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家でできる将来の生活の疑似体験

将来、自分でアパートを借りたり、グループホーム、入所施設などの利用を考えている人たちに提案です。 それは「家で疑似体験をしてみる」ということです。 例えば、自分の部屋を間借りした一室だとします。 その部屋の中に、一人分の衣類が干せる洗濯物ポールを置いたり、テレビ、冷蔵庫、掃除機、衣類一式などを置いたりします。 つまり一通りの生活ができるものを部屋に準備します。 そして、その環境の中で、どのくらい一人で生活できるかを体験してみます。 体験することによって、将来の生活の中で必要なスキルはどのくらい獲得できているか、を確認することができます。 また、現状を確認することによって、どのスキルを今後教えていったらよいのか、どのようなスキルは手助けが必要なのか、についても確認することができます。 本人たちにとっても良い点があります。 自閉症の人の中には、変化に対応することが苦手な人が多くいます。 疑似体験をしておくことで変化が少なくなり、まったく何もしていなかった場合よりも、将来、生活環境が変わったときに本人の負担を減らし、スムーズに移行することができる可能性が高くなります。 これは将来の変化への準備です。 そして、完全な自立した生活とは言えないまでも、予め似たような状況で練習をすることにもなるので、練習したことをそのまま新しい場所でも行える可能性が高くなります。 疑似体験は生活に必要なスキルだけではなく、自閉症の人たちに様々なことを教える上で有効な方法になります。 例えば、買い物の仕方を学習するとします。 そのとき、身近にあるものでお店をつくり、支援者が定員の役をし、本人がそこで買い物の練習をします。 いわゆる実物大のお店屋さんごっこをするようなものです。 このような教え方が有効な理由は、上記で挙げたことと同じです。 いきなり実際のお店に行くと、環境の変化が大きく、本人にとって負担が多くなりますので、その変化を少なくする効果があります。 また、机上で学んだことを実際の場面に応用することは苦手なので、実際に近い環境で学ぶことの方が学んだことをそのまま生かせるので、学習の効果が高くなります。 このように疑似体験をすることは、本人の様子を確認することができ、また、自閉症の人たちの学び方に合っていますのでお勧めできます。 もし部屋がなく...

言葉を理解しているか、確認する方法

昨日のブログと関連して、「言葉を理解している」と判断するには、1つ注意しなければならないことがあります。 それは言葉を聞いて「その意味を理解しているのか」と「パターンで動いていないか」を見極めることです。 自閉症の人たちは、物事の意味を理解するよりも、パターンで行動を覚える方が得意です。 過去の記憶から、「同じ状況で、声を掛けられ、このような行動をした」ということを1つのパターンとして覚えていて、それを再現しているといった場合もあります。 例えば、食事の前に手を洗うように言ったとします。 「手を洗って」と言ったら、洗面所に行って手を洗うので、言葉を理解しているように見えます。 しかし、本人の視点で物事を捉えると、「テーブルの上に食事が用意される」→「お母さんが声を掛ける」→「手を洗う」→「ご飯が食べられる」という一連の流れを1つのパターンとして記憶している場合があります。 この場合、言葉を理解していなくても、適切な行動を過去の記憶から導き出すことができます。 では、言葉を理解しているかどうかを見極めるには、どのようにすれば良いのでしょうか? それは、いつもとパターンを変えてみることでわかります。 例えば、状況を変えてみます。 いつもは食事の前に「手を洗って」と言っていたのを「食事の後」や「寝る前」など、別の状況で行ってみます。 もし本当に言葉の意味を理解しているのなら、どのような状況でも適切な行動ができるはずです。 また、いつもはお母さんが言う言葉をお父さんが言ってみる、お祖父さんや兄弟など、いつもと人を変えて言ってみるといったことも有効です。 そして、場所を変えて、同じ言葉を言ってみるのも良いと思います。 ここでは言葉の理解を確かめる方法を書きました。 反対に、言葉の理解を伸ばす場合は、自閉症の人たちが得意な「パターンで覚える」ことを活かし、1つのパターンで覚えた言葉を他の状況や人でも理解できるように練習し、少しずつパターンに幅を持たせることで、言葉の理解を確かなものにしていくといった方法があります。

