2019年8月26日月曜日

発達援助とは、新たなネットワーク作り

文章や言葉で伝えるとき、私も「重い」という表現を使うことがあります。
でも、それはニュアンスを伝えるため。
そもそも何を持って症状が重いというのか、わかりません。


知的障害の重度、軽度などという表現だって、ある側面を切り取った検査結果に基づいてラベリングされているだけです。
知的障害の知的って何だろうか。
ヒトの知能を検査で表しきることができるのだろうか。
というか、知能って何?
DSM-5でも、知的障害に関してIQのみからの判定から適応状態からの判定に変わりました。


「重度」や「軽度」などの表現を目にしますと、私は「発達障害者の中で」「ASDの人の中で」という具合に捉えます。
時々、「私は重度なんだ」「うちの子は重度なんです」という具合にこだわるような人もいますが、発達障害の人達に重いも、軽いもない、と私は思っています。
正直、発達障害の人に重い人はいないと思います。
同じ発達障害という括りで見れば、それは状態の違いがあるのでしょうが、障害全体で見たらどうでしょうか。


脳の状態、神経の状態からみれば、決して重度に分類される障害だとは思いません。
何故なら、五体満足の身体があり、ほとんどの発達障害の人は自分で移動することができ、口から食事を摂ることができ、他人に伝えられる表現を持っているからです。
多くの発達障害の人は、勉強だってできるし、仕事だってできるし、恋愛だってできる。


私は今、発達障害の人とばかり関わっていますが、これまでの間には他の障害の人達とも多く関わってきました。
頻繁にてんかんを起こす子もいましたし、胃ろうの子、自分で筋肉を動かすことができない子、身体に不自由がある子、それこそ現代医療では治らない病気を持った子もいました。
病気のため、障害のため、天国に旅立った子ども達もいます。
そういった子ども達と関わると、自然と重さを感じます。
そして脳や神経、身体へのダメージの大きさ、根っこからの問題を感じるのです。


彼らと関わった時間がありましたので、発達障害の人達と関わっても、重さは感じません。
多分、彼らと比べれば、発達障害の人達の障害された箇所は、部分的であり、とても狭く小さな範囲の話だと思います。
それこそ、神経細胞のダメージではなく、神経細胞の繋がり、シナプスの部分の不具合なのでしょう。
「繋がるべきところが繋がっていない」というイメージ。


五体満足な身体があり、神経細胞自体の問題ではない。
その繋がりの問題だったら、繋げれば良いと思います。
末端神経から刺激を送って、他の神経細胞を辿って。
ある部分での繋がりが生じなかったのなら、その周辺の神経細胞、シナプスで繋げていけばいい。
そんなイメージで、仕事をしています。


遺伝的な要素に、環境がスイッチを入れる。
そのため、繋がるべきところの繋がりが生まれず、それが発達の遅れとなって表面化する。
そのままの状態でいれば、発達障害。
もし、神経発達が起きない障害だったら、ずっと発達障害。


でも、繋がっていない=神経細胞がダメ、新たな繋がりが生まれない、というわけではありません。
周囲の元気な神経細胞を使って、新たなネットワークを築いていけばいいと思うのです。
「ヒトは死ぬまで発達する」というのは、遺伝ですべてが決まるわけではない、ということ。
そして、環境からの刺激によって、生涯、新たなneuroネットワークを作り続ける、ということ。


脳に損傷があった人が、器質的なダメージを受けた人が、他の脳の部分を使って、繋げて、機能を回復することだってあります。
元気で若々しい神経細胞に満ち溢れた子ども達に、どうして新たなネットワークが生じない、と言い切れるのでしょうか。


「発達するけれども、治らない」というのは、すでにフィクションであり、非科学的であり、一部の人達の願いから生まれる妄想にすぎません。
同じ発達障害なのに、これだけ表現型が一人ひとり違うのは、それだけバリエーションのある部分に生じた問題だということ。
まさに神経の繋がりこそ、多種多様、一人ひとりで全然異なる部分です。
それだけバリエーションが出るということは、繋がり方によって治る、機能回復する、中にはより良い繋がりによって、本来持っていた以上の資質が開花する場合だって考えられるのです。


一箇所の繋がりが生じなければ、もうおしまい、生涯そのまま。
それこそ、ナンセンス。
繋がり方に自由と柔軟性を求めたから、ヒトはどんな環境にも適応し、600万年、生き延びられてきたのでしょ。
「発達障害が治らないでほしい」というのは、たかだか100年くらいのとっても、とっても個人的な想い。
一箇所つながらないのなら、別のところから繋げていけばいい。
そのために、神経の材料の食事、ネットワークを繋げるための睡眠、末端神経を通した刺激。


本来繋がるべきだった部分での神経同士の繋がりが生じるか、で言ったら、生じないと思います。
本来、繋がっているところが繋がらなきゃ、その状態こそが「治る」のでしたら、治らない。
でも、そんなこと観察できないし、評価できない。
本来とは異なる部分同士の繋がりであったとしても、同じような機能で、生きている環境で適応できていたら、それこそ、治った。
脳にダメージを受けて身体が動かせなかった人が、リハビリによって動けるようになっても、「それは治っていない」というのですかね。
発達障害の人達は、それよりももっと部分的で細部で、シナプスというもともと自由度の高い部分での繋がりの不具合なのに。


初めてお会いする人と関わるとき、「ああ、本当はここのところが繋がりたかったのね」とアセスメントを行い、「じゃあ、その周辺からアプローチしましょうね」「新たなネットワークを作りましょうね」と発達援助をしています。
重いと感じる時間があったから、私は今日もポジティブな発達援助ができるのだと思います。
本来の場所じゃないかもしれないけれども、ちょっと遠回りしちゃうかもしれないけれども、新たなネットワークを築き、治っちゃいましょう!

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