2019年8月1日木曜日

社会は働ける人を求めている

函館も連日、30度超え。
今まさに、北海道の短い夏の真っ只中。
せっかくの暑さなので、楽しまなければなりません。


夏を楽しむといえば、唯一、この時期の早番は苦ではありませんでした。
施設職員だった頃、ほとんど車が通っていない道路を、輝く海を見ながら走る。
風も気持ちが良くて、ぜいたくな気分を味わいながらの通勤でした。
でも、この時期以外の早番は、外はまだ暗いし、寒いし、冬なんか凍結した道路を早朝から走る。
通勤だけでもテンションガタ落ちだったわけです。


夜も明けぬうちから、掃除、洗濯、生活援助、食事を用意し、学校に子ども達を送りだします。
なんたって、人がいないのですから、止まっている時間など、私達にはないのです。
ようやく登校の準備ができた頃に、外を見れば、学校の先生たちの通勤時間。
子ども達が学校に行っている間に、また掃除をして、支援の準備をして、会議、打ち合わせをして気が付いたら下校時間。
そこから個別指導をして、余暇の支援をして、夕食の準備をして…ちょっとホッと息をついたときに、窓の外を見れば、先生たちの退勤時間。
そうです、私達は、先生たちの出勤と退勤を仕事をしながら見るのです。


昨日、埼玉県で「支援学校に通う生徒が急増している」というニュースを目にしました。
それで学級を増やしても、受け入れ施設が足りずに、学校建設が始まっている様子も紹介されていました。
埼玉県のように人口が多く、財政的にも余裕があるところは、学校新設ができるのでしょう。
地方は、子どもの数の減少により空いた教室や、統廃合でまるまる空いた校舎があるので、そういったところに、支援級や支援学校が入ります。
北海道は、人口がどんどん減り続けていますし、当然、子どもの数も減っています。
それにもかかわらず、北海道でも、支援級、学校に通う生徒は増え続けている。


全国的に支援級、支援学校に通う人が増えたということは、卒業生もその分、増えるわけです。
ごく一部の専門的な高等支援学校以外は、一般企業への就職は難しい現状です。
じゃあ、その卒業生たちがどこに行くかといったら、メインは福祉。


その福祉が、卒業生が増えた分だけ、利用箇所が増えているのか、といったら、そんなわけはありません。
学校は、文部科学省、福祉は厚生労働省。
わざわざ調べる必要はありませんが、その予算の差は歴然としています。


分かりやすい例で言えば、一番の支出である人件費を見れば、すぐにわかります。
私達、施設職員は、15名を1人、または2人で支援しています。
隣接していた支援学校は、子ども1人に対して、先生1人(臨時や補助を含む)。
先生1人を一年間雇えば、400~500万。
それに比べて、施設職員は、半分とは言わないまでも、3~4割減くらいでしょう。
しかも、学校の先生は、一度本採用になれば、定年まで働けます。
一方施設は、中堅くらいになると、キツイ仕事へ異動が始まります。
つまり、中堅、ベテランはいらない、というか、雇えない。
だから、お給料の安い若手ばかりか、パートで空き時間に、という職員ばかりになるのです。


こういった世界で働いていましたから、同じ特別支援で、障害を持った子ども達と関わる仕事をしていたとしても、教育と福祉では別次元の話だと思っていました。
ですから、今から慌てて支援学校が増やそうとも、空き教室に支援級ができようとも、それは学校の中の話。
「じゃあ、これから福祉予算を増やし、事業所をバンバン作ろう」なんてなるわけがないのです。
しかも、いくら予算が増えたとしても、働く人が集まるわけもない。
どこもかしこも、どんな業種も、「職員募集」となっているのですから、福祉はなおのこと、人がくるわけはないのです。


私が学生だった頃、もう15年以上前から、卒業後、福祉事業所に申請したけれども、「何十人待ち」「通えて週に1回」などと言われていました。
結局、今、利用している人達のほとんどは、そこから巣立って一般就労をするわけではありません。
ということは、椅子取りゲームなわけです。
椅子が空くのは、当人が働けなくなったとき、通えなくなったとき。
そうなると、一人の席が空くまで、20年も、30年も、かかる。
支援学校を卒業した若い人達が、そういった福祉事業所に入るには、事業所が新設されたときか、利用者が辞めたときしかありません。


