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【No.1457】「治らない」という意見と、「治る」という意見

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お母さんが仕事から帰ってきたら「お父さんが死んだ」と言おう。 そういえば今日はエイプリルフール。 今も昔も、新年度初日を愉しんでいるのは子ども達のようです。 でも息子よ、どうせならもう少しハッピーな嘘にしてくれないかな(笑) 大人の世界では「フェイクニュース」や「陰謀論」など、噓か実か瞬時に判断できない情報で溢れていますね。 ある個人や集団にとって都合の悪いものをそういった言葉で打ち消そうとしたり、逆に都合のよい方向へ誘導しようと捏造し情報戦を仕掛けたり。 人間は「最初に見た情報」と「多数派の意見」を信じてしまう傾向を持っていて、しかも日本人は「権威に弱い」ので真実かどうか確かめるよりも先にコロッといってしまう。 「最初に見た情報」「多数派の意見」「権威に弱い」 まさにハッタツの沼の正体です。 最初に「生まれつきの障害で治らない」という情報に触れ、「育て方のせいじゃない」「支援が必要」「受容が必要」という多数派の意見を信じ、非科学的な問診と行動観察のみの診断名を医師という権威がつけたということだけで受け入れる。 冷静に見れば、ハッタツのギョーカイで言われていることのほとんどが“意見”です。 新生児の脳を調べて、「この子は自閉症ですね」と診断された子も、診断した医師もいない。 育て方は関係ないというけれども、成育環境によって脳や神経発達に影響が出ることは明らかになっている。 支援や受容が必要な子や場合はあるかもしれないけど、それよりも発達の遅れを育て直すことが必要な子、育てなおすことが可能な子もいる。 同じ“意見”だったら、「発達障害が治る」も、「治らない」もその人が信じるほうを選択すればよいのです。 まあ、「治らない」と思って子育てしていると治らないので、その人にとっては「治らない」が真実になるのでしょうが。 この特に親御さんがどう捉えるか、考えるか、は子どもさんの予後に大きな影響を与えると思います。 たとえば、音に強く反応することを「聴覚過敏」と捉えるか、「耳の未発達」と捉えるかで大きな違いです。 なんでもかんでも「特性」と言っちゃうのもそうですね。 「これは自閉症の特性なんです」と言っている家庭のお子さんを見れば、それはまだ学習できていなかっただけだったり、別の課題があってうまく行動がつながっていなかっただけだったり。 多いのは同年齢の子と比べて数年遅れて出てい...

【No.1456】効果があった子に共通する方法が見いだせないだろうか?

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言葉が出るようになった。 おしっこがトイレでできるようになった。 文字が書けるようになった。 夜、寝られるようになった。 かんしゃくがおさまった。 服を噛むのがなくなった。 支援級から普通級へ転籍できた。 知能指数が上がった。 発達のヌケが埋まった。 いろんな“できた”と出会ってきました。 だけれども、「これをやればOK」というような共通した方法はありませんでした。 「言葉が出ない子にはこれをやったらいい」みたいな。 ある子には言葉の発達を促す方法だったとしても、別の子にはまったく効果、変化を生まないことだって多々あるのです。 それは当然ですね。 同じ発達の遅れ、課題に悩む子だったとしても、一人ひとり違いますから。 もちろん、家族だって。 私も以前は効果があった子に共通する方法が見いだせないだろうか、と考えた時期もありました。 もう四半世紀くらいこの世界で支援に携わっているので。 でも関わる家庭、子ども達が増えれば増えるほど、その目標は遠のくばかり。 知れば知るほど、育ち方、治り方には多様性があって、唯一無二の方法など存在しないと現実が見えてくる。 自分の強みは関わってきたケースの数だと思っていたのに。 しかし私はあることに気が付きました。 育ち方、治り方に共通した方法はないけれども、逆にうまくいかなかった方法、環境には共通点があることを。 こういった状態だと、子どもさんの発達はなかなか進んでいかない。 この課題がクリアされていないと、全体的な発達につながらない。 言葉が出るよりも、出ない家庭に共通する環境がある。 認知の面、とくに概念理解が進んでいかない子には共通した課題がみられる。 やっぱり「呼吸・栄養・刺激」が発達の条件で極端に欠けていると影響が大きい。 やっぱり「快食・快眠・快便」の上に育ちがあるから、ここが整っていないとうまくいかない。 睡眠の課題でも寝るのが遅いよりも、途中覚醒や起床時の不機嫌さがある子のほうが心配、など。 うまくいかないケース、なかなか課題がクリアされない、発達の遅れやヌケが育っていかない家庭には共通した状態があると思います。 ですから発達相談においても、この点を確認して、まずはそこから手を付けていきましょう、という方向でお話しています。 施設職員、学校教諭、相談員という経歴の中で、私自身、たくさん失敗したし、そういった人たちを見てきた...

