2019年8月20日火曜日

原始的なレベルでしか埋められない発達段階

思いっきり水遊びをした子ども、できた子どもは、泥遊び、砂遊びに興味が移っていきます。
ヒトが辿ってきた道を振り返れば、それは当たり前のこと。
夏が始まる前、「とにかく思いっきり水遊びを」とお伝えした数家族の親御さん達から、「急に砂場で遊ぶようになった」「泥が平気になった、自ら進んで触るようになった」というお話を聞きました。
一生懸命、来る日も来る日も、水をテーマに遊び、子育てを頑張られた結果だと思います。


水の段階を完了するのは、とても重要なことです。
何故なら、皮膚とその感覚を育てるから。
そして、次の段階である泥、砂の段階へ進めるから。
ヒトは、泥遊び、砂遊びを通して、人になる。


触っただけで、物事を判別できるようになる土台は、泥遊び、砂遊び。
ひとまとまりだった手を、親指と4本指に分けるのも、そのあと、5本、それぞれの指に分けるのも、泥遊び、砂遊び。
夢中になって、泥や砂と戯れているうちに、自然と手で情報を得られるように育ち、指の分化が完了していく。
だから、泥遊び、砂遊びは、とても大事な発達刺激。


水の段階を卒業していない子に、いくら促しても、泥や砂で遊ぼうとしません。
遊んでいる風に見える子は、みんな、スコップや木の枝など、道具を介して泥、砂と関わっているもの。
手で、足で、直接戯れる姿が、真の姿。


水の段階を完了していないから、泥や砂で遊ばない子もいるし、環境的に水で思いっきり遊べなかった、泥や砂で思いっきり遊べなかった子もいます。
いずれにしろ、それは手先の不器用となって表れます。
手先が不器用な子の中には、首の問題の子もいますが、結構、水遊び、泥遊びが足りなかったから、という子も少なくないように感じます。
原因、アプローチの方法は異なりますが、どちらも未発達が背景にあります。
だから、治る。


しかし、治るけれども、不器用だからといって、細かい作業をさせたり、指を動かす訓練をしたりしても、なかなか育っていきません。
養護学校で、手先が不器用な子ども達にネジ回しなどの指先を使う作業をひたすらやらせる姿を見てきました。
12年間やったのに、卒業時も、手先は不器用なまま。
結局、不器用だから指を動かす活動、では育たないということ。
ネジ回しはうまくなっても、指は自由に動かない。


近頃、つくづく思うのは、発達には、それに応じたレベルがある、ということです。
やっぱり泥遊び、砂遊びで育つ発達段階の刺激は、泥や砂以外ない。
今は、いろんなグッズやアイディア、プログラムに溢れているけれども、代替できるものはほとんどない、と思います。
進化の過程の中にある発達課題、段階は、どうしても自然を通してしか育てられない。
高度なものでは代替できない、どうしても原始的なものが必要な発達段階がある。


成人した方の中にも、同じような悩みを抱えている人がいます。
親御さんに尋ねると、やはり幼少期、泥遊び、砂遊びをした記憶がないといいます。
ですから、ある人には、土いじりを提案しました。
庭の小さな場所で野菜を育てる。
おのずと土、泥と関わるようになる。
気が付いたら、以前よりも、ラクに指が動かせるようになった、手で触ってわかるようになった、と言っていました。
他の方には、陶芸をお勧めしたこともあります。
成人してからの泥遊び、砂遊びは難しくても、泥や砂と戯れることはできます。


時代が進めば、より高度で、効率的なモノ、アイディア、プログラムへと、特別支援の世界も進んでいくはずです。
でも、発達のヌケ、特に言葉以前の発達段階、2歳までの発達段階のヌケ、遅れに対しては、ある意味、非効率的で時代にそぐわない方法でしか、育てられないと私は思うのです。


100年後、200年後の未来は、今の社会とはまったく違った文化、テクノロジーに溢れた世界だと思います。
人間の生き方も、当然、違っている。
しかし、人間の本質、発達は変わることがない。
人類の歴史から見れば、そんな100年、200年という単位で、遺伝子も、性質も、本質も変わるわけはないから。
ということは、100年後の子ども達も、水で戯れ、泥や砂で遊び、発達を遂げていく。


水でビシャビシャになって困るのは、泥で服が汚れて困るのは、大人の都合。
子どもの視点に立てば、重要な発達段階を歩んでいる証拠です。
どこかの療育機関に行かなくても、なんとかプログラムをやらなくても、子どもの発達を促すことはできるし、自然の中でしか育たない発達段階、レベルもある。
ある親御さんは、「久しぶりに、私も子どもと一緒になって泥遊だらけになって気持ちが良かった」と言っていました。
どこか懐かしい感じがするのは、泥だらけになってすがすがしかったのは、私達、大人も辿ってきた道だから。
子どもの発達を保障するとは、子ども時代を子どもらしく過ごせる自由を守ることかもしれませんね。

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