地域で顔色を伺う必要はない!
「いろいろ言われて嫌になりませんか?」と訊かれることがあります。
正直、メンドクサイなと思うことはあっても、それで気が滅入るみたいなことはありませんね。
直接、言ってきた人に対しては、きちんと自分の主張をし、闘いますが、それ以外はどうぞご勝手にです。
この事業を始めるとき、「どうして函館なの!?」ですとか、「手が出せないところからバックアップを貰っておくか、いっそのこと、最初から手を結んでおいて方が」などと言われたものです。
これは都市部に行けということではなく、函館は止めた方が良い、いばらの道しかないから、という意味です。
私は、母親から「あんたは、いつも大変な方の道を選ぶ」と半分飽きられながら、よく言われていました。
自分ではそういった意識はないのですが、より困難だと感じる方へと進みたくなるのは子ども時代から変わっていません。
小さいときから、他人とは違った経験がしたかったですし、そこに困難さ、大変さが伴わないとやる気が起きなかったのです。
子供時分からの性分というのは、大人になってもなかなか変わらないもので、親から言わせると、「相変わらず、大変な道を進もうとする」といった生き方なのだと思います。
結婚してから、妻に「あなたは大切に育てられてきたのがわかる」と言われたことがあります。
ひと様のおうち、家族のことは知る由もなく、自分にとっては自分の家族が当たり前だと思っていたので、そう言われて驚いた記憶があります。
確かに大切に育てられたと感じていましたが、それが特別なものという感じはありませんでした。
冒頭の話に戻りますが、私は何を言われようとも、ほとんど気にはなりません。
たとえ、ひどいことを言われたとしても、それによって自分の価値、存在意義が変わることがないからです。
それに自分には、どんなときも味方でいてくれるパートナーがいて、子ども達がいる。
そして、両親、兄弟は決して私を裏切らないという確信が自分の中にあります。
ですから、世の中、全部が敵になっても大丈夫だと思っています。
このように考えると、自分がより困難な道を進もうとするのは、両親から土台をしっかり育ててもらった証拠であり、今、信頼できる家族がいるからだと思います。
「失敗しても大丈夫」「何を言われても大丈夫」そのような実感があるからこそ、より困難な道へと進めますし、失敗しても起き上がれば良いと前向きになれる。
こんな私だからこそ、権威や役職などに影響されるのではなく、自分の勘や想い、家族を優先してほしいと思うのです。
この地域で暮らしていくには、「あの先生の話は聞いておいた方が良い」「あそことは仲良くしておいた方、つながっておいた方が良い」なんてこともあるかもしれません。
でも、自分に、我が子に必要性を感じない支援を続ける意味があるのでしょうか。
「もっと別の道が、方法があるのでは」という直感に蓋をするのは、我が子のためになるのでしょうか。
協力という名の搾取で、プライベートの時間に借り出される親御さん達もいます。
本人が率先して行っているのなら、何も言いません。
でも、目を付けられないように、気にいられるように、後々利があるかもしれないからといって、笑顔を作って協力しているというのなら、私の目にはその姿勢が卑しく見えます。
たとえ、学校から、地域の組織から、有名支援者から、ママ友から、目をつけられたり、嫌われたりしても、どうってことはないと思います。
それよりも大事なことは、自分自身が主体的に生きること、またそのような子に育てていくこと。
そのために他人の顔を伺い、媚びる必要があるのか、考えた方が良いと思います。
「あそこと敵対すると、後々、大変になる、この地域で暮らせなくなる」
そんなことを言われる方がいます。
しかし、それは作り話。
学校はいずれ卒業するし、相談機関、福祉機関に、そこまでの力も、権利もありません。
もし本当に住めなくなったのなら別の場所に移り住めばよいですし、そもそも支援を必要としないくらい治り、自立できれば、そんな人たちの顔を伺う必要はなくなるのです。
地域で自立して暮らしている人に対して、他人はとやかく言ってきません。
ですから、敵は外にいるのではなく、自分の内側にいる。
信頼できる人がいるのか、自分の選択と結果に覚悟と責任が持てているのか。
そこの問題が、外に敵がいるように見せるのだと思います。
私が立ち上げた事業に終わりがきたら、それは周囲の力が強かったからではなく、ただ単に自分の実力がなかったからだと思います。
未来は分かりませんが、敢えてこの地域を選んだことを後悔していませんし、その日が来るまで、全力で頑張っていきたいと考えています。
そして、どんな状況、どんな未来が来ても、私はより大変な道、困難な道を選び、そちらを進んでいくのだと思います。
たくさんの困難を楽み、味わえる人生こそ、私にとっては充実した人生!
正直、メンドクサイなと思うことはあっても、それで気が滅入るみたいなことはありませんね。
直接、言ってきた人に対しては、きちんと自分の主張をし、闘いますが、それ以外はどうぞご勝手にです。
この事業を始めるとき、「どうして函館なの!?」ですとか、「手が出せないところからバックアップを貰っておくか、いっそのこと、最初から手を結んでおいて方が」などと言われたものです。
これは都市部に行けということではなく、函館は止めた方が良い、いばらの道しかないから、という意味です。
私は、母親から「あんたは、いつも大変な方の道を選ぶ」と半分飽きられながら、よく言われていました。
自分ではそういった意識はないのですが、より困難だと感じる方へと進みたくなるのは子ども時代から変わっていません。
小さいときから、他人とは違った経験がしたかったですし、そこに困難さ、大変さが伴わないとやる気が起きなかったのです。
子供時分からの性分というのは、大人になってもなかなか変わらないもので、親から言わせると、「相変わらず、大変な道を進もうとする」といった生き方なのだと思います。
結婚してから、妻に「あなたは大切に育てられてきたのがわかる」と言われたことがあります。
ひと様のおうち、家族のことは知る由もなく、自分にとっては自分の家族が当たり前だと思っていたので、そう言われて驚いた記憶があります。
確かに大切に育てられたと感じていましたが、それが特別なものという感じはありませんでした。
冒頭の話に戻りますが、私は何を言われようとも、ほとんど気にはなりません。
たとえ、ひどいことを言われたとしても、それによって自分の価値、存在意義が変わることがないからです。
それに自分には、どんなときも味方でいてくれるパートナーがいて、子ども達がいる。
そして、両親、兄弟は決して私を裏切らないという確信が自分の中にあります。
ですから、世の中、全部が敵になっても大丈夫だと思っています。
このように考えると、自分がより困難な道を進もうとするのは、両親から土台をしっかり育ててもらった証拠であり、今、信頼できる家族がいるからだと思います。
「失敗しても大丈夫」「何を言われても大丈夫」そのような実感があるからこそ、より困難な道へと進めますし、失敗しても起き上がれば良いと前向きになれる。
こんな私だからこそ、権威や役職などに影響されるのではなく、自分の勘や想い、家族を優先してほしいと思うのです。
この地域で暮らしていくには、「あの先生の話は聞いておいた方が良い」「あそことは仲良くしておいた方、つながっておいた方が良い」なんてこともあるかもしれません。
でも、自分に、我が子に必要性を感じない支援を続ける意味があるのでしょうか。
「もっと別の道が、方法があるのでは」という直感に蓋をするのは、我が子のためになるのでしょうか。
協力という名の搾取で、プライベートの時間に借り出される親御さん達もいます。
本人が率先して行っているのなら、何も言いません。
でも、目を付けられないように、気にいられるように、後々利があるかもしれないからといって、笑顔を作って協力しているというのなら、私の目にはその姿勢が卑しく見えます。
たとえ、学校から、地域の組織から、有名支援者から、ママ友から、目をつけられたり、嫌われたりしても、どうってことはないと思います。
それよりも大事なことは、自分自身が主体的に生きること、またそのような子に育てていくこと。
そのために他人の顔を伺い、媚びる必要があるのか、考えた方が良いと思います。
「あそこと敵対すると、後々、大変になる、この地域で暮らせなくなる」
そんなことを言われる方がいます。
しかし、それは作り話。
学校はいずれ卒業するし、相談機関、福祉機関に、そこまでの力も、権利もありません。
もし本当に住めなくなったのなら別の場所に移り住めばよいですし、そもそも支援を必要としないくらい治り、自立できれば、そんな人たちの顔を伺う必要はなくなるのです。
地域で自立して暮らしている人に対して、他人はとやかく言ってきません。
ですから、敵は外にいるのではなく、自分の内側にいる。
信頼できる人がいるのか、自分の選択と結果に覚悟と責任が持てているのか。
そこの問題が、外に敵がいるように見せるのだと思います。
私が立ち上げた事業に終わりがきたら、それは周囲の力が強かったからではなく、ただ単に自分の実力がなかったからだと思います。
未来は分かりませんが、敢えてこの地域を選んだことを後悔していませんし、その日が来るまで、全力で頑張っていきたいと考えています。
そして、どんな状況、どんな未来が来ても、私はより大変な道、困難な道を選び、そちらを進んでいくのだと思います。
たくさんの困難を楽み、味わえる人生こそ、私にとっては充実した人生!
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