【No.1233】私は今、人生の間(ま)を生きている

末松文部科学大臣がツイッターに断髪式に参加した写真をアップしていました。
当然、その写真を見た人は憤るのも当たり前です。
何故なら、学校や幼稚園、保育園、子ども達に対して更なる自粛を求める方針を政府が出したばっかりだからです。
時差通学だ、部活動は中止だ、挙句の果てに2歳児以上のマスク着用の話が出て、相当の人達が怒っているタイミングで、自分は断髪式に参加。
プロ野球のキャンプはOkで、部活動、コンクール、対外試合は自粛。
この国は子ども達を守らない、いや、一番に差し出すのは子ども達の権利ということが明々白々になった、しかも文部科学大臣はそういったことを所管する役職です。
「いやいや、鋏を入れるときだけマスクは外して、あとはつけていました」なんて、明後日の方向の言い訳をしていましたが、世の中の空気が読めていないし、国民のことを第一に考えているわけではないことが表れている弁明文でした。
政治家になって何かがしたいわけではなく、大臣になるのがゴールのような職業政治家。
連続6期当選しているわりには、初めての大臣就任で66歳。
結局、やっと大臣の椅子の順番がめぐってきたというだけなんだと私は思います。


私は政治家に1ミリも期待していないですし、もっといえば、他人に何かを期待することはありません。
期待したい何かが見えているのなら、自分で動けばいいからです。
自分で動いてもいないのに、何かが天から降ってくることはないでしょう。
ですから、この末松大臣のSNSに対して、特に怒りなどの感情は持っていませんし、持つだけ無駄な時間と労力だと思います。


一方で、末松大臣のSNSには多くの人達からのリプライが飛んでいました。
そこには「子ども達が自粛しているのに」「卒園式に参加できなかった」「息子の青春を返せ」などの多くの声が寄せられていました。
そういったことが実際に起きているのは不条理だと思いますが、じゃあ、そのうち、何人の人達が実際に行動したのか、という疑問を持ったのです。
卒園式に保護者一人だけと言われたのなら、そういった園に要望や問い合わせをすべきではないか。
学校で部活動や修学旅行が中止になったのなら、できる形を提案し、話し合うことが必要なのではないか。
大臣にいくらリプライを飛ばそうとも、そんな個別のことは対処しないでしょうし、それこそ、現場で個人個人が動くべき事案ではないではないでしょうか。
法律で「部活動は禁止」「マスクは必須」などが決められているのでしたら、大臣案件かもしれませんが、そんな法律も、義務もない日本なのですから、指先動かしてないで、動けよ、と私は率直に思います。


こういった大臣のSNSとそれに対する大勢のリプライを見て、これこそが日本の問題の本質だと感じました。
他人に何かをしてもらおうという人が多すぎ。
私も何度も息子が通う学校にはおかしい点を指摘し、子ども達の発達の機会、学習の機会を制限するような先生たちの言動に対しては抗議と改善を求めてきました。
学校だって、管理職だって、上から言われていることをただ言われるままにやっているだけで、確固たる根拠もなければ、子ども達を守るという気概もありません。
ただ問題が起きないように、自分が赴任している間は、担任している間は保護者ともめないように、それだけを考え、生きているようにしかこの2年間でのやりとりの中からは見えませんでした。


公教育には、ただ学力、学習面できちんと指導を行ってくれればよい、くらいにしか思っていません。
あとは家庭で、または地域資源を利用することによって、我が子を育てていかないといけないと考えています。
ただ学校に通ってくれればいいや、宿題をやってくれればいいや、では自立する力、それこそ、これから日本は大変な時代になっていきますから、その中を生き抜く力は学校教育の中では身につかないでしょう。
特に批判的な思考は公教育では身につきません。


GHQが日本の教育に介入し、管理しやすい人間を作る方向に進めていったのは周知の事実です。
その「管理しやすい人間」はどのように作られたかといえば、私は「批判的な思考」を教えなかった、それから子ども達を遠ざけてきた、いけないことと教え込んだことだと理解しています。
科学というのは、批判的な思考、視点がなければ、発展していきません。
先人が突き止めたことを批判的に見て、別の視点から物事の本質を突き止めようとするから、新たな発見に繋がるのです。
日本のものづくり、工業技術だってそうで、現状で良しとせず、それまでの常識を否定することから、新たな技術革新、私達の生活を豊かにする商品、サービスが生まれました。
もっといえば、江戸時代の寺子屋教育だって、藩校だって、喧々諤々と議論し合いながら、お互い高め合っていました。
縄文土器だって世界で先駆けて日本で作られたという証拠が見つかるくらいです。
逆に言えば、だからこそ、GHQは日本人たちの素晴らしい学ぶ力、向上する力を削ぐために「批判的な思考」を取り上げたのだと思います。


