2021年3月9日火曜日

【No.1146】同じ意見しか出ないとき、その裏には真実が隠されている

「自分は言いなりじゃないぞ!」
「はっきりものを言ってやったぜ♪」
そうやって他人の悪事を表ざたにし、自らをアピールしたつもりが、「結局、騙されてんじゃん」「"こだわりがない"なら黙ってろよ」と評価を下げる。
しかも、メインじゃないところで、埼玉と千葉がただ追随しているだけの存在だとばらし、4人まとめて評価ガタ落ち。
まさに「無能」のワンボイス。
これが家庭劇なら大爆笑間違いなし。
万太郎一座にも勝てるはず。
民が頑張っているとき、何をのんきなことをしているんだと思います。
御上を信じないのが、最大の感染症対策なのかもしれませんね。


かつて発達障害啓発ブームだったとき
「あなた達が悪いんではなく、社会の理解がないのが悪いんです」
「あなたの努力が足りないのではなく、自閉症という脳の問題だったのです」
「自閉症の人の中には、素晴らしい才能があって、それを活かして生きていけばいいんです」
と講演会でも、ギョーカイ雑誌でも、メディア内でも、盛んに言われていました。
今、文字に起こしてみると、悪徳宗教のようですね。
でも、こういったメッセージをそのまま受け取った当事者の人達とその親御さん達がいたのも事実です。


当時の有名支援者たちが「自閉症の理解」に乏しかったのがよく分かります。
あれだけ自分たちで、「自閉症の人達は"字義通り"に受け取る」と言っていたのにも関わらず、こういった一側面的な意見、個人的な意見を振りまいていたのです。
ただでも人間の習性として、「最初に聞いた情報を信じやすい」というのがあるのですから、情報提供の仕方には工夫が必要です。
当時の支援者たちも、神奈川県知事と同じだったかはわかりませんが、意図せず混乱を招いたのは事実だといえます。


あの時代、真顔で「絵描きになる」「小説家になる」「ゲームソフトを開発する」「啓発活動で食べていく」と言っていた当事者の人が大勢いました。
起業当初は、こういった当事者の人達からの相談もあり、「どうしたら漫画家になれるのか」などというのもありました。
「漫画の勉強や学校に行ったことあるの?」と尋ねれば、「行ったことはない」と言い、就きたい理由を尋ねれば、「漫画が好きだから」「〇千冊くらいマンガを読んでいるから」という答えばかりでした。


また卑屈系の当事者の人からの相談も多く、自分が就職できないのは、ひきこもりなのは、学校でいじめられるのは、「周りの理解がないからだ」と言っていました。
「じゃあ、周りに理解してもらうにはどうするの?」と尋ねれば、「自分の説明書を書いて配る」「講演会を開いて、自閉症の理解を広げる」といった現実的ではないアイディアばかりでした。
ですから、何時間も説明し、理解の問題ではない、理解するかどうかはあなたが決められるものではない、という話をしたのを思い出します。


今思い返すと、支援者たちが黒岩っていたのがわかります。
何か注目を浴びて、何かを示したかったのでしょう。
しかし、彼らに足りなかったのは、それを伝えたい人がどのように受け取るか、という視点です。
彼らの多くは、それまで原因がわからず、ずっと不遇な人生を送ってきた人ばかりです。
そんなとき、「それは自分の問題ではないんだ」「脳の問題だ」「社会、周りの問題だ」と言われれば、飛びついてしまうのも無理はありません。
たぶん、当事者の人たちからすれば、一発逆転という想いもあったんだと思います。
もちろん、彼らの捉え方の特徴という話もありますが、やはり「これで人生が変えられる」という気持ちが強かったと感じました。
皆さん、必死でしたし、何の疑いもなく信じていましたし、何よりも当事者の人だけではなく、その親御さんまでもが信じ切っていましたので。


では、当時湧き上がった当事者の人たちが今、どうしているか。
いろいろなところから話を聞きますと、哀しくなります。
服薬の量が増え続け、家から出られなくなった人。
定期的な相談支援で、ひたすら愚痴だけを言い続けて過ごしている人。
大学を卒業しても、福祉的就労を利用し続けている人。
漫画家やソフトの開発者を目指して勉強や進学を始めたものの、続かず、更なる挫折を味わった人。
ひきこもりの年数だけが増えていった人。
「脳の機能障害」が「神経発達症」に変わり、精神的な不調をきたした人もいました。


結局、彼らは一時的に支援者によって持ち上げられ、また叩き落とされてしまったのです。
当時、啓発にいそしんでいた有名支援者達の多くは去っていき、残された当事者の人達は苦しんでいます。
字義通り、具体的に物事を捉える傾向のある彼らには就職や自立につながる具体的な助言が必要だった。
そして啓発活動は、パフォーマンスの側面もあること、物事の多面性を伝える人が必要だった。
起業時当初、こういった当事者、家族からの相談が多く、大変だったという想いがありますが、決してこのような対応はしてはならない、彼らに必要な支援はこういうことだ、というものが肌身で分かったので、今に生きているともいえます。
しかし一方で、一人ひとりの人生をみれば、あまりにも犠牲が大きかったのでは、という想いもあります。


日曜日、津波から非難した人達の行動に関する番組が放送されていました。
「逃げよう」と最初に声を上げた人の行動が連鎖し、多くの人たちを救ったという話もありました。
今のコロナ騒動もそうですが、大部分は自分で考えるよりも周囲に合わせてしまいます。
ですからいち早く情報を受け取り、更新し、発信していく人の存在が必要なんだと思います。
特にある側面からの情報提供しかない、どこを見ても同じ意見で反対意見がない。
メディアで言えば、どのテレビ局、新聞、書物、ネット記事でも同じ意見ばかりだ、というときには気を付けなければなりません。
ギョーカイが一斉に良いと言っていること、良いとしてきたこと、大前提としていることにこそ、疑いの目で見ていく必要があると思います。


「支援を受けることこそが、子ども達の幸せ」
そういった言葉に対して、「逃げよう」と言える存在でありたいですね。
そのためには自らの行動と実績が必要だと考えています。




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