【No.1353】「発達障害」という言葉から伝わってくるメッセージ
なぜ、あなたのお子さんは“発達障害“なの?
医者がそういったから、そのように診断したから。
だったら病院に行かなければ、発達障害じゃないの。
医者が「あなたの子は発達障害ですね」といえば、その瞬間から発達障害になるの?
医者が「あなたの子は発達障害じゃないですね」といえば、その瞬間から発達障害じゃない普通の子になるの?
「だって、うちの子、歩き始めが遅かったから」
「まだ言葉が出ていないから」
「集団行動ができないから」
「お友達とうまく遊べないから」
でも、それって全部発達障害だから起きることなの?
歩き始めが遅くても、普通に大学に行き、就職し、家族を持っている人もいる。
言葉が出ていないのは現時点での話であって、まだその子の話始めるのが先ってこともある。
集団行動ができない人は世の中にごまんといるし、友達とうまく遊べないのはただ遊びたくないだけ、今は一人で遊びたいと思っているからかもしれない。
幼稚園で一人で砂遊びをしている子は発達障害なの?
学校の休み時間、教室に残り、一人で絵を描いている子は発達障害なの?
私は子どもを発達障害にしているのは、周りにいる大人たちだと思っています。
どんなにできないことがあったとしても、「いま、発達が遅れているね」とはいえるが、「この子、発達障害だよね」ということはできない。
この世の中に科学的に発達障害を証明できる人も、その方法もないのだから。
とすれば、「ああ、この子は発達障害だな」と言っているのは、子ども本人ではなく、大人たち。
よく「うちの子、発達障害で」という親御さんがいるが、横で聞いている子どもさんはどんな気持ちだろうか、と思うことがあります。
自分の親が自分のことを説明するのに、毎度「発達障害があって」と言うのは、それで傷つく子もいるだろうし、「そうか、自分は発達障害なんだ」と思考が作られていくこともあるでしょう。
私の発達相談を希望される親御さんは、私に対してなにか特別な、そしてダイナミックに変化するようなアプローチ、方法を教えてくれるものと期待している場合があるでしょう。
しかし、そのようなアプローチの方法を教える前に治ってしまうケースがあります。
それは親御さんが自分の子に対して持っている「発達障害」という言葉、態度、認識を改めること。
特に口癖のように「うちの子、発達障害があって」「重度なんで」と言っている人には効果てきめん。
あと、親御さん自身に愛着障害があるケースと、愛着形成がうまくいっていない家庭、胎児期の愛着障害を持っているお子さんのうちも。
親御さんの認識、想いは子どもさんに伝わっています。
それは言語のレベルではありませんが、そうとしか思えない家族を多々見てきました。
お母さんが不安な気持ちでいると、お子さんも不安定になったり、そばに来て慰めるような行動をしたりって経験があるでしょう。
同じように「この子は発達障害なんだ」というメッセージが子どもさんに伝わっていることもある。
実際、「お母さんが僕のこと、ダメな人間だって思っているのが一番イヤ」と言った幼児さんもいたし、「先生や友達に“ハッタツ“と言われるのは大丈夫だけど、親にそう思われているのがツライ」と言った小学生もいた。
あとレアなケースかもしれませんが、「私が発達障害のほうが、このうちはまるく収まる」と言っていた女の子もいました。
子どもの立場になれば、「発達障害」っていう言葉はなんなんでしょうかね。
その言葉って必要ですか。
教育や福祉サービスを受けるために診断名は必要なのかもしれませんが、本当にそれは子どもさんが望んでいることなのでしょうかね。
私は「発達障害」という言葉やタグよりも、「どうしてできないのだろう」という子どもを深く知ろうとする行動のほうがずっと大切だと思いますし、そっちのほうが子ども達もうれしいと思うのです。
「言葉が出ない。ああ、うちの子発達障害だ」ではなく、「どうしてうちの子、言葉がでないのだろうか?」と考えてみる。
もしかしたら、テレビがずっとついていて、自分の声や家族の声が聞こえていないのかもしれない。
もしかしたら、聴く力が未発達なのかもしれない。
そこから「じゃあ、テレビを消してみよう」「なるべく私たちの声が聞こえるような環境にしてみよう」「話しかけるときは、私たちの口が良く見えるようにしよう」など、子どもさんを始まりとした子育て、発達の後押しの方法が進んでいきます。
またさらに進み、「自分がいつ頃、しゃべりだしたか親に聞いてみよう」とか、「ヒトって聴覚はどんな順番で発達していくのだろう。調べてみよう」とかが出てくるかもしれない。
そして、そういった子ども始まりで深く知ろうとする行動が、最後に「ああ、今は言葉を話す時期じゃないのかもしれない」「この子は言葉以外でたくさんコミュニケーションできているな」となり、我が子のことを以前よりも深く知り、理解できたことを喜びに感じる。
それが子どもに伝わるってことじゃないですかね。
これも大事な愛着形成の一つ。
いつも「重度だ」「大変だ」「発達障害だ」と言っている家庭は、発達の遅れの問題よりも愛着形成の遅れの問題のほうが、ずっと重大に私には感じるのです。
過去に、きちんとこういった点について指摘させていただいた家庭があります。
その子は発達障害で不登校だったけれども、まずはそういった言葉を使わないように心掛けたそうです。
そして「発達障害児」「不登校児」ではなく、「〇〇ちゃん」という名前、一人の子として向き合うように夫婦で話し合った。
その半年後、どうなったと思いますか?
その女の子は、「もうお母さんのそばにいなくても大丈夫だね」と言って、登校を始めたそうです。
電話で話したら、「お母さんがずっと心配だった」と言っていました。
つまり、お母さんの心配が子どもさんに乗っかり、反対に心配されていたんですね。
親の想いは重い。
だからこそ、愛着障害は生まれるし、その影響はその子の人生全般に覆いかぶさってくる。
ニュースに出てくるような親は、我々には「どうしようもない親」にしか見えないけれども、その子にとっては唯一無二のかけがえのない存在。
深い愛情、深い想いが、子ども達の発達、成長を後押しし、生きる力になることがある。
その一方でずれが生じれば、子ども達の発達、成長を一番止めてしまう存在になり、生きる力を奪う存在にもなることがあるのです。
子どもの発達を阻害するのは、ワクチンや添加物、タブレットだけではなく、周囲から受ける「発達障害だ」「知的だ」「重い子だ」「普通じゃない子だ」という視線や態度、想いもあると私は考えています。
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