【No.1230】大脳皮質から発せられる言葉

月曜日の夜は、カムカムよりも楽しみにしているカーネーションがあって、ついに綾野剛が登場。
長崎弁、九州弁は心地良いですね。
同じ九州出身(役では)ですから、あんな風に無口でシュッとしたいなと思いつつ、幼いときからずっとしゃべりっぱなしだった私なので、どう頑張っても武田鉄矢寄りにしかならないなぁ~なんて観ていました。


今朝は早くから目が覚め、函館の雪に反射する朝日に心が洗われるような感じがしていたら、今日は旧暦で言えば、お正月でした。
四季の移り変わりがあり、自然と共に生きてきた日本人ですから、明治と共に捨て去らなくても良かったのにな、と思います。
2022年は2月4日が立春ではありますが、やっぱり感覚的には1ヶ月のズレを感じますね。
3月の初旬ごろの気候がまさに立春といった感じで、今日も真冬の真っ只中という気温です。


私のところには、自閉症、アスペルガー、発達障害などと診断を受けた大人の方たちからの相談も多く来ます。
しかし実際にお会いしたり、メールでのやりとりをさせて頂くと、本当にその診断名なのかな、と疑問に思うことがあります。
他の精神疾患を持っているけれども、「発達障害」という風にされてしまっている方や、もともと発達障害があり、育て直す機会がないまま大人になり、凸凹が大きいために周囲とのトラブル、生活のトラブルが絶えず、精神疾患を発症したような方もいるように感じます。


20歳なら20年間の歴史があり、30歳なら30年の歴史があります。
幼児さんの発達がずれだした時期、課題の根っこが掴みやすい一方で、こうした大人の方たちは根っこまで到達するのにはより丁寧な確認作業が必要になります。
その人の本来の資質なのか、凸凹の発達を基にした環境適応なのか、ご自身のサバイバル術としての言動なのか、どんな人と出会い、どんな体験をしてきたのか。
現在の姿は生きてきた物語の先になりますので、相談の際には一人ひとりの物語を大事に読み解きながら、また今困っていることを今少しでもラクにできるようなアイディア、生活の組み立ても大事になると思います。


そうは言っても、大人の方たちは親御さんからの情報が得られないことや、ご自身でも覚えていないこと、または思いださないように蓋をしてしまったことも多々ありますので、一緒に歴史を振り返ることができない場合のほうが大部分です。
そうなると、現在の姿からその人が辿ってきた歴史と課題の根っこを見抜ける技術が求められます。


そんなとき、私が注目するのは、その人が発する言葉、書いている文字です。
その言葉、文字がどこから発せられているかを感覚的に捉えることに力を注ぎます。
端的に言えば、大脳皮質から出た言葉か、古い脳から大脳皮質を経由した言葉か、そこに注意を向けています。
自閉症の人達の中には言葉を巧みに使う人も多いですが、感情や本能などの古い脳がシャットダウンしているような感じで、大脳皮質からポンポン言葉が出ている場合があります。
同じ言葉を発しているのだけれども、奥行きがないと言いますか、温度を感じないと言いますか、薄っぺらく窮屈な雰囲気を伴う言葉だと感じるのです。
ここはペーパーテスト、知能テストでは評価しづらい部分ですね。


本来、言葉というのはヒトが身体で感じたこと、内的な感覚を音声や形に表したものです。
なので、本能の部分、感覚の部分、身体(動き)の部分が育って初めて、身体感覚を表現するための道具としての言葉となります。
一方でとくにコミュニケーション、社会性に課題を持つ自閉症の人達は、こういった大脳皮質下に未発達やヌケ、またはそこと大脳皮質との繋がりの部分に課題があるため、どうも「大脳皮質↔言葉」というやりとりで言葉を発しているような印象を受けます。


大脳皮質下を経由しない「大脳皮質↔言葉」での処理は、大脳皮質という部分的な情報処理体系になりますので、偏った疲れを生じさせます。
それが「頭グルグル」「頭でっかち」というような表現をされることがあり、身体は疲れていないけれども、脳が、とくに情報処理の部分のみが疲れているように見えます。
その大脳皮質に偏った疲れは、双方向のコミュニケーション、複数の情報を並列処理しながらの行動を難しくさせ、一方的に話したり関わったり、臨機応変に仕事をこなすことができないといった課題に繋がっていきます。


相談できるということは、言葉でのやりとりが可能だということになります。
ですから、どうしても時間がない中で彼らを解釈しようとすれば、「社会性の問題、対人面の問題、だからSSTまたは周囲の理解啓発」という方向へ支援が進みがちです。
しかし、「大脳皮質↔言葉」という人には、さらに大脳皮質での処理を促し、余計に負荷がかかってしまいます。
理解啓発の本来の意味がわからないのも、「大脳皮質↔言葉」で処理している人に多い気がします。
空気が読めない人に必要なのは、「こういった場面では、こういった振る舞いをしましょう」という教示ではなく、空気を読むための感覚、身体の未発達、ヌケを育てていくことだと思います。


成人支援をしている支援者さんからコツを尋ねられるとき、私は「きちんと大脳皮質下を経由しているかを見ることが大切です」とお話ししてます。
もちろん、ノンバーバルな大人の人も同じで、機械的に身体を動かしているか、感情や本能を出発とした行動なのか、その辺りを確認し、見抜くことは大切です。
一方で、子ども達は身体や感覚のヌケ、未発達があり、うまく自分の内側にある声を聴くことができない。
それが単に感情を爆発させるだけだったり、「大脳皮質↔言葉(運動)」でロボットのようなコミュニケーション、他人との関わり方になってしまったりすることがあります。
こうした違いにも目が向くようになると、脳の動き、状態が見えるようになってくると思います。




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