言葉を"話す"ことと"理解する"ことは別

昨日まで言えなかったことが、朝起きると、はっきり言えるようになっている。 こんな息子の様子をこの頃、よく見ることができます。 「あ~」とか、「ば~」とかしか言っていなくても、物事の名前や大人が言っていることが分かっていたのだ、と知ることができます。 自閉症の人の中には、言葉で話すことが苦手な人が多くいます。 しかし、彼らがはっきり言えないからといって、言葉を理解していないか、といったらそうとも言えません。 私がアメリカの専門家たちから教えてもらったことに、「言葉を"話す"ことと"理解する"ことを別々に捉えなければならない」ということがあります。 一見、言葉が話せないと、言葉の理解もしていないのでは、と思ってしまいがちです。 しかし、話すことと理解することは別の能力だと言えます。 ですから、「話すことはこれくらいできる」「理解することはこれくらいできる」といったように、別々に確認することが大切です。 目標もそれぞれのレベルに合わせて、計画していく必要があります。 言葉を話すことが苦手だからといって、「こちらから言葉で話しかけることはやめよう」と思う必要はありません。 言葉でうまく話せなくても、私たちの言葉をちゃんと理解している可能性があります。 言葉で話すことと理解することとを分けて考えることによって、自閉症の人たちの可能性に気が付くことがあるかもしれません。

メガネ論争の終焉

「社会に出たら、構造化された支援なんてないのだから、このような支援は外していく」と言う人がいる。 それに対し、「構造化された支援は、目が悪い人にとってもメガネのようなもの。だから、外して生活しろ、というのはおかしい」と反論する人がいる。 このような主張の違いは、私が学生だったときから存在していた。 10年経った今でも、同じような主張が繰り返されている。 では、私はどのように考えているかというと、「それが本人にとって必要な手立てなら、取り上げてしまうことは間違っている」という意見である。 つまり、メガネ必要派の立場だ。 そもそも本人のものである構造化された支援を他者が取り上げるという意味が私にはわからない。 必要かどうかを決めるのは、本人である。 もし本人がうまくコミュニケーションが取れなかったとしても、構造化された支援があるのと、ないのとを比べ、あることで落ち着いたり、周囲から求められている内容がわかったり、学習の効果が上がったりするなら、本人にとって必要な手立てだ、と言える。 確かに社会に出たら、本人のための構造化された支援はほとんどない。 しかし、だからと言って、構造化された支援を使わなくていい、という話にはならない。 ときに、「社会に近い環境にし、慣れさせる」と言う人がいる。 でも、社会に近い環境の中で過ごして慣れられるなら、そもそも構造化された支援という発想自体が必要なくなる。 "慣れ"でどうにかなるなら、初めから普通学校で定型発達の子どもたちと学べば良い。 自閉症の特性は、"慣れ"などでは乗り越えられないので、構造化された支援が存在している。 また、メガネを外す派の人たちは、構造化された支援の本質を捉えていない場合もある。 「将来、使うか、使わないか」について議論することはあまり意味がない。 構造化された支援は、簡単に言うと、自閉症の人たちの学習の効果を最大限に高めるための手だてである。 構造化することが目的ではなく、構造化することによって、自閉症の人たちがよりよく学べることが目的である。 支援者が自閉症の人たちに学ぶことの最適な環境を準備することに対し、否定する人はいないはずである。 しかし、最後にメガネ必要派の人たちも頭に入れておかなければならないことを言いたい。...

