【No.1348】子どもの問題としてとらえるか、自分の問題としてとらえるか
「栄養療法を始める条件、どういう子に合う合わないはありますか?」といったご質問を時々、受けます。
私は医師ではありませんし、検査の数値からどうのこうのといえるような専門性はありませんので、別の視点から回答しています。
「『親の借金を子どもが払う』という認識を持てるかどうかだと思います」と。
栄養療法はもう何十年も前から研究や実践がされてきたもので、それが発達障害の世界に入ってきたからここ5年間くらいでブームが起きた。
栄養療法が流行ったのは、発達障害の世界において真新しい考えだったのと、実際、栄養の問題で発達障害っぽく見えちゃう子が多かったのと、ほかのアプローチと比べてとにかくシンプルで工夫が必要ないという3つがあったからだと私は分析しています。
私も最初の1,2年は「こんなアプローチもありますよ」と紹介していたほうですが、いつからか「栄養療法=サプリ」みたいになって基本である日々の食事に目が向けられなかったのと、一言でいえば愛着障害増産中みたいになっていたのとで、ほとんど紹介するのはやめちゃいました。
動物にとって食べることは生きるために必要な行為であり、発達障害を治すための行為ではありませんね。
そして子どもにとっては、食物を嚙みちぎり、粉々にし、飲み込むことは生きていくための発達の機会になり、味わうことは毒物と自分に必要な栄養を判断する訓練になります。
じゃあ、サプリやプロテインで口や感覚は育つのでしょうか。
また毒物かどうかの判断をしないまま、飲み込むことは問題じゃないのでしょうか。
フェリチンの値が200も、300も、なってしまうご家庭が少なくありませんでした。
栄養療法を勧めている医師の見解では、子どもの場合は(サプリ等を)やめれば徐々に値が低くなっていく、とのことでした。
ある意味、どの親御さんも一生懸命なんですが、一方で「私は良いことをやっている」「それがこの子のためだ」という勘違いがあるような気がします。
ここで冒頭の「親の借金を子どもが支払っている」という視点が必要で、子どもの問題と捉えていることが新たな問題を生じさせているんだと感じるのです。
「この子のためなら」と思えば、どんなことでもやれてしまうのが親心というものでしょう。
でも、どんなことでもやれてしまうが過剰に働いているケースも少なくないような気がします。
過剰な栄養だけではなく、過剰な金魚、過剰な育てなおし、過剰な学習指導…。
「これほどやっているのですが、どうして治っていかないのでしょう。やり方が悪いですか?まだ足りないですか?もっとできることはありませんか?」
これも発達相談で多いご質問になります。
過剰な刺激は却って発達を滞らせるものです。
子どもはコウノトリが連れてくるわけでも、勝手にたまごからかえるわけでもありませんね。
親が食べたもの、身体に入れたもの、触れたもので、子どもの身体ができている。
だから、栄養不足は子どもの問題ではなく、親の問題。
「ああ、私たちが自分の身体を大切にできなかった分、この子に影響が出ているんだな」という想いは必要でしょう。
そのような想いがあれば、自分と我が子とのつながりを感じることができ、根本から問題を解決できるようになると思います。
発達障害の問題は子ども達の問題ではなく、私たち大人の問題なのです。
私たちが重ねた借金が次の世代に引き継がれ、表面化した結果。
てらっこ塾を始めて10年ほどになりますが、治る家庭と治らない家庭の違いはここにあると思います。
わが子の発達障害を自分の問題と捉えるか、子どもの問題と捉えるか。
子どもの問題と捉えている限り、子どもの変化を促そうとする。
子どもの問題の根っこは、親の世代、その前の世代とつながっているので、そこに目を向け、改善していかない限り、子どもの課題の本質は変わっていかないのです。
栄養不足だから発達が遅れているのではなく、親の栄養不足が子どもの心身の状態に影響を及ぼし、その親が試行錯誤したり、子育てに力が注げないことが発達が進んでいかない根っこ。
高度成長期以前の日本はずっと貧しくて、今でいう栄養不足だった。
だけれども、日本人はたくましく生き抜いてきた。
今も世界には十分な食事が得られない人が大勢いますが、みんな、発達障害なわけじゃなく、そんな中でもたくましく育っていく人たちもいますね。
発達障害を子どもの問題と捉えるのはやめましょう。
子ども側の問題と捉えている限り、表面的な変化に捉われてしまい、対症療法でしか彼らと向き合うことができなくなります。
発達障害は根本からアプローチしない限り、治っていかない。
胎児期から2歳前後の発達のヌケが発達の遅れの根っこ。
でも、その根っこが生じたのも、そのまま育たないままこんにち迄来たのも、子どもがダメだったからじゃないでしょ。
ハイハイをさぼったのではなく、ハイハイをやりきるだけの準備ができていなかった。
親がコミュ障で、子どもの言葉、社会性が育つわけはない。
親が愛着障害バリバリで、子どもとの順調な愛着形成が育めるわけがない。
親は遺伝子だけではなく、子が育つ環境として、モデルとしてもつながっているのですから。
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