【No.1150】「函館をノースカロライナに!」

北海道の知事が盛んに「新北海道スタイル」なんてことを言っています。
お店に行けば、同じような標語の紙が貼られており、内容を見れば、「ただの感染予防の告知かよ」と思うものばかりです。
新北海道"スタイル"なんですから、「スキーを履いて通学、通勤!」とか、「週に1回はジンギスカンを食べよう」とか、「車での移動距離は、1時間80㎞と計算すること」とか、「黄色信号では止まらないで加速!」とかでしょ。
なぜ、感染予防ではなくて、新北海道スタイルなんだか。
国の誰かも「ニューノーマル」なんて言っていましたが、ほとんどの国民は無視。
無駄に英語を使い、何故だか生活自体を変えようとしますね。


かつて当地では、「函館をノースカロライナにしよう」ということを言っている人たちがいました。
「お店のメニューや説明などには、絵や写真をつけるようにしよう」
「自閉症の人が働くときは、ジョブコーチも一緒に雇うようにしよう」
「自閉症の人が安心して利用できるようにBGMや照明を禁止にしよう」
そんな計画(?)、夢(?)、妄想(?)を支援者と当事者、家族でしていたのです。
まさに健常者の権利や楽しみ、自由が排除された視点ですね。


当時から疑問に思っていたのですが、支援者の中には、実際にノースカロライナにいった人たちもいたんですよ、なのにそんな無責任で非現実的なことを言っている。
今思えば、支援者たちも本気でそんなことを目指していたわけではなくて、ある種の忖度だったんだな、と思います。
20年前、講演会や書籍の中では、あれだけ理想郷のように語られていたノースカロライナも、そうやった視覚支援や配慮が行われているのは関係者の内輪だけだし、当然、州全体ではなくある地域、場所に限定されていました。
当時は州の公費ですべての支援が受けれたので、それを拡大解釈して、「州全体で自閉症支援をやっている。どのお店に行っても配慮がされている」なんて勘違いしていたと思うのですが、結構信じていた当事者、親御さんは多かったです。
だけど、実際に行ったんだから、「それは違うよ」「勘違いだよ」と一言言ってもいいと思うんです。
でも、誰もそれを言わなかった。
挙句の果てに、そういった動きを応援するような(ずばり誤学習!)支援者たちもいたくらいです。


私は福祉の大学を出たわけではないのでわからないのですが、「障害者が住みやすい社会は、どの人も住みやすい社会」ってなんなんですかね。
それって誰が言って、実際にそうかって検証したんでしょうか?
たぶん、想像するにバリアフリーの話で、電車のホームとかにエレベーターがあれば、助かる人がいるよね、スロープがあれば健常の人もラクだよね、ってことだと思います。
それがどうして「照明を落とした暗い店内」「BGMがない店内」「絵や写真のメニュー」になるのでしょうか。


自閉症の人が求める社会とは、視覚優位と感覚過敏に配慮した社会を指しているんだと思います。
だけれども、今となっては視覚優位は内耳の未発達(聴覚&平衡感覚)だし、その他の感覚過敏も感覚や運動、呼吸などの未発達。
未発達だから育てればいいんです。
じゃあ、社会を変えるにはどれほどのことがかかるのか。


あのノースカロライナの公費を勝ち取るまでには、相当な年月と労力が必要でした。
親や支援者で同調する人たちを増やしていくと同時に、政治家に近づきロビー活動。
同時に大学などで視覚支援の有効性を研究し、やっとのことで州の公費ですべての支援サービスが利用できるようになった。
でも、州知事が民主党から共和党に変わった途端、100%公費は終了し、今は利用者も負担することになっています。
もちろん、全州でどこに行っても視覚支援、自閉症の理解がある、なんてことも達成されていません。
ちなみにティーチが認定制度になったのも、100%公費が終わったあとで、ウン十万の受講料や「認定資格維持には2年おきの受講が必要」などの参勤交代システムが導入されました。
つまり、ノースカロライナに住む自閉症者のために、日本のお金、しかも多くは福祉法人と学校の出張研修費=税金ですね。
私は「日本の税金で、アメリカの自閉症支援を行う」と揶揄していました。


