良い地域って何だろう?
以前、相談を受けていた方から、自分が、我が子が「こんな風に成長しました!」とご報告をくださることがあります。
ほとんどの方とはお会いしたことがございませんが、メールや電話から伝わってくる雰囲気から、本人も、家族も大変喜ばれている顔が、姿が見えてきます。
何よりうれしいのが、その結果ではなく、「自分たちで成長できた」という達成感と、「これからも頑張っていく」という自立心が感じられたときです。
私がしているアドバイスは、占いみたいなもので、当たるも八卦当たらぬも八卦であります。
ですから、実際に考え、手と足を動かしたのは本人と家族であり、喜べる今はご自分たちで作ったものです。
私にできることは、一つのきっかけになること、行動を後押しすることなので、自分たちで動き出したのなら、それだけで良かったと思いますし、役目は果たせたなと思います。
さらに行動が、発達や成長を感じられる結果とつながったとなれば、それ自体が次の行動の後押しとなりますので、私が目指している“自立”が近づいたと言え、嬉しくなるのです。
こういった喜びのご報告とともに、「函館にいる人は羨ましい」というようなお世辞を頂戴することもあります。
しかし、上記で述べたように、喜ばしい結果を得られたのは、ご自身の、ご家族の行動と頑張りですし、第一、函館にいる人で大久保がいて良かったなんて思う人は皆無です。
利用してくださっている方達も、たまたま同じ地域に私がいただけであって、もし私がいなかったとしても、自分たちでできて、発達を促すアイディアを持った人を探し出していたと思います。
それくらい主体性と純粋な想いを持った人達だからこそ、治っていっているし、治ったのだといえます。
羨ましいどころか実際は、完全アウェーのブーイングの嵐の中、細々と活動しています( ;∀;)
私も起業当初は、「地域の一つの選択肢になりたい」と思っており、おこがましくも「地域を変えるきっかけになれれば」と言っていました、ごめんなさい。
でも、この仕事を続けていく中で、この地域に、選択肢を増やしてほしいというニーズはないし、選択肢を増やすことが地域を変えることにつながらないと考えるようになりました。
その人が治るか、治らないかというのは、地域に治す系の支援者がいるかどうかではないと思うんです。
結局、全国どこであっても、治したい人は治すし、治したくない人は治さないんです。
ローカルギョーカイにぐるぐる巻きにされる地域に住んでいたとしても治っている人がいる。
反対に、治る系の支援者がいても、それを選ばない人、選べない人がいる。
そして、自らの意思で対処療法を選ぶ人もいる。
どういった道を選ぶかも、一人ひとり違うし、違うのが自然。
だから、私は「治したい」「自分たちで主体的に育てていきたい」という人達の後押しすることが役割だと思うようになりました。
近頃、「良い地域」って何だろうと考えています。
いろんな専門の支援者がいる地域が良い地域なのだろうか?
福祉サービスが充実している地域が良い地域なのだろうか?
障害に理解がある地域が良い地域なのだろうか?
でも、いくら専門家がいっぱいて、サービスが充実していて、地域の人達に障害の理解があったとしても、本人、家族が幸せだと感じなければ、その人たちからは良い地域に見えないのではないかと思うのです。
つまり、「私の地域ガー」と言う人達は、良い地域に変わることを求めているのではなく、また良い地域だろうが、そうではないだろうが、自分が幸せになることを求めているのだと思います。
私は地域を変えることが、幸せな人達を増やすことだと考えていました。
しかし、幸せな人を増やすことが、地域を変えるのだと思うようになりました。
治りたい人が治っていける。
生涯に渡る支援ではなく、自立したい人が自立できている。
支援者に委ねるのではなく、家族が主体となって子育てしたい人が子育てできている。
そのような自分の希望に向かって歩める人がたくさんいるから、良い地域になっていくのだと思います。
全国から頂く相談からは、理想的な地域とは言えないものの、それぞれの地域で、個々に頑張っている姿が見えてきます。
その地域では少数派で、孤立しているかもしれませんが、ネット上ではつながっていますし、治りたいという輪は確実に広がってきているのを感じます。
治りたい人が、治った人、治すアイディアを持った人とつながっていく。
それは地域にとらわれる必要がないものです。
治りたい人から治っていくように、幸せになりたい人から幸せになっていく。
自分の希望に向かって歩めているのなら、その人にとっては良い地域であり、そんな人がたくさんいる地域は良い地域になっていくように感じます。
ですから、私は、自分が、希望される方がどこに住んでいようとも、治す後押しをしていきたいと思いますし、「もう函館にこだわる必要はない」と思う今日この頃です。
ブログの更新が止まったら、潰れたか、闇討ちにあったか、別の場所に行ったか、転職したか、と思ってください。
