【No.1225】支援の終わらせ方

「戦争は始めるよりも、終わらせる方が難しい」と言われます。
日露戦争のときも、「有利な戦況での収束」を戦前に計画しており、開戦後すぐに伊藤博文の依頼で金子堅太郎がアメリカのルーズベルトに会いに行っています。
それが翌年の講和条約締結に繋がっているので、当時の政府要人は終わらせ方の準備ができていたのだと思います。
その一方で、大東亜戦争においては、日本国内の敗戦革命派が主導権を握ったこともありますが、明確な終わらせ方のビジョンを持たないまま始めてしまった結果、流す必要のない血と日本国内の一般市民の犠牲へとつながったのだといえます。
終わらせ方がわからないまま突き進むと、それは自分たちではない何者かによって「終わらせてもらう」必要があるわけで、それが崩壊という結末になったのでしょう。


この2年間のコロナ騒動も戦争に例えられますが、日本の状況を冷静にみれば、ボヤを見て「大火事だ」「敵が攻めてくる」と言って集団ヒステリーを起こし、勝手に自滅、敗戦したように見えます。
オミクロンがどうのこうのと叫んでますが、それでも毎年のインフルエンザの流行時には程遠い状況で、こんなに無症状、軽症の通常なら患者にもならないような、また自宅で勝手に治していたような数を2年間コツコツと集めても、まだ全人口の1.6%くらいしか陽性になっていないのですから、「日本は流行らなかった」というのが未来からみた評価だといえます。
しかし、このコロナ騒動の終わらせ方のビジョンが政治には、もちろん、専門家にもないので、あとは医療が崩壊するか、社会が崩壊するかしか止まることはないでしょう。


また3月からは5歳からのワクチン接種が始まりますが、これも予定通りどんどん進められていくと思います。
私は二人の子の親ですので接種の有無について考え、選択する必要がありますが、この2年間で死んだ子供がゼロで重症になった子も7名で、「重症化予防のために接種する」という論理が破綻していますので、そんなものは受ける必要がないと思います。
しかも3月には、オミクロンは終わっているでしょうし、そこから2年前の武漢株のものを打つメリットが見当たりません。
ただ子どもの中には、風邪の一つでもひけない状態の子もいるわけですし、基本的には各家庭が考え、選択することなので、他のうちはどうでもよいと思っています。
常識的に考えれば、健康な子ども達に打つメリットはほぼゼロですが、だからといって接種の中止にはならないでしょう。
ワクチン接種も同様に、コロナ騒動の終わらせ方が決まっていませんので、隠せないくらいの被害者が出ない限りは接種が続くはずです。


「終わらせ方」というのは、療育、特別支援教育の世界でも、とても重要なことになります。
この時期は今年の春からの就学先が決まったというご連絡と、春から次年度の入学に向けての就学相談が始まることに対する相談のご連絡が重なる期間です。
また来年度の「支援級継続か否か」「幼稚園と療育に通う回数、曜日は?」みたいな話も出てくる時期でもあります。


皆さんのご相談を受けていると、「支援級に行くか、行かないか」「療育を続けるか、辞めるか」のような入り口と出口の選択で悩まれている様子が伝わってきます。
もちろん、普通級に在籍するか、支援級に在籍するか、はとても重要な話なのですが、少し浅い次元でのお話が多いような気がします。
これは親御さんをディスっているわけではなく、学校、療育、支援者側をディスっています。
「〇〇ができない」から「支援級・療育」という話ばかりで、そのあとの「どうなったら支援卒業か」「一般の幼稚園、保育園、学校に行くのか」という視点がないまま、どうも支援計画が進んでいるような気がするのです。


支援でも、療育でも、特別支援でも、最初に決定した時点から時間が経てば、その判断、計画を変える必要があります。
しかし、実際はそのように柔軟に子どもの状態、発達、成長に合わせて随時変更できる人は少ないのが現状です。
支援級に入学すると6年間、同じプリント、ずっとひらがなの練習だけで終わってしまうところなんてザラにあります。
また公教育になりますと、担任の先生は異動があり、数年で変わりますので、4月に担任になり、そこからアセスメントをして、慣れた頃にははい夏休みというパターンが多く、そうなると前年度の形のまま進みがちにもなるわけです。
さらに同じことを民間がやったらすぐにお客さんはいなくなりますが、公のものにはそこの原理は働きません。
つまり、親御さんが強く要望するか、先生、支援者側が強く意識しない限り、変わらないのです。


となると、大事なのは「支援級にするかどうか」「療育に通うかどうか」の入り口の場面、まさにこれからの時期になります。
支援も、療育も、特別支援教育も、必要な子が必要なだけ利用すれば良いと考えていますので、そのもの自体を否定するつもりはありません。
でも、この最初の入り口、話し合いのときに、「どうなったら支援終了か」という話し合いができていなければ、どんどん障害者っぽくなる道へと特別支援の入り口が続いてしまうと思っているのです。
たとえば、排泄面の未自立により1年生は支援級ということでしたら、ちゃんと「授業中、休み時間に関わらず、便意を感じ、自分でトイレに行き、排泄を済ませて、教室に戻ってこれる」状態になったら普通級転籍を準備、進めていくということの話し合いはしておく必要があると思います。
この話し合いをしていないで、つまり、「いまはこの点で支援が必要だけれども、このような状態になったら支援を緩め、外していく」ということを確認しないまま、急に3学期になって「来年から普通級お願いします!!」といっても、「はあ??」ということにしかなりません。
民間の個人塾のクラス替えとは違うのです。
税金によって国や自治体の仕組み、制度によって運営がされている。
こういった相談も多くありますが、「それは学校側も困る話で、誠意がないわけではない」という話はします。


また最初の話し合い、どうなったら支援終了かの話ができていないと、親御さんの「もう支援なくても大丈夫」と先生、支援者側の「まだ支援があった方が」「普通級は無理でしょう」という食い違いもよく起きます。
これは両者の言い分がわかる話で、これまた最初にゴールを決めていないから、合意形成ができなくて当然と思うのです。
親が子どもに最良の環境を願い、求めるのは当たり前。
一方、学校、支援者側が安パイを目指すのも当たり前。
これは政治家、専門家、医療の保身ぶりを嫌ほど見てきた私達からすれば想像は容易です。
このようにイケイケドンドンで攻める親側と、とにかく責任回避に守る学校、支援者側のせめぎ合いは、結局、声の大きい方で決着し、それはどのような結果にしろ、子どもの意見は蚊帳の外ということになるのです。


ですから、これから新年度、春を迎え、今準備の期間にあたる親御さん達には、次のようなことをお伝えしたいと思います。
まず支援を利用することは、子どもにとってマイナスにはならない。
ずっと支援級、支援学校に通っていた子の中にも、成人し、今、自立した生活、人生を送っている若者たちがいるから。
なので、支援=ダメ、普通級=良い、ではなく、すべて使い方の問題。
使い方が悪ければ、無理して普通級に行っても、ぐちゃぐちゃになるだけ。
大事なのは子どもの状態と課題を親御さん自身がしっかり理解し、掴んでおくこと。
それができて初めて、学校や幼稚園、保育園、療育機関との話し合いができます。


支援利用に関する話し合いの場では、必ず「どうなったら、支援を緩めていくか。終了していくか」を議題にすること。
支援というのは薬にも毒にもなり、必要なとき、必要な子が受けるとよりよく成長する助けになるが、そこにズレが生じると特別支援適応、いわゆる支援の世界にいればいる程「どんどん障害者っぽくなる」が生じます。
この「障害者っぽくなる」状態から、本来の姿に戻そうとしても、神経発達が盛んな時期に特殊な環境に脳みそと心身が適応し作られてしまうと、なかなか戻るまで時間がかかります。
端的に言えば、「発達のヌケ、遅れを育て直す」+「(特殊な)環境適応から自然な社会への環境適応」をやる必要があるので、大変なのです。
それが学校ルール、支援依存、支援適応、誤った社会の切り取り方などと言われるものです。
あとシンプルに、一般の子ども達が体験する回数、時間、機会との差が大きくなるほど、そこを埋めるのは大変になる(例:45分×5,6時間↔5分の個別指導×2の〇年間分の違い)。


で、話を戻すと、ちゃんと終わりを見据えて話し合いを行っておき、どうなったら支援を外していくかの具体的な状態像を確認しておきます。
ぼんやり「勉強ができるようになったら」などと言っても、「いやいや、まだ普通級の授業は無理でしょ」「算数は大丈夫だけれども、国語が。話し合いの学習が」という具合に、また「できたとしても、二次障害が、いじめが」などと屁理屈が入ってきますので、隙がないように「先生の板書を授業時間内で書き写せる」とか、「テストで5教科すべて80点以上取れたら」などと示し合わせをしておくのが良いでしょう。
あと絶対に話し合いのとき、メモなど文章で残すこと。
文章がなければ、いくら言っても、言葉でOKを貰ったとしても、「ないことになる」のが行政というものです。
私も学校側と話をするときは必ずメモし、電話口であったとしても記録は残します。
意外にこの点が抜けている親御さんがいて、エネルギー全開でようやく合意を取り付けても、あとから「前任者が異動しましたので」「そんなこと言ってましたっけ」などと言われて悔しい想いをした、という話もよく伺います。
私にいくら学校の悪口を言っても、それが行政、学校の文化、仕組みですから、知らなかった方が悪い、事前の情報収集不足ということにしかなりません。


新刊の『ポストコロナの発達援助論』でもちらっと書きましたが、国や行政に期待するのは無駄、誰かが「マスク外していいですよ」などと救世主の出現を期待するのは勘違い、何かを求めるには自分自身で掴むように動かないと棚ぼたなどは起きないのが今の社会です。
つまり問われるのは、親御さんの心身の健康と行動力、〇〇する力です。
私が行っている発達相談は、純粋に発達のヌケ、遅れはどこなのか、どう育てていけばいいか、というだけではなく、こういった親御さんの姿勢、考え方、知らなかった情報によっての悩みも含まれるといえますし、ぶっちゃけ子どもさんの発達の課題だけならほとんど時間はかからないものです。
発達の主体は子どもさん自身ですが、悩みの主体は親御さんです。
私が家庭支援にこだわるのは、親御さん自身に変わってもらうことを期待し、それが結果として子どもの発達を後押しする最大の力につながるからです。
まあ、その辺りは『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』にも書いてありますので、最後に宣伝をして今回の記事は終わろうと思います。
それが書き始めたときの「終わり方」の計画でした(笑)




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コメント

  1. 全く同感です。言葉にしてくれてありがとうという気持ちです。肝に命じます。ますますのご活躍を‼️

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    1. 励ましのメッセージを頂戴し、ありがとうございました!
      支援から巣立ち、その人の足でご自身の人生を歩んでいけるような後押しを頑張っていきたいです。

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