私は対処療法の存在までは否定しないけどね~
ブログを書き始めてから、もうすぐ丸5年になります。
毎日、300前後のアクセスがあるのですが、時々、1000を超えるときがあって、「あ~、今日もどこかで燃えているな」って思います。
オープンの場で書いていますので、別にリンクに貼ったり、拡散したりするのは構いませんし、ネガティブに取り上げられても、どーってことはありません。
いろんな意見があるのが自然ですから。
しかし、仲間内で、見えないところで好きにやっていれば良いのに、「消せ」だの、「訂正しろ」だの言ってくる人もいます。
「好き勝手書きやがって」みたいなのもありますが、ブログを書いている人達は、みんな好き勝手書いているのではないのですか。
誰かにお伺いをかけて、何度も推敲と校正を繰り返し、アップされているのでしょうか。
私は、発達のヌケを育てなおすことが幸せになる近道だと考えていますし、発達を促していくのはその人自身であり、家族が主体となって発達を援助していくのが良いと考えています。
私がこういった信念をもって仕事をしているように、他の方達も、おのれの信念の元に仕事や子育てをされれば良いと思います。
信念をもって仕事、子育てをしていたら、自分と違う意見の人に、わざわざ消せとか、訂正しろとか言う暇がないはずです。
私は、治った人、治すアイディアを持った人との出会いから、今は「治す」を中心に捉え、仕事をしています。
でも、それ以前は、ずっと視覚支援、環境調整を学び、実践してきました。
それ以外にも、ABAやSST、PECS、感覚統合等、一通り勉強してきました。
そうやって一通りの対処療法を学び、実践、経験したからこそ、信念をもって治す道を進めていますし、同時に、必要なときには対処療法のアイディアも使っています。
治す路線の人が、対処療法を絶対に用いない、完全否定していないように、対処療法路線の人も神経発達を促したり、感覚過敏を治したりすれば良いのだと思いますし、それが本人と家族のニーズに応えることだと思います。
発達障害支援センターこそ、本人や家族のニーズに合わせて、その時々で、いろんなアイディア、選択肢を提供できなければならないし、それが大事な役割の一つだと思います。
しかし、実際は、その機関ごとに色が出ていることがあります。
その理由は、行政からの委託事業だから。
一般のイメージとしては、専門家や優秀な支援者が集められ構成された独立した機関と思われるかもしれませんが、それぞれ母体があるのです。
県に1つ、政令指定都市に1つ、という具合ですので、個人が手を挙げて、「私やりたいです」と言っても無理です。
その場所場所での力関係、政治があるのです。
もちろん、実際に支援センターで働いているスタッフの方達は、研修を積み重ね、優秀な人も多いはずです。
でも、元を辿っていけば、委託を受けた法人の職員ということもあります。
となると、それぞれの法人の色が出ることもあるのです。
「一生涯の支援をお任せください」と言っている一方で、「支援が必要なくなるよう自立を目指しましょう」とは言いづらい。
「〇〇療法が、障害を持った方達に最適な方法です」と言っている一方で、「治す方法もあります」とは言いづらい。
「まず自分のとこで、その成果だせよ」とツッコミが入るので。
こうなると、本人や家族ではない方を向いて仕事をしている可能性がないとは言えないのです。
スタッフの人数と、任されている範囲を考慮すると、あり得ない担当、仕事量だと思います。
それでいて、各都道府県にできてから時間も経っているので、結果が出てしまっている。
そして批判されることが多い。
しかし、委託事業であり、母体の存在を知れば、過度な期待はしなくて済みます。
専門家集団で、どんなニーズにも柔軟に応えるわけではなく、色があり、意向がある。
「ここの通所、児童デイ、病院が良いですよ」と言っても、基準があって、どこでもここでも勧めているわけではないのです。
だって、治る路線の私は絶対に勧められないから(爆)
発達支援センターに行けば大丈夫、何でも応えてくれる、ということはなく、支援サービスの中の人つであって、最後はやっぱり“人”なんだと思います。
合う人もいれば、合わない人もいる。
その時々でも、合う合わないは変わってきます。
生きている者は、常に変化していますし、特に子どもさんの場合、変化がより大きいと言えます。
環境調整や視覚支援、お薬、ICTが必要なときもありますし、神経発達を促すことが必要なときもある。
子どもの支援に必要性、緊急性があるときもあれば、親御さんへのサポートに必要性、緊急性があることもある。
常に変化し、移り変わるからこそ、その時々で柔軟に対応していくことが大事なのです。
ですから、自分の主義主張、意見、専門と違う人がいても、その存在まで否定する必要はないし、否定することはできません。
特に「神経発達を促す」「治していく」は、誰しも必要な時期があるから。
私は対処療法の存在を否定しません。
何故なら、その人、その家族によって、必要なときと場合があるからです。
ただ根っこから課題を解決していく方が近道だと考えているので、優先順位が低いだけです。
私は個人事業主で、誰かの意向や利害関係はありませんので、信念の元に、その人に合ったアイディアをその時々で提供しています。
もちろん、ブログも、信念をもって、これからも好き勝手書いていきたいと思います!
