにかく早期に見つけるんだ」
「早期に見つけて、すぐに専門家、支援に繋げることが良いことだ」
というギョーカイの啓発が浸透してしまっていることが原因です。
もちろん、2000年より前のほとんどの発達障害児者が重度の知的障害を持っていた時代なら、それが有効だったかもしれませんが、そうやって見つけようとして見つかる子ども達って、微妙な子ばかりです。
ひと昔前なら、発達がゆっくりな子、遅れている子、凸凹している子は、「そういう子もいるよね」と一緒に学び、一緒に遊んでいました。
そうしているうちに、発達のヌケや遅れが埋まっていき、自然と社会の中に馴染んでいきました。
今は、「早期診断」という名で、隔離が進んでいます。
市内のあちこちの公園では、児童デイの車が停まり、指導員と利用している子どものみで、鬼ごっこなんかしている。
鬼ごっこなら、同級生とやればいいのに、税金を使わず。


まあ、「とにかくPCR検査を!」というように、少しでも咳をしようもんなら検査を促すみたいに、とにかく少しでも発達に遅れがあれば、すぐに専門家につなげようとします。
しかも、それがいいことだと思っているし、実際、いいこともある。
「もう一人、職員をつけることができるから、病院に行って診断を貰って来てくれませんか?」なんていうのは、あちこちの保育園、また学校でも見られることです。
診断された子がいれば、行政から補助が貰えるというのも、「遅れがある子を見つけよう」という動機付けの一つにもなっているでしょう。


しかし、「とにかくPCR検査を!」と同じで、陽性になったあと、できることは特にないんです。
できるとすれば、隔離だけ。
結局、コロナを治すのは医師ではなく、本人の自然治癒力、免疫細胞です。
同じように、発達の遅れを育てるのは、本人の成長する力と遊び、運動です。
見つけたのは良いけれども、そこを育てるアイディアがなければ、ただのダメ出し。
「早い段階で、発達に遅れがある子を見つけられた」と喜んでいるのは大人だけであって、受け取る方としてはただのダメ出しにしか聞こえない、なんてことは親御さんからよく聞く話です。


どうして保健師、保育士、幼稚園&学校の先生が、どう育てたら良いかわからないのか、といつも疑問に思うことです。
この人達は、ヒトの発達、成長に関わる職種でしょ。
というか、それを知らずして、どうして仕事ができるのでしょうか、子どもと関われるのでしょうか。
発達に遅れがある子がいるのがわかった。
だったら、どうやって工夫しようか、どこを後押しして育てたら良いか。
そういった発想が出る前に、「親御さんに診断を勧めなきゃ」「今度来る巡回の保健師に、特別支援コーディネーターに伝えなきゃ」というのは、私から言わせれば職場放棄です。
そんなことをする前に、担任だったら、何かアイディアの一つでも出てこないのか。
「私がこの子をよりよく育ててみせる」という気概はないものなのか。
いろんな土地で、いろんな親御さんからお話を聞くたびに、発達障害を差別し、隔離しているのは、「早期診断」と言っている大人たちではないか、と思うのです。


以前は、THE特別支援、自閉症支援みたいな療育が好まれていたような気がします。
でも、今の親御さん達は、作業療法や運動発達に力を入れた療育機関に通わせていることのほうが多いし、一般的になったと思います。
発達障害の子ども達の根っこの課題は、身体であり、運動発達である、と多くの親御さん達がわかっているという表れだと感じます。
だから、そういった療育機関で、そういった専門の支援者が身体の課題を解決すれば良いと思うのです。
なのに、そういった療育機関から巣立っていく子が少ない。
何年も利用し続けている。
つまり、根本から解決していないということ。
じゃあ、なんで親御さんが我が子の課題の根っこに気づき、またそういった専門の療育機関に行くのに、何年も通わなければならないのか。


これは上記の話ともつながります。
3月14日に開催された口の講座の中で、講師の栗本さんも仰っていましたが、基本の発達、ヒトの発達を知らない人が多すぎる。
保健師や保育士、幼稚園&学校の先生も学生時代、勉強したはずなのに、その知識が活かされていない、または活かそうとしていないのだと感じます。
結局、「発達障害」というバイアスがかかった瞬間、普通の子とは違う子、特別な子という頭に切り変わってしまうのだと思います。
だから、自分がどうにかしようと思う前に、「どうやって医療、支援、療育に繋げようか」という頭になってしまう。
これもまさに脳内隔離です。


発達障害の子ども達は、定型の子、同級生の子とは共に遊べないのでしょうか、共に学ぶことができないのでしょうか。
こんな問いを投げかければ、ほとんどの人が「いや、そんなことはない。障害のある子もない子も共に学び、共に生き…」と言うでしょう。
しかし実際は、2000年以降、それこそ発達障害啓発ブーム以降、どんどん隔離が進んでいます。
「ノーマライゼーション」と口では言いつつ、一方で少しでも発達に遅れがある子を見つければ、特別支援に繋げようとしています。


定型の子ども達でも、車を並べるし、オウム返しもするし、クレーンもするし、クルクル回ったりします。
1歳児は砂を食べるし、2歳児は他人を噛むし、3歳児はおしっこを漏らす。
いずれも、発達と途中で表れる行動であり、結局、未発達の子が共通して行うことです。
それを取り上げて、あたかも「自閉症だ」「発達障害だ」というのは、ヒトの発達を無視し過ぎです。
この前も、作業療法に通っている子なのに、首の発達の遅れを指摘されたことがない、と言っていました。
首の育ちが未完成で、いくら細かい作業をしても、できるようにはならんでしょ。
自分もやってみればいいんです、その子と同じ姿勢を、腕が動かしづらいよ。
どうして目の焦点を合わせるのが苦手な子は全員、ビジョントレーニングなのか意味不明。
それよりも前庭系の発達を確認するでしょ、遊びや運動の様子を見るでしょ、他にも確認すべき発達が複数ある。
どうも、運動や感覚などの発達の遅れは「それが障害特性だから」と触れられず、できない部分ばかりに注目し、そこをいじくろうとしているのが療育になっているような印象を受けます。
これもヒトの発達が分からないか、脳内隔離の仕業だと思います。


「PCRして隔離」は、その対象を広げていけば、「全員、自粛」になるのです。
同じように今、子ども達の環境は、どんどん検査対象が広がっている。
そして隔離が進んでいる。
このままいけば、教育のロックダウンは近い。
幼稚園も、保育園も、学校も、少しでも発達が遅れている子、凸凹している子と親御さんは、主体性を無くせば、すぐに学びの機会を失うことにつながりかねません。
発達の遅れを他人にどうにかしてもらおう、というのは無理な話です。
頼ろうとしている専門家たちは既に育てるよりも、隔離に舵を切っているのです。
発達に遅れのある子の発達を保障するのは、国でなければ、教育機関でもない。
そこは親御さんが子どもの発達を保障していかなければなりません。


時々、親御さんのほうが過剰な自粛、つまり特別支援に入れてしまっている気がします。
まさに子どもにマスクと一緒です。
親の怖がり、不安、世間体のために、子の発達が犠牲にされている感じです。
「この子に構造化はいらんだろ」「ABAのレベルじゃないだろ」というのが、マスクをする子ども達と被る。
神経発達の基本は栄養よりも前に酸素ですよ。
乳幼児期の子ども達にとっては、大人の口元を見ることが言葉の発達、摂食の発達に重要ですよ。
その子に必要なのは療育ですか?
発達の機会ですか?
同年代の子ども達と共に育つ場ですか?




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