支援者は消えても、対処療法は残るからご安心を

対処療法を求め、広めようとする人たちの中には、「治す」が広まってしまうと、自分たちが推し進める対処療法が消えてしまうんじゃないかと危惧している人もいるようです。
でも、いくら「治す」が広まっても、対処療法がなくなることはないと思います。
幼少期や、今まさに問題が起きてしまっているときなどは、じっくり育て直すよりも、スピードが必要であり、対処で乗りきらなければならないことがあります。
また視覚支援や構造化、イヤーマフ、電子機器など、根本の育て直しにはつながらなかったとしても、より良く学び、生活できるアイディアは、時代が進もうとも活用されていくはずです。
ですから、「治る」が広まっても、対処療法は残っていくと思います。


近い将来、5年もすれば、「治す」は標準になると思います。
もしかしたら「治す」という言葉は使われなかったとしても、発達障害は神経発達の障害なのですから、「その神経を育てていこう!」「発達のヌケているところは刺激を与えて育て直していこう!」となるはずです。
治った人も珍しくなくなり、治すためのアイディアも溜まっていくはずですから、全国各地で神経発達を促すための試行錯誤が行われていくと思います。
対処療法や補助を利用し、今の生活の質を高めつつ、もう片方で発達のヌケの育て直しを行っていく。
それが近い将来の基本的な姿になると予想しています。


そんな近い将来は、求められる支援者の姿も変わっているはずです。
特定の対処療法しか引き出しのない支援者は必要がなくなります。
「根本から治す」と「対処する」の両方の視点がなければ勤まりませんし、これが最低基準になると思います。
このベースの上に、発達のヌケの見立ての質の高さ、一人ひとりに合わせた治すと対処の組み立てができるかが問われてくる。
「治す」と「対処」の絶妙なバランスが見える人、取れる人です。


そして、「根本から治す」を追い求めていくと、どうしても家族、家庭と突き当り、その力が重要になってきます。
発達のヌケを育て直すのは、家族が主体であり、家族の試行錯誤の中で育まれていくものです。
そうなれば、今のように支援者はいらなくなります。
正確な発達のヌケの見立てができ、一人ひとりに合った組み立てができる支援者が少数いればいいのです。
そういう人が後方から発達援助を後押しし、本人と家族が主体的に発達と成長の道を進んでいく。
ここまでくれば、学校の先生が今のように福祉ではなく、教育に専念できるはずです。


近い将来、支援者のほとんどは消えてなくなります。
残った少数の支援者達は、腕の良い人と、福祉の中で介護をする人です。
我が子に発達のヌケがある。
そのヌケと育て方を支援者がアドバイスする。
親御さんが主体となって育て直しを行っていく。
学校で、その子がより良く学べる方法を使い、学習を積み上げていく。
卒業後は、より良い社会を作る一員として飛び立っていく。
彼らが働いて納めたお金を使って、幼い子を持つ親御さんへの支援、福祉の力を必要とする人達へサービスを届ける。
こういった循環する自然な形の社会へ向かっていくのだと思います。


極端なことを言えば、私を含めた支援者という存在がいらなくなる社会を目指す。
家族が土台で、その上は社会が育んでいく未来。
障害を持った子の“人生”、我が子の自立と幸せを願う“親心”、みんなが汗水流して収めた“税金”を食い潰し寄生虫のような存在になってしまっている支援者には一日でも早く消えてもらわなければなりません。
そのために、私は今、治っていく人を一人でも多く社会に飛び立たせることに励んでいます。
時代が変われば、私の仕事も必要なくなる。
それで良いのです。

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