私が隣国の独裁者だったら、北海道(本日は北方領土の日)を侵略し、尖閣諸島、沖縄を取りにいくでしょう。
このコロナ禍で見せた日本人の姿は、他国から見れば、侵略するにはいとも簡単と思わせるものでした。
防衛上の観点からみても、この日本人の死に対する怯え具合、洗脳のしやすさ、従わせやすさ、自立心のなさは、非常にまずいと思いますし、いざそのときになったらアメリカが助けてはくれないでしょうし、なんなら共産圏とアメリカは占領した日本を分け合うくらいなこともすると私は思っています。
敗戦、占領などというのは歴史の教科書の話だと思っていましたが、まさか自分が生きているときにそのような現実が起きようとは夢にも思いませんでした。
それくらい私は危機感を持っていますし、子ども達の未来、日本の将来を憂いています。


まじめにコツコツと同じ製品、サービスを間違いなく作り、提供する。
それが戦後、日本が復活できた源だったと思います。
しかし、欧米人、いやグローバル企業、組織はルール自体を変更しました。
AIと自動技術、ロボット技術により、誰にでも出来る仕事は人がやる必要がなくなったのです。
トヨタのような自動車産業からコンビニまで、あらゆることは機械が大部分を担うようになるでしょう。
一部の管理する人間だけが必要で、あとは機械で十分。
また介護など、機械化が難しい仕事は人が引き続き担っていくでしょうが、経営者からしたらただ言われることしかできない日本人よりも、語学も堪能、自らで考え行動でき、さらに賃金が安い発展途上国の労働者を雇うはずです。
今の日本人、若者、子ども達は、AIに勝りますか?外国人労働者に勝てますか?


私は偶然が重なり、縁あって発達障害の世界に入りました。
そして施設職員時代から仕事というのは、他人のために行うことであり、その結果としてお金をいただくことだと考えています。
子ども達、親御さん達、世の中がよりよくなるように努める。
その接点、ツールが私にとっては発達援助という仕事だった、という認識です。


コロナ禍を経て、「当たり前に成長する」というのが益々難しくなるのだと感じています。
砂糖、添加物、農薬、土壌・川・海・空気汚染、石油から精製される薬などが、私達ヒトという生き物の健康を奪っていると思います。
今の楽を求めた結果、心身が蝕まれ、それが次世代の子ども達に影響を及ぼしているといえます。
タブレット、スマホ、夜型の生活、環境汚染、そして未発達の大人の増加。
ある意味、その大人たちもGHQによる教育改悪の被害者ともいえますが、いい歳こいて「自己実現♪」などと言っている幼稚な大人が子育て、また子ども達を身をもって守ることなどできるとは思えません。


ヒトは言語と共感する力を手に入れることによって、未来を想像し、他人を想う気持ちを獲得しました。
有性生殖の道を選択した私達は、いずれ死にます。
いま、生きているのだって、誕生と死の間(ま)なのです。
だからこそ、ヒトは次の世代、特に未来を作っていく子ども達を大切に、無心に尽くすことが求められる。
いわゆる利他という精神になれるのは人間だけなのですから、自分の間(ま)を他人のため、より良い社会と未来のために使うことで、初めて一人の人間として、大人として成長したといえるのではないでしょうか。


散々、好き勝手に生きてきて、いざ、子どもに発達の遅れが起きたとき、「大久保先生、うちの子、どうにかしてください」という人は大っ嫌いです。
どうにかするのは私ではなく、親御さん、ご家族。
まるで自分の愛着障害を癒すためだけに、自分の承認欲求を満たすためだけに、自分の自己実現のために、発達支援、援助、特別支援教育に携わっている支援者、先生、専門家も大っ嫌いです。
私は発達援助という仕事を通して、一人でも多くの子ども達に支援される側から抜け出し、そして自分自身の足で行動し、選択して生きている人に育ってもらう後押しがしたいと考えています。
だからこそ、本気で子ども達の発達を守りたい、よりよく育ってほしい、自立した人生を歩んでほしい、と願う人としか仕事をしたくありませんし、自分の持っているものを提供しようとは思いません。


子ども達に進んでワクチンを接種させる親御さんもいるでしょう。
コロナ禍が終われば、それ以前のように言われることを言われるままに生きていく生活に戻っていく人たちが大多数でしょう。
そのような人達に「気づいて」というつもりはありません。
今の日本を作り、勝ち逃げ人生を歩んでいる高齢者の方たちを責めるつもりもありません。
今回綴ってきたような危機感を共有できる人、人間として利他の精神を持てるくらいまで成熟している人、自分自身が変わっていきたい人、それがたとえごく僅かな人数であったとしても、そのような方たちと共に、私の人生の間(ま)を生き抜きたいと思っているのです。




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2022年2月発売予定です。

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