毎日、300前後のアクセスがあるのですが、時々、1000を超えるときがあって、「あ~、今日もどこかで燃えているな」って思います。
オープンの場で書いていますので、別にリンクに貼ったり、拡散したりするのは構いませんし、ネガティブに取り上げられても、どーってことはありません。
いろんな意見があるのが自然ですから。
しかし、仲間内で、見えないところで好きにやっていれば良いのに、「消せ」だの、「訂正しろ」だの言ってくる人もいます。
「好き勝手書きやがって」みたいなのもありますが、ブログを書いている人達は、みんな好き勝手書いているのではないのですか。
誰かにお伺いをかけて、何度も推敲と校正を繰り返し、アップされているのでしょうか。
私は、発達のヌケを育てなおすことが幸せになる近道だと考えていますし、発達を促していくのはその人自身であり、家族が主体となって発達を援助していくのが良いと考えています。
私がこういった信念をもって仕事をしているように、他の方達も、おのれの信念の元に仕事や子育てをされれば良いと思います。
信念をもって仕事、子育てをしていたら、自分と違う意見の人に、わざわざ消せとか、訂正しろとか言う暇がないはずです。
私は、治った人、治すアイディアを持った人との出会いから、今は「治す」を中心に捉え、仕事をしています。
でも、それ以前は、ずっと視覚支援、環境調整を学び、実践してきました。
それ以外にも、ABAやSST、PECS、感覚統合等、一通り勉強してきました。
そうやって一通りの対処療法を学び、実践、経験したからこそ、信念をもって治す道を進めていますし、同時に、必要なときには対処療法のアイディアも使っています。
治す路線の人が、対処療法を絶対に用いない、完全否定していないように、対処療法路線の人も神経発達を促したり、感覚過敏を治したりすれば良いのだと思いますし、それが本人と家族のニーズに応えることだと思います。
発達障害支援センターこそ、本人や家族のニーズに合わせて、その時々で、いろんなアイディア、選択肢を提供できなければならないし、それが大事な役割の一つだと思います。
しかし、実際は、その機関ごとに色が出ていることがあります。
その理由は、行政からの委託事業だから。
一般のイメージとしては、専門家や優秀な支援者が集められ構成された独立した機関と思われるかもしれませんが、それぞれ母体があるのです。
県に1つ、政令指定都市に1つ、という具合ですので、個人が手を挙げて、「私やりたいです」と言っても無理です。
その場所場所での力関係、政治があるのです。
もちろん、実際に支援センターで働いているスタッフの方達は、研修を積み重ね、優秀な人も多いはずです。
でも、元を辿っていけば、委託を受けた法人の職員ということもあります。
となると、それぞれの法人の色が出ることもあるのです。
「一生涯の支援をお任せください」と言っている一方で、「支援が必要なくなるよう自立を目指しましょう」とは言いづらい。
「〇〇療法が、障害を持った方達に最適な方法です」と言っている一方で、「治す方法もあります」とは言いづらい。
「まず自分のとこで、その成果だせよ」とツッコミが入るので。
こうなると、本人や家族ではない方を向いて仕事をしている可能性がないとは言えないのです。
スタッフの人数と、任されている範囲を考慮すると、あり得ない担当、仕事量だと思います。
それでいて、各都道府県にできてから時間も経っているので、結果が出てしまっている。
そして批判されることが多い。
しかし、委託事業であり、母体の存在を知れば、過度な期待はしなくて済みます。
専門家集団で、どんなニーズにも柔軟に応えるわけではなく、色があり、意向がある。
「ここの通所、児童デイ、病院が良いですよ」と言っても、基準があって、どこでもここでも勧めているわけではないのです。
だって、治る路線の私は絶対に勧められないから(爆)
発達支援センターに行けば大丈夫、何でも応えてくれる、ということはなく、支援サービスの中の人つであって、最後はやっぱり“人”なんだと思います。
合う人もいれば、合わない人もいる。
その時々でも、合う合わないは変わってきます。
生きている者は、常に変化していますし、特に子どもさんの場合、変化がより大きいと言えます。
環境調整や視覚支援、お薬、ICTが必要なときもありますし、神経発達を促すことが必要なときもある。
子どもの支援に必要性、緊急性があるときもあれば、親御さんへのサポートに必要性、緊急性があることもある。
常に変化し、移り変わるからこそ、その時々で柔軟に対応していくことが大事なのです。
ですから、自分の主義主張、意見、専門と違う人がいても、その存在まで否定する必要はないし、否定することはできません。
特に「神経発達を促す」「治していく」は、誰しも必要な時期があるから。
私は対処療法の存在を否定しません。
何故なら、その人、その家族によって、必要なときと場合があるからです。
ただ根っこから課題を解決していく方が近道だと考えているので、優先順位が低いだけです。
私は個人事業主で、誰かの意向や利害関係はありませんので、信念の元に、その人に合ったアイディアをその時々で提供しています。
もちろん、ブログも、信念をもって、これからも好き勝手書いていきたいと思います!
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