【No.1455】「他人の気持ちがわからない」は特性か?

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相手の気持ちがわからない子がいます。 いや、相手の気持ちに気が付いていない子。 じゃあ、その“気が付かない”根っこは? そうです、自分の気持ちに気が付いていない。 自閉っ子に共通する特徴として、この気持ちを読む、察する力の弱さがあげられます。 場にそぐわない言動や一方的な関わり方。 これは園や学校などの集団生活の中でも問題になりますし、一緒に暮らす家族としても困るところ。 しかし、それがギョーカイ的には「特性の一つ」として定義しているので、向かう先がちぐはぐになる。 周囲が我慢するか、間に支援者が入って転ばぬ先の杖になる。 または丁寧に「〇〇ちゃん、嫌な気持ちになっているよ」と何度も説明する。 もっとアクロバティックになると、「もしあなたが同じことをされたらどう思う?」という視点の切り替えという複雑な脳機能を通して理解を促そうとしたり、無限にある場面から1つ取り出して「この場面ではこう振舞います」と暗記させたりする。 他人の気持ちに気づけない、理解できないという表面的な現象に対して、「とにかく絆創膏しなきゃ」「とにかくマスクしなきゃ」とやられてきた子たちが相談にやってくると、教え込まれたパターンで突き進む姿が確認できます。 たぶん、本人たちからすれば、意味も分からず、「指導者が一旦、落ち着くから」という想いで指示されたリアクションをしているだけ。 でそれが染みつく。 でもその場にいた指導者以外の場所に行くと、新たな問題行動して「場面に関係ない一方的な関わり方」とみなされ、重い自閉症としてレッテルの張替えが行われます。 「これだから自閉症は…」と非難の目にさらされる本当の原因は、そういった固定観念から抜け出せない指導者、支援者の貼った絆創膏だったりするのです。 こういった後天的に教え込まれ、身に付けた行動はなかなかとることができません。 だって、その行動を身に付けることは自分の身を守ること、安心へと繋がってきたから。 たとえパターン学習で応用の効かない行動だったとしても、そのときの指導から逃れるためには役に立ったのです。 「他人の気持ちに気づけない」 「一方的な関わり方をする」 そういった子の多くは自分自身の気持ちに気づいていません。 自分の内側で起こっている変化に気づけていないのです。 だから支援するのは「〇〇ちゃんが嫌な気持ちをしているよ」という他人の内側ではなく...