さらにさらに、今は普通の高校、大卒、一般企業で働いていた人も診断を受けて、福祉事業所の列に並ぶ時代です。
そうなったとき、重度の知的障害がある人、他害等の問題行動がある人と、大卒、一般企業で働いたことがある人、どちらを利用させたいですか、となるわけです。


ここからは、私の創作話。
このままいけば、支援学校の卒業生たちの行き場がなくなるのは必然です。
自宅待機が大多数になるでしょう。
一般企業で働いたとしても、そもそも支援学校の中で、働く姿勢、土台は養えないので、すぐに辞めていくでしょうし。
働く姿勢、土台は、家庭生活の中で培われます。
家でチャランポラン、やりたい放題、基本的な生活習慣が身についていない子に、先生たちがどんなに頑張っても、働き続けることは無理。


福祉事業所は、大幅に増えることはないでしょうし、職員の意識、質の低下は免れませんので、利用した人は利用しっぱなし、卒業や企業への就職はほぼゼロ。
新設できたところがあれば、大卒、一般企業で働いていた人を優先的に採用するでしょう。
または、「重い人だけを集めて、とにかくのんびり」というような事業所によって、極端な色が出ると思います。


一つ言えるのは、福祉も選ばれる時代。
その選ぶ人は、利用者ではなく、施設側。
福祉を利用することが本人の能力、ニーズと合っていたとしても、より真面目にきちんと働ける人、毎日、休まず働ける人、というような今まで福祉が「まあまあ、障害もあるし、いいよね」といって曖昧にしていた部分も、ちゃんと労働者として見られることになるでしょう。
行政の方も、「在籍していたら、来ても、こなくても、同じお金出すね」というようなふざけたルールのままではいかなくなると思いますし。


「特別支援学校が新設されてラッキー」
「うちの地域では、支援級がどんどん増えてる」
と喜んでいるのは、子ども時代まで。
その間に、きちんと働ける力、働く姿勢を養っていなければ、18以降の椅子取りゲームには勝つことができません。
そもそも、福祉のサービスの質は低下する一方だと思いますし、一度、福祉に入ってから抜け出すには、相当本人の意思と努力が求められます。
つまり、「就労支援」なんていうのは、今以上にただの看板だけになり、そこに通ったから、一般就労が近づく、その準備ができる、というのは、ほぼ「ツチノコを見た」くらいのレベルに。
もちろん、本来の目的である就労支援をきちんとやっている事業所もあるでしょうが、そこだって人材難はずっとついてまわります。


私は、学校の先生の通勤と退勤を、福祉の世界から働きながら見ていたわけです。
ですから、行政がひっくり返るくらい大きく変わらない限り、現状の福祉の有り様は変わらないと思います。
ですから、子ども時代がとても大事。
更に言えば、子育てが大事。
言葉以前の発達段階にあるヌケや遅れをそのままにしてはいけないのです。
何故なら、頼れるのは親である自分しかいないから。


どこの世の中に、親以上の情熱を持って育んでくれる人がいますか。
そして現状を見ても、学校の先生だって、いくら予算や人員が増えようとも、学ぶ土台、働く土台ができていない子に、教えようがないのです。
結局、上辺だけの知識、テクニックにしかならない。
土台があって初めて、学校での学びが実践に繋がる生きたものになる。
福祉は…長くなったので、略。


学校は、発達のヌケを育て直す場所ではありません。
学校は、基本的な生活習慣、身辺スキルを教える場所ではありません。
より良く学べるために、家庭で土台をしっかり養う、発達のヌケ、遅れがあれば、育てていく。
そうやって家庭が主体的な子育てをやっていかなければ、自立も、一般就労も、さらに福祉的就労であったとしても、道が狭まってしまうのです。


私は福祉に全く期待してません。
現状の特別支援教育にだって、限界があると思っています。
ですから、治せるところは治す、未発達な部分は育てる。
これは家庭の中で、親子の育み合いの中で行えること。
そして、皆さん、一般就労を目指す。
今でさえ、働き手が足りずに、困っている社会です。
ある意味、福祉的就労を目指すよりも、一般就労を目指す方が、選択肢も、可能性も大きいといえます。


社会は、働ける人達を求めている。
発達障害云々ではなく、働けるかどうか、働き続けられるかどうか、が大事なのです。
そのための言葉以前のアプローチ、発達のヌケを育て直す、です。

0 件のコメント:

コメントを投稿