継続できる余暇

私は「継続できる余暇」を持つことが大切だと考えています。
"継続できる"とは、「大人になってもできる」、「独りで完結できる」という2つの意味が含まれています。

「大人になってもできる」余暇は、年齢を問わず、行える活動のことです。
例えば、テレビゲームだったり、読書、音楽鑑賞、〇〇の収集などです。
(*ゲームや本、聴く音楽が子ども向けの内容でも構いません。あくまで活動自体が大人になってもできるか、ということです)
反対に、大人になってできなくなる余暇は、"高い高い"などの身体接触を伴う遊びや追いかけっこ、ブランコなどのいわゆる幼児向けの遊びです。
自閉症の人たちの中には、年齢の概念がうまく捉えられない人もいます。
また、周囲からどのように思われているかを想像することが苦手な人もいます。
ですから、このような遊びを年齢が高くなっても行おうとすることがあります。
身体が大きくなった人を"高い高い"することは体力的に難しく、かけっこやブランコなどの遊びは、場所などの環境の面で現実的に難しくなります。

「独りで完結できる」余暇は、自分独りの力で、準備から実施、片付けまで行える活動のことです。
誰かの手を借りないとできない活動は、自分以外の理由で継続できなくなる可能性があります。
ですから、「継続できる余暇」には、独りで完結できるということも重要な要素になります。

私は、大人になってできなくなる余暇は初めからするのではない、と言っているのではありません。
身体接触遊びが好きな子も多いですし、自閉症の人たちが苦手なやり取り、コミュニケーション能力を養うきっかけになることもあります。
身体を使ったダイナミックな遊びは、ストレス発散や運動機能の成長につながっていくと思います。
しかし、このような遊びでしか、余暇の時間を過ごせなくなると、将来、継続できず、本人が困ってしまうかもしれない、と言っています。

家族や支援者とある時期まで一緒に遊び、楽しい余暇を過ごしていたのに、突然その遊びができなくなる。
そんなとき、急に別の活動で余暇を過ごしなさい、と言われても本人たちが困ってしまいます。
「だって、私はずっとこの遊びしか余暇の過ごし方を教わってきてないもん」
ですから、このような遊びだけではなく、将来も継続できる余暇活動を教えていく必要がある、と考えています。

身体接触を伴う遊びが好きな子どもは、人とのやり取りを別の形に発展させていったり、癒される触感を別のもので得られるようにしてみるのはいかかでしょうか?
身体を使ったダイナミックな遊びが好きな子どもは、例えばかけっこをマラソンといったように、大人になってもできる趣味に発展させてみるのはいかがでしょうか?

子どものときに好きだった遊びをそのままの形で継続することが難しい場合もあります。
そんなとき活動自体を無しにするのではなく、好きな遊びの要素(ex.走る、揺れる、早さ、高所、水)を残しつつ、別の活動に発展させていくことが、自閉症の人たちにとって必要な支援の一つであると考えています。

コメント

このブログの人気の投稿

【No.1390】20年間、この世界に身を投じてきた私の結論

【No.1376】根本から治したいなら、これくらいやる必要がある

【No.1391】『発達障害治療革命!』を読んで