ほとんどの方とはお会いしたことがございませんが、メールや電話から伝わってくる雰囲気から、本人も、家族も大変喜ばれている顔が、姿が見えてきます。
何よりうれしいのが、その結果ではなく、「自分たちで成長できた」という達成感と、「これからも頑張っていく」という自立心が感じられたときです。
私がしているアドバイスは、占いみたいなもので、当たるも八卦当たらぬも八卦であります。
ですから、実際に考え、手と足を動かしたのは本人と家族であり、喜べる今はご自分たちで作ったものです。
私にできることは、一つのきっかけになること、行動を後押しすることなので、自分たちで動き出したのなら、それだけで良かったと思いますし、役目は果たせたなと思います。
さらに行動が、発達や成長を感じられる結果とつながったとなれば、それ自体が次の行動の後押しとなりますので、私が目指している“自立”が近づいたと言え、嬉しくなるのです。
こういった喜びのご報告とともに、「函館にいる人は羨ましい」というようなお世辞を頂戴することもあります。
しかし、上記で述べたように、喜ばしい結果を得られたのは、ご自身の、ご家族の行動と頑張りですし、第一、函館にいる人で大久保がいて良かったなんて思う人は皆無です。
利用してくださっている方達も、たまたま同じ地域に私がいただけであって、もし私がいなかったとしても、自分たちでできて、発達を促すアイディアを持った人を探し出していたと思います。
それくらい主体性と純粋な想いを持った人達だからこそ、治っていっているし、治ったのだといえます。
羨ましいどころか実際は、完全アウェーのブーイングの嵐の中、細々と活動しています( ;∀;)
私も起業当初は、「地域の一つの選択肢になりたい」と思っており、おこがましくも「地域を変えるきっかけになれれば」と言っていました、ごめんなさい。
でも、この仕事を続けていく中で、この地域に、選択肢を増やしてほしいというニーズはないし、選択肢を増やすことが地域を変えることにつながらないと考えるようになりました。
その人が治るか、治らないかというのは、地域に治す系の支援者がいるかどうかではないと思うんです。
結局、全国どこであっても、治したい人は治すし、治したくない人は治さないんです。
ローカルギョーカイにぐるぐる巻きにされる地域に住んでいたとしても治っている人がいる。
反対に、治る系の支援者がいても、それを選ばない人、選べない人がいる。
そして、自らの意思で対処療法を選ぶ人もいる。
どういった道を選ぶかも、一人ひとり違うし、違うのが自然。
だから、私は「治したい」「自分たちで主体的に育てていきたい」という人達の後押しすることが役割だと思うようになりました。
近頃、「良い地域」って何だろうと考えています。
いろんな専門の支援者がいる地域が良い地域なのだろうか?
福祉サービスが充実している地域が良い地域なのだろうか?
障害に理解がある地域が良い地域なのだろうか?
でも、いくら専門家がいっぱいて、サービスが充実していて、地域の人達に障害の理解があったとしても、本人、家族が幸せだと感じなければ、その人たちからは良い地域に見えないのではないかと思うのです。
つまり、「私の地域ガー」と言う人達は、良い地域に変わることを求めているのではなく、また良い地域だろうが、そうではないだろうが、自分が幸せになることを求めているのだと思います。
私は地域を変えることが、幸せな人達を増やすことだと考えていました。
しかし、幸せな人を増やすことが、地域を変えるのだと思うようになりました。
治りたい人が治っていける。
生涯に渡る支援ではなく、自立したい人が自立できている。
支援者に委ねるのではなく、家族が主体となって子育てしたい人が子育てできている。
そのような自分の希望に向かって歩める人がたくさんいるから、良い地域になっていくのだと思います。
全国から頂く相談からは、理想的な地域とは言えないものの、それぞれの地域で、個々に頑張っている姿が見えてきます。
その地域では少数派で、孤立しているかもしれませんが、ネット上ではつながっていますし、治りたいという輪は確実に広がってきているのを感じます。
治りたい人が、治った人、治すアイディアを持った人とつながっていく。
それは地域にとらわれる必要がないものです。
治りたい人から治っていくように、幸せになりたい人から幸せになっていく。
自分の希望に向かって歩めているのなら、その人にとっては良い地域であり、そんな人がたくさんいる地域は良い地域になっていくように感じます。
ですから、私は、自分が、希望される方がどこに住んでいようとも、治す後押しをしていきたいと思いますし、「もう函館にこだわる必要はない」と思う今日この頃です。
ブログの更新が止まったら、潰れたか、闇討ちにあったか、別の場所に行ったか、転職したか、と思ってください。
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