【No.1454】ヒトの枠組みに戻すと見えてくる

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人間、亡くなるとき、最後まで残る感覚は聴覚と言われています。 「ひとは音を聞くことから始まり、最期に音を聞いて終わる」 そんな耳は、魚が水中で音(振動)を聞くために使っていた鰓から進化したもの。 とすれば、ひとは「振動に始まり、振動に終わる」といえるのかもしれません。 水中(羊水)の振動と、空気の振動です。 お風呂につかるのではなく、もぐる自閉っ子。 プールで泳ぐのではなく、水中でじっとしている自閉っ子。 耳を手で塞いで、自ら発する音を聴く自閉っ子。 一定の動き、小刻みな動きを自ら作り出す自閉っ子。 彼らの行動は進化との向き合いと、自らの発達を育て直す退行。 自閉症を特別支援の枠で捉えると見えないものが、ヒトの枠組みに戻すと見えてくる。 同じ感覚の話でいえば、優先順がもっとも高いのが視覚で、次は聴覚。 そして触覚、嗅覚、味覚の順番になっています。 つまり、上位の感覚が強いとき、下位の感覚が乏しくなる、ということ。 スマホをいじりながら食事をしているサラリーマンは、ほとんど味がしていない。 (音がうるさい)飛行機の機内食はどんな料理も美味しく感じない。 香水が強い人と食事をしてもおいしく感じない。 とにかく味覚には邪魔が入る。 味覚以外でも、スマホ画面に集中している子どもは、言葉は耳に入らないし、ママに優しく触れられても気が付かない。 視覚に極端に偏った発達、脳の歪み。 視覚以外の感覚全般の遅れ。 色鮮やかな動画、止まることのないBGMはその他の感覚を意識に上らせない。 意識できない感覚を育てようとするのは難しい。 ヒトの育ち、原理原則から発達援助を考えると、味覚を育てたければ明るすぎない環境、静かな環境、ゆったりとした服、人工的なにおいを遠ざけることが必要なのかもしれない。 下位感覚を育てるには上位感覚のコントロール、刺激の調整が必要。 逆に言えば、上位感覚が育てば、下位感覚の異常、問題が解決する。 触覚過敏を治したければ、聴覚に解決の糸口があるかもしれない。 聴覚が育った子が「触覚過敏が治った!」と喜ぶことも少なくありませんね。 ▶発達相談の内容・お問い合わせはこちら http://terakkojyuku.com ▶Instagramのフォローはこちら https://www.instagram.com/terakkojyuku/?hl=ja

【No.1453】「問題行動」という言葉に注意

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それまでおとなしかった子が突然 「言うことを聞かなくなる」 「手や足が出るようになる」 「嫌なことがあると奇声を上げて感情を爆発させるようになる」 といった行動を示すようになることがあります。 当然、親御さんは驚き、悩み、以前のようなおとなしい姿に戻るようあれこれ原因を探って対応を考えます。 もし定型発達の子なら、その子に発達障害がないとしたら、問題と捉えることはあっても、問題“行動”と捉える人は少ないと思います。 この「問題行動」という言葉には気を付ける必要があります。 「問題行動」はすでにギョーカイ用語、ハッタツ界隈内で使われる共通言語になってしまっています。 問題行動=支援が足りていない状態、支援が必要な状態 問題行動=障害ゆえの問題 問題行動=介入すべき行動、なくすべき行動 問題行動=まさに心身の問題であり、二次障害の前段階 「問題行動」と聞くと、ギョーカイ人は パターン①おどろおどろしいものとして親御さんを脅す パターン②急にやる気を出して自分の好みの支援法、介入法を試し始める パターン③「うちは無理」と拒絶か、問答無用で投薬開始 が主な反応です。 当然、親御さんもネットや書籍、実際の支援者の言動から影響を受けて、突然現れた子どもの困った行動をネガティブなものとして捉えてしまう。 もちろん、環境の大きな変化、いじめなどの辛い体験などが影響して、おうちで「荒れる」といったことが起きる場合もあります。 しかし発達相談の場面で、詳しくお子さんの様子を確認したり、親御さんからの話を聞いたりすると、そういった明確な原因が見当たらないケースも多くあります。 不登校の子が「明確な理由がない」「自分でもなぜ、いけなくなったのかわからない」というのと似ていると思います。 つまり、原因が外(環境側)にあるわけではない。 「内側にある」ということ。 発達のヌケが埋まったり、それまで凸凹していたところ、遅れていたところが育ち、いろんなことがわかるようになった、刺激に対する感度、幅が広がった。 それゆえに(脳が受け取る刺激が)情報過多になり、脳内の処理が追い付かず、パニックになる、精神的な混乱状態になる、といったこともあります。 発達したからこその混乱であり、まさに成長痛。 赤ちゃんの「黄昏泣き」にも近いかもしれません。 認知機能が進むがゆえに、それまで気付かなかったこと、認識でき...