「ロボットみたいな支援」と見られないように

「ロボットみたいな支援」だと、構造化された支援が見られてしまうには、支援者側にも問題がある。 構造化された支援は、自閉症本人のためのものである。 それが支援者側に構造化された支援があると「ロボットみたいな支援」に見えてしまう。 支援者が構造化された支援を、自閉症の人たちをコントロールするためだけに使っていると、「ロボットみたいな支援」に見えてしまう。 自閉症の人たちは、支援者が提示した構造化された支援からはみ出すことを制止される。 指示された通り、提示された通りに動くしか選択肢がないのなら、そこに本人の意思が入る余地がなく、ただ決められた通り動いている、ということになる。 それはまさしく「ロボットみたいな支援」である。 では「ロボットみたいな支援」にならないにはどうしたら良いのだろうか。 それは「選択」と「悩み」の要素が必要である、と私は考えている。 「選択」があることでどちらが良いか、どのような方法が良いか、「悩み」があることでどのように対処して良いか、自分で考えることになるし、主体的に行動することにつながる。 つまり「自分で考える」という要素を入れることにより、構造化された支援は自閉症本人のためのものになり、自ら行動することを助ける道具になる。 構造化された支援によって、自閉症の人たちが学びやすい状況を作り出し、主体的に学ぶことができるようになる。 見る側も、見せる側も、本質を見抜く力が必要である。 印象だけで、物事の良し悪しは決まらない。

「ロボットみたいな支援」の意図

構造化された支援を「ロボットみたいな支援」と表現する人がいる。 確かに、カードを手に持ち、目的地まで行く姿。 言葉ではなく、カードや物を手渡すことで、相手に要求を伝えている姿。 衝立に囲まれた中で、活動する姿。 人と人との交流が少なく見えるそのような姿に、ロボットのような支援と感じてしまう気持ちもわからなくない。 予期せぬことに対し、不安を感じやすい自閉症の人たちは、構造化された支援によって、これから起こることを理解し、安心して学習に取り組むことができる。 周囲の刺激に対し、影響を受けやすい自閉症の人たちは、構造化された支援によって、余計な刺激に注意を奪われることがなく、目的の活動に集中することができる。 もし、構造化された支援がなければ、自閉症の人たちは刺激に翻弄され、不安の中で学ぶことになる。 集中して学習するには、常に支援者の手助けや指示を受けなくてはならなくなる。 つまり、構造化された支援は、自閉症の人たちが主体的に学習することを助け、学習の効果を高めるという意図がある。 このような意図を知らない人が見れば、「ロボットのような支援」と感じてしまうのも無理がない。 支援者は、どうして構造化された支援が自閉症の人たちに必要かを説明できなくてはならない。 見ただけの印象で構造化された支援が敬遠されるなら、自閉症の人たちにとって、これ以上マイナスなことはない。

教え、育てること

教育という言葉は、「教える」という字と「育てる」という字が並び、成り立っている。 「教える」ことと同様に、「育てる」ことも大切だ、という意味があると私は解釈している。 私は自閉症の人たちの支援に関わるとき、一人ひとりに合わせて教えていくことと同様に、一人ひとりが自らの力で育っていけることについても配慮している。 "育っていけることの配慮"を具体的に書くと、「悩ますこと」と「環境を整えること」になる。 自閉症の人たちは、失敗から学ぶことが苦手なので、支援者が先回りして本人が躓かないようにすることがある。 しかし、そればかりであると、自ら考えることが少なくなる。 ときには、「敢えて悩ませる場面を作り出し、過去の経験や周囲の状況から答えを導き出す」といった自らで考えることも、本人たちが育っていけることにつながる、と思っている。 自閉症の人たちは、周囲の状況や意味を読み取ることが苦手である。 また、周囲の刺激に影響され、学習に注目や集中が向きづらいこともある。 だからこそ「環境を整えること」により、周囲の状況や意味を読み取れるようになったり、学習に集中できるようになったりすることで、自ら学び、育っていけるようにする、ということである。 家庭や学校を一歩出ると、いろいろな物事に対し、自分の頭で考え、対処していくことが多くなる。 すべての物事を側について教えていくわけにはいかない環境である。 日々の学習や生活の中に、少しでも自分で考える場面を入れていくことで、自ら育っていける人間へと成長していく。 教えるだけではなく、自ら育つような状況へ導いていくことも重要である、と私は考えている。