元ギョーカイ人の私がこれくらいのことを知っているんですから、ズブズブのギョーカイ人が知らなかったわけはありません。
少なくとも、函館がノースカロライナになることはない。
「公費でABAを!」と叫んでいる集団がいるそうですが、それと同じで結局、本人、家族のためではなく、自分たちの売り込みと宣伝なんですよ。
さらに悪いことに、こういった社会活動には支援者ではなく、当事者の声が必要だから、だいぶ利用された人たちがいた。
しかも先着一名様のため、今もそれを信じ、「函館をノースカロライナに!」と言っている成人、家族がいるもんだから目も当てられません(同じように「治らない」「脳の機能障害」「生まれつき」も信じている人がいる)。
自閉症啓発ブームと同じように、利用されるだけされて、今もギョーカイのメンドリになっている成人って少なくないですね。


新北海道スタイルなんて、定着するわけはありませんし、知事や行政の人たちも、コロナが終わったあとも、道民がマスクしてジンギスカン食べたり(ベトベトしてイヤw)、テレワークしたり(漁師さんや農家さん、酪農の人たちが多い北海道ですよw)する社会を想像しているわけはないでしょう。
ただ「感染予防」といってポスターを張ると、反発が来そうだし、お願いベースだからお茶を濁すように、「新北海道スタイル」なんてことを言っているだけ。
だいたい行政が横文字を入れてくるときは、やましいことがあるときです(笑)
横文字はボヤッとしていて曖昧だし、英語に堪能な日本人は少ないので、なんとなく発信でき、なんとなく受け入れてしまう効果がある。


「函館をノースカロライナに」もそうでしょ。
ノースカロライナの何を目指しているのか、はっきり言っているわけではない。
当事者、家族の中で実際にノースカロライナに行った人はいない。
あそこは軍と結びつきが強いところで、軍需産業で保っている土地でもある。
当然、日本人が考えられない差別もありますよ。
だけれども、函館を軍需産業でも受けさせようとも、差別を了承しようとも思っていないのです。
ただ支援者から言われるがままに、ギョーカイのプロパガンダを信じ、理想郷のように捉えているだけ。
そして勝手に10年、20年の時間が過ぎていっている。


行政なんかを信じてはいけません。
専門家だってそうです。
我が身がかわいいのは誰も一緒で、社会なんて時代の変化とともに変わっていくのです。
それこそ、今の福祉サービスが今後とも同じように続くわけはありません。
今まで散々行政に振り回され、支援者のいいように使われた当事者、家族を見てきました。
だからこそ、私は社会が変わろうとも、専門家が手の平返しをしようとも、大丈夫なものを目指しているのです。
社会を変えるには長い年月と労力が必要です。
でも、神経発達のヌケ、未発達は今日、今すぐに育て始めることができるのです。
福祉制度が変わろうとも、トンチンカンナ支援者しかいなくても、家で子ども自ら、家族とともに育てることができる。
そして一度、埋まったヌケ、発達した部分は後戻りしないし、誰も奪うことができない。


コロナ騒動後の社会、世界がどうなっているかはわかりません。
しかし、発達は裏切らない。
身に付けた学力、生活力も裏切らない。
裏切るのは社会の制度とギョーカイ人だけ(笑)
600万年前のご先祖様たちも、暖かくなれば気持ちが晴れやかになり、花を見れば嬉しくなったはず。
さあ、サクラの季節です。
桜の花を愛で、そして新たな旅立ちをする子ども達を共に祝福し、応援しましょう。
ヒトの生き方は、そんなに簡単に変わりませんね。




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