【No.1452】高いハードル

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「いつか…いつの日か特性を個性だと言い切れるようになりたいと思います」 ドラマ『テミスの不確かな法廷』での主人公の言葉。 同僚から「特性は個性」と言われるが、「“特性は個性”とそう言えるには高いハードルがあります」と言ったあとに続く言葉でした。 自然と涙が頬を伝うのに対して、「自分はどうして泣いているのだろう」と疑問に思う。 だけど周囲から「(長年抱えていた想いを言葉にすることができて)ほっとしたんじゃないですか」と言われると、そうか、自分はほっとして涙が出たんだと理解する。 とてもリアリティのあるシーンであり、感動する最終回のシーンでもありました。 成人した当事者の方から「職場には“発達障害”を告げた方がいいんでしょうか?」という相談を多く受けます。 これから就職面接を受ける人も、すでに働いている人も。 みなさんは、こういった相談を受けたとき、どう回答するでしょうか。 もちろん、現実の相談の場面ではなにか一つの方向を示すよりも、一緒に整理しながら本人が考えることをサポートする、になりますが。 考えるのは「本人の視点」と「職場の人の視点」 本人が発達障害だと周囲に告げることで、気持ちが楽になる、前向きになれる、もやもやが消えるのなら良いと思います。 ただ注意しなければならないのは、告げることで「ミスをまけてもらおう」「言い逃れしよう」「同情を得よう」といった気持ちがあるのなら、そこには待ったをかけます。 ミスを認められない人はどこであっても受け入れられづらい。 仕事はボランティアではありません。 仕事はサービスを受ける人、モノを買う人からお金をもらって成り立っています。 同時に会社で働く人にも家族や生活がある。 だから成果が出るか出ないかは別にしても、仕事でお客さんに、また会社のためにベストを尽くそうとすることは当然です。 ただ自分の特性を考慮すると、「別の部署、仕事の役割のほうが力が発揮できる」といった前向きな交渉は一般の社員も行うことであり、会社にとってもポジティブになることもあるのでチャレンジするのは良いと思います。 あと忘れてはならないのは、職場の人の視点です。 つまり一言でいえば、働いている人ならどう評価されているか、それとこれから面接という人はその職場はどのような職場か、です。 働いている人が毎日休まず出勤している 役割、担当に対して問題なく業務が行えて...

【No.1451】タイムリーな成長、トータルな成長

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「親の私にできることを教えてもらいたい」 発達相談の依頼のメールにはこのような言葉が綴られていることが多いです。 「発達障害は治らない」 「生涯にわたる支援が必要」 「親になったなら理解と受容が最も大事」 そういった言葉の数々には、「親にできることは限られている」というメッセージとして伝わります。 このメッセージが親御さん達を二つの方向へと背中を押していく。 「良き支援、支援者のもとへと連れていく引率者」か、「多くのことを望まない修行者」か。 必死に全国各地の支援者のもとを訪ね、平日も休日も関係なく療育、支援機関のもとへ我が子を引っ張っていく家族もいます。 子ども自身、理解が追いつかないまま、日課やタスクのようにやられるがままに療育をこなしていく。 親御さんもヘトヘトになっているが、取り憑かれたように「この道しかない」と突き進んでいく。 当然、パートナーへの負担は大きくなり、きょうだい児は年齢以上の振る舞いを身に付けていく。 発達相談の場が家族の崩壊を止める機会になることも少なくありません。 離婚や別居、施設に預ける、といった内容へと進んでいくこともしばしばです。 エピソードでいえば、まだまだハードなものはあります。 愛着障害持ちの支援者、HSPを売りにしている支援者なら、とっくに辞めているか、バーンアウトしているでしょう。 でも私は悲惨な家族の状態と直面しても、我が子に対して悲観的な想いを吐露されても、ネガティブなほうへと引っ張られることはありません。 むしろ、そういったご家族だからこそ、私は希望をお伝えできると思うのです。 元発達障害児の若者も、自閉症などの特性を持ちつつ大人になっている人も、多く知っています。 知的障害があって、一般的にイメージする自立した生活が送れていない成人の方たちも知っています。 そして彼らの多くが、その子らしく生きている姿を知っています。 確かにお金の面で、生活の面で、自由を手に入れているかと言えば、そうではない人もいます。 だけど、みんな、私達がイメージするような悲観的な人生は送っていないのです。 むしろ、楽しそうに、一般的な人よりもずっと幸せそうに生きている。 彼らは年相応なふるまいはできないかもしれない。 彼らは周囲から見れば、変人で、ヤバい人かもしれない。 だけど、一人ひとりの歩みを見れば、10年、20年遅れで、人生のイベントに...

【No.1450】どこまでいっても「N=1」

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「エビデンスのある療法をやっている」 「早期に診断を受け、早期から療育を開始している」 「著名な医師、支援者から定期的な指導を受けている」 「もちろん、私も勉強して家でも取り組みは行っている」 でも 改善しないのは 問題が解決しないのは 発達が遅れたままなのは 療育や支援、支援者から卒業できないのは 何故だろう? 私のところに相談に来てくれる親御さんも含めて、なにかが“足りないから”と思っている人が大多数なように感じます。 早期から療育を始めた人も 「ああ、もっと早くに始めていれば」 「3歳からじゃなくて、違和感を持った1歳から始めていれば」 「ABAじゃなくて、身体アプローチをやっていれば」 とよくならない理由を自分に向けてしまう。 “自分のせいにする”というのは、前提として療育、支援者側に問題がない、そっちは価値あるものとして捉えているということになります。 私もこの世界に20年以上いますので、古今東西、有名支援者、専門家という人達から直接の指導や研修などを受けてきました。 しかしギョーカイ的に著名で、凄腕と言われる支援者の多くが特定の療法に精通している人であって、目の前の人に対して優れたアプローチができるか、その人が改善し、問題を解決することができるか、といえば疑問に思う人ばかりです。 良い例が強度行動障害への支援です。 リアル強度行動障害の人達の支援に携わっていたとき、第一人者と言われるような教授、支援者の研修、講演会、コンサルも受けたことがあります。 しかし、どの専門家たちも、「それは机上の空論ですね」「頭の中で組み立てた支援ですね」という話ばかりです。 ある著名な支援者は、私が働いていた施設の寮の中には入ってきませんでした(笑) 強度行動障害の支援について有難いご講演をされている方が、強度行動障害の人達が暮らす寮には怖くて入ってこれない。 窓の外から様子を見て、すぐに帰っちゃった(笑) 同僚とみんなで「だめだこりゃ」と笑った記憶があります。 ハッタツの世界にいて、ずっと疑問に思うのが「多様性」という言葉です。 確かに発達障害の人はその症状、発達の仕方が一人ひとり異なり、まさにその実態はグラデーションです。 だから多様性というのはわかるのですが、どうして療育や支援に関しては多様性が認められないのでしょう。 学校に行っても、療育施設に行っても、だいたいどの子...

【No.1449】教育や支援の質、行政の問題ではない

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「発達障害がある子も、学んだり、成長できたりする機会を提供する」 そんな事業構想を表明したとき、一番批判してきたのが学校の先生たちでした。 「わざわざお金払ってサービスを受けたいなんて人、いないでしょ」 「どうして公的な機関があるのに民間なの」 そんな表面的な批判の裏に彼らの本音を聞くことができました。 「どうせ、この子たち、将来、施設に行くのに、そんなのやる必要があるの?」 「どうせ、やったって変わらないでしょ」 当時、それなりの役職についていた先生はちゃんと言葉で伝えてくれました。 「現状維持で丸儲けな子たちだよ、大久保くん」 「どうせ、施設」 「どうせ、変わらない」 これは学生時代から散々聞かされた言葉です。 自閉症、知的障害がついた時点で、医師も、教員も、支援者も、みんな、諦める。 どう支援しやすい、介助しやすい子に育てるか、学習させるか、が目標になる。 だって生涯にわたる“支援”が必要だから。 「支援に頼りながら幸せに生きていく」 一時期、この意味不明なワードが流行ったことがあります。 現在も、発達障害を持つ人、その家族を取り巻く環境、システムには多くの問題があるでしょう。 行政の予算の付け方、支援者の質、学校教育の専門性、診断と投薬のみの医療。 この国の特別支援教育が何を目指しているのか、どういった子を育てていきたいのか、不明確なままです。 しかし問題の根本は身体や遺伝子の障害と、発達障害を同じ「障害」に位置付けていること。 神経発達の違いは障害ではありません。 自閉症も、知的障害も、ADHDも、神経発達が“生じない”障害ではないのです。 その前提が間違っているから、いくら資格や研修を増やしても、予算を増やしても、サービスの種類を増やしても、制度設計を変えても、意味がないのです。 未だに「脳の機能障害」「生まれつきの障害」から始まっているのです。 そこから出発すれば、「できるだけ支援やサービスを増やしてあげよう」「現状維持を目指そう」「いま、楽しいことをしてあげよう」または子どもよりも、介助する家族、支援者に「負担がかからないほうへ」と進んでいくのは自然な流れです。 まじめで一生懸命な先生、支援者ほど、手を貸しすぎて、彼らの育つ機会、試行錯誤する機会を奪っている。 「“治る”、“診断が外れる”だなんて奇を衒ったことを言うのは、お客さんを増やそうとしている...

【No.1448】児童デイや療育に期待すること

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法人がやっている障害者施設であったとしても、知的に、また症状が重い子よりも軽い子のほうに利用してもらいたいと思っているのです。 それなのにどうして児童デイが重い子を好んで受け入れるでしょうか。 私が関わっている通所施設、児童デイだって、代表や中心となる支援者さんが優秀であったとしても、スタッフさんは専門的な勉強や経験がなかったりする人がほとんどなのです。 田舎は顕著に「割のいい仕事、バイト、パートの一つ」になっています。 公共事業と一緒です。 世の中、性善説というか、悪く言えば世間知らずか、はたまた「見たくないものは見ない」としているのか、福祉、とくに障害児者に関わっている人は「心がきれい」「良い人」「志のある人」と思われているふしがあります。 でも、そういった人はごくわずかで、ほとんどは愛着障害のたまり場であり、無資格、未経験者大歓迎の職場。 他の仕事と違って成果が出なくても「障害のせい」にできますし、問題を起こさなければ行政からお金がやってきます。 行政だって支援の質を評価することはできないのですから、提出書類に不備がなければそれでよし、となる。 「困難がある子や重い子の方に加算がつく」というインセンティブがあるじゃないか、という人がいるかもしれません。 そんな“重さ”なんてどうにでもなるのです。 そもそも診断自体が客観性のない主観的で曖昧なものなのですから。 どこの障害者施設だって軽い子をどうやって書類上重くするか、ニーズが高いようにするかやっています。 逆に重い子、行動障害があるような子、労力やリスクが高い子は「うちでは十分な支援が受けられません」「うちだと事故、その子が怪我をして問題になるかもしれませんよ~」「その子にとってもっと良い施設がありますよ」と、それらしく書類に書いて提出する。 「その根拠は?」と言われれば、私が見聞きした、また上司の指示だったとしてもそういった資料を作っていた張本人だから。 ネグレクトを受けている子や不登校の子を「障害児」として施設利用につなげることだって、昔から行われている常套手段。 全国各地、出張で発達相談に行きますが、児童デイの支援シートを見ると、「これってどこかで見たよな」という文言が書かれています。 年齢と障害名を打ち込めば、あとは自動で作成してくれるソフトが同じメーカーのものだったのでしょう。 こういった現実を知って...

【No.1447】発達障害、どこを治すか問題

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「あとからでも発達の遅れを取り戻せたり、 症状もアプローチによって改善できたりするのはわかった。 でもじゃあ、どこまで治って、どこまで治せばいいの?」 そういった質問、相談を受けることは少なくありません。 親御さんの中には、治るというのはぜんぶの症状、困り事がなくなり、“普通の子”みたいになることをイメージされている人もいます。 もちろん、そういった人たちを批判したいわけではありません。 どうしても「治る」と聞くと、また「元発達障害児」とか目にすると、イメージするのはそこら辺にいる普通の子になりますよね。 やはりハッタツの世界も、子育てママの入れ替わりがあるので、その都度、説明する必要があると思っています。 で、この頃は次のようなお話をしています。 発達の遅れ、発達のヌケの育て直しが終わると、「本当に診断受けたの?」というくらい同年齢の子と同じような状態に変わる子もいます。 そういった子はだいたい相談者の60~70%くらいで、その多くの場合は発達の遅れが軽微だったり、就学前の早期からアプローチの開始、子育ての方向性のチェンジが行われているといえます。 あとはその子にとって発達を強く阻害している刺激があって、それを排除することで本来の発達の流れ、状態に戻る子もいます。 一方でやっぱり発達の遅れやヌケは育ったんだけど、完全には育ち切らない、特性の部分は残ったまま、知的な遅れも続く、という子も40%くらいいるのも事実です。 でも、こういった子ども達、またご家族の話を聞けば、「治った」と言えるのも事実。 ずっと生まれつきの障害で治ることのないと言われてきた。 しかし取り組み、アプローチ、生活の見直しを行った結果、大きな変化、発達&成長が見られた。 夜寝ることが難しかったのが、多動でじっとできなかったのが、ずっと奇声を上げて不安定だったのが、見られなくなり、落ち着いた生活が送れるようになった、学習もできるようになった。 こういった子ども達も「治った」と言えるでしょう。 話が飛びますが、「共感性が乏しい」「細部にこだわる」「規則性を好む」「多動」など、今の社会から見れば、困った特性であり、障害というレッテル張りがされる特徴ですが、人類700万年の歩みの中で生き残った特性(資質)ということは、それが必要な特性であり、生存戦略には優位に働くこともある、という表れだといえますね。 も...

【No.1446】「やったらやっただけ“よくなる”」という勘違い

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松山ケンイチは相当、自閉症について勉強、研究したんだと感じます。 役を演じる人物にどんな特性があるか、事細かく書き出し、それを踏まえたうえで演じている、と知りました。 若干、過剰気味かなと思うところもありますが、過去のドラマと比べて自閉症の演技を違和感なく観ることができています。 それにしても今週の『テミスの不確かな法廷』は切なかった。 迷惑をかけたわけではなく、ただ他の子と“違う”ことで、どうしてこんなにも本人、家族が苦しまなければならないのか。 この世界に入って20年以上経ちますが、このあたりの悲しさは変わっていないと思います。 こちらのブログに来てくださっている方たちは、みなさん、常連さんで、すでに症状や課題がクリアされ、元発達障害児のお母さんが多いと想像します。 ですから今日は情報共有です。 私がてらっこ塾を立ち上げたときとは異なり、個人や民間で発達相談、援助などをする人が増えました。 いろんな人がいろんなことを言い、いろんな方法で「良くなりますよ」と言っている。 だからかもしれませんが、どうも親が頑張れば頑張るほど“良くなる”と捉えている人が増えた気がします。 もちろん、親御さんが頑張るのは当然といえます。 だけど、多くの親御さん達が勘違いしているように、「やればやるだけ良くなる」というわけではありません。 どうも改善したおうちというのは、「お母さんがたくさん勉強して、たくさん家でも療育をしているからよくなったんだ」と思っている節がある。 私のところにも 「親が頑張らないと治らないんですよね」 「あの治ったおうちは、親御さんが相当勉強して家でもアプローチを頑張っているんですよね」 「うちの子が治らないのは、私の勉強不足、やってあげられないから」 とおっしゃる親御さん達はいます。 「治ったおうちは、いろんな専門家にみてもらってアプローチや助言をしてもらい、それをおうちでも継続して行う先に“治る”に到達した」というイメージ。 でも実際はそんな感じはありませんね。 むしろ、そうやって親が主体で「やらねば」と熱心に取り組んでいるおうちのほうが治るから遠ざかっているケースもあります。 発達援助の基本と言いますか、私の考えかもしれませんが、大事なのは「子どもが自ら育っていくための環境づくり」だと思っています。 本人の内側にある発達する力をどうやって引き出していくか。 ...

【No.1445】5歳児健診という新たな関門

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生後すぐに1ヶ月健診がある。 その後、1歳半健診があって、3歳児健診がある。 3歳児健診以降、就学まで健診がないから「5歳児健診を」というのは、新たな利権づくりにしか見えないのは私だけでしょうか。 5歳児健診、早期実現の目的に「切れ目ない診断体制」「早期に発達の課題を見つけることで安心して就学を迎える」とある。 “切れ目ない”というのはお決まりのワードで、結局、お客さんを手放しませんよ、取りこぼしませんよ、という本音を隠したもの。 そんなに検診してどうするのでしょうか。 そもそもそこで発達に課題がある子を見つけて、医療、福祉はどんなことができるのでしょうか。 「発達障害は生まれつきの障害で治らない」と言いつつ、早期に見つけて介入しようとする。 医療や福祉が早期に介入して良い変化が起きるのなら、こんなに発達障害で困る子ども達が増え続けるのはどうして? 少子化は進んでいるのだから、困る子が減るのが普通じゃない。 でも実際は就学後、学校生活でうまくいかない子たちが多くいる。 学校現場からも、そういった子の対応で「大変だ」という声が上がっている。 普通級の中に発達に課題のある子、発達障害と疑われる子が多く在籍し、問題となっている。 だから就学前にそういった子を見つけて、早期に介入し、課題を解決しよう、という流れもあって「5歳児健診」という話だが、0歳、1歳半、3歳でなす術がない医療、福祉に「5歳からの介入ならいけそう」と期待するのは無理でしょう。 というか、彼らに症状の緩和や改善、治療という視点がないのですから。 彼らが求めているのは、長く利用してくれるお客さんを獲得すること。 安定した顧客確保なのです。 幼い子を育てる親御さんをサポートすることは重要なサービスだと思います。 だが一時的に預かってもらっても、日中自分の時間が持てるようになっても、悩みや不安を聞いてくれる時間と人が持てるようになっても、金銭面で補助してもらっても、悩みの根本である我が子が良くならなければ同じことが続くだけ。 特別支援が始まってもうすぐで20年になりますが、一度も発達障害で悩む子が減った年がない。 むしろ、増え続ける一方。 普通、なんらかの介入をしたら、ポジティブな変化が生じるはずです。 そのポジティブな変化が見られないとすれば、それはその介入が間違っているか、意味がないかのどちらか。 国は長く...

【No.1444】☆祝☆創業30周年~花風社さん

昨日の2月23日、いつもブログで紹介させてもらっている、また私が長年、愛読し、ファンである花風社さんが創業30周年を迎えられました。 一つの会社を30年間もの長い間、続けられたというのは並大抵なことではないと思います。 代表である浅見さんの行動力、社会のニーズや一歩先の未来を読む力、またその時々の課題を解決してくれる人が現れる不思議な縁、導き。 そしてそうやって世の中に送り出された数々の書籍を長年、愛し、応援した読者の人たちがいた結果ではないでしょうか。 30年という月日の中で、どれほど多くの子ども達が大人になったのか。 どれほど多くの自閉っ子たちの課題を解決、また成長を後押ししたのか。 どれほど多くの家族の希望、喜びに繋がったのか。 想像しただけで花風社さんの存在の大きさを感じます。 私個人的なことを書かせてもらえれば、こんなに大きな影響を受けた書籍、こんなに何度も繰り返して読む書籍はありません。 10年以上前に出版された書籍であっても色あせず、何度も読み返しては新たな気づき、また発達援助の指針を感じることができます。 そういった魅力が続くのも、読者の自立心や応用力を信じた書籍づくりがされているからでは、と思っています。 自閉っ子たちを援助するための原理原則、基本となる軸が記されているからこそ、常にアイディアを刺激してくれるのです。 発達相談では悩みの相談と同時に、「おすすめの本はありますか?」と訊かれることが多くあります。 そのたびに本棚にある花風社さんのラインナップから 「〇〇さんのご家族には『脳みそラクラクセラピー』がヒントになるかも」 「いまのお悩みには、『自傷・他害・パニックは防げますか?』が助けになるな」 「お母さんには支援のアイディアというよりも、『支援者なくとも、自閉っ子は育つ』が良いな」 と紹介しています。 発達相談を続けていく中での共通言語&理解にもなるので、よりよい変化と結果に繋がっていると感じています。 花風社さんは特別支援関連の中でマイノリティと捉えられている面もあると思います。 しかし、本当にそうでしょうか。 私の住む函館の書店であっても、新刊が発売されればすぐに棚に並びます。 全国各地出張に出かけても、必ずと言っていいほど、花風社さんの