2019年8月29日木曜日

普通になるのは、怖いことではない

いつからか、「個性的」という言葉が、褒め言葉になりました。
「あなたは個性的ね」と言われると、「そうかな」と照れる感じ。
なんだか世の中的にも、個性的が一つの評価となり、それを求めているよう空気があります。
ですから、「自分は個性と言えるものがない」なんていう若者の悩みすら生まれてくるのでしょう。


「個性的」という言葉を聞くと、私は中学生になった途端、茶髪だ、ピアスだ、をしてくる同級生たちの姿を思いだします。
ついこないだまでは、放課後、一緒に鬼ごっことか、サッカーとかしてたのに。
小学校とは違い、いろんな学校から集まってくる生徒たち。
その中で、自分が埋もれてしまわないように、自分の存在が消えてなくならないように、インスタントな方法で、自分を表出しようとする。
あれは、個性ではなく、ただの悪目立ち。


今思えば、家庭に恵まれていない子が多かったような気がします。
こういった行動に向かわせるのも、一種の愛着障害なのでしょう。
話をすると、日頃の態度とは違い、人懐っこい面がありました。
彼らからは、いつも「私を見て」という雰囲気が漂っていた。


今の社会には、「私を見て」という人達が多いのだと思います。
端的に言えば、寂しい人達が増え、親からの、他人からの愛情に飢えているのでしょう。
個性なんてどの人も持っていて、にじみ出るようなものなのに、みんなで必死に自分の個性を探しに彷徨っている感じです。


「発達障害は、その子の個性だ」「不登校も、その子の個性だ」というような人もいます。
でも、発達障害は神経発達に遅れがある状態であり、不登校は学校に行けていない状態なだけ。
個性でも、なんでもない。
でも、それをポジティブな言葉として、当事者、家族に投げかける支援者達がいる。
多分、支援者達は、「私は、あなたのことを見ているよ」「側にいるよ」という意味で使っているんだと思います。
自身がしてもらいたいことが土台にあり、当事者の持つ根本的な悩みを解決するアイディアを持たない者は、ある意味、そういった言葉しか出てこないから。


このように、ふと考えると、発達障害を治すことに、異様な拒絶や恐怖を感じる人達というのは、結局のところ、見捨てられ不安が根っことしてあるのだと思います。
「発達障害が治ったら、私じゃなくなる」というようなことを言う人もいます。
その人達を接すると、身体性の乏しさ、感覚系の未発達があることがわかります。
ですから、私は最初、身体的に「自分」が掴めないから、そのようなあり得ないような不安感を持つのだと思っていました。
確かに、それもあると思いますが、併せて、いわゆる“かまってちゃん”が多いのです。
適切、不適切な方法、行動によって、注目を引こうとする。


自身の発達障害が明らかになった瞬間、家族、先生、支援者からの注目が集まります。
早期診断、早期療育を受けてきた子どもは、幼少期から同世代の子ども達が受けないような眼差し、注目を受けて育ちます。
大きくなってから診断を受けた若者も、それまでネガティブな出来事に溢れていた日常から、突然、手厚い眼差し、特別な眼差しが注がれるようになります。
そういったある意味、異質な環境の中に入ったとき、仕舞い込んでいた欲求が噴出します。
「私を見て」「見捨てないで」という想いが、支援を受ける対象になることで、表面的に満たされていく。


未発達な部分が育つこと、発達のヌケが埋まることは、本人の成長や生きやすさに繋がり、人生の質、選択肢を増やすことに繋がります。
どう考えても、発達障害が治る方が良いはずです。
でも、それを拒むということは、身体的なラクよりも、愛情を求めている証。


確かに、愛情は、ヒトにとって何よりも優先させるもの。
だって、この世に生まれ出た瞬間、愛がないこと=死を意味していたから。
私が、私達が、いくら治ることの素晴らしさ、治った人達の喜びを伝えたとて、愛情に飢えている人達に届かないのは、そういうこと。
愛情は、生きる始まり。
身体よりも、感覚よりも、愛を満たそうとする。
いや、愛が満たされないと、本当の意味で人間としての発達が生じないのかもしれません。


個性の話に戻れば、発達障害の人が治ると、目立った個性がなくなっていきます。
その場に、集団に、地域に、社会に、馴染んでいく感じです。
いい意味で、「普通になる」ということ。
発達障害を持つ人ではなく、一人の人として見られるようになるのです。
でも、だからといって、その人の個性が失われるわけではありません。
どの人も、そうやって働き、生活しているように、自分の持って生まれた資質で勝負できるようになる。


最初、「発達障害があります」ということで一般就労した若者が、店長や同僚が変わっていくうちに、誰もその若者が「障害がある」と言って入社した人だとは思われなくなる。
仕事もどんどん任されるようになり、同世代の人と同じような責任とキャリアが積み重なっていく。
以前、その若者と会ったとき、「自分に障害があること、忘れてました。みんな、同じように仕事を任せてくるから」と言っていました。
まさに、その職場に馴染んだということ。
そして、新しい仕事を任されるというのは、その若者の個性が発揮できているということ。


愛着の土台が育っているのなら、迷わず、治った方がいい。
普通になるのは、怖いことではなく、一人の人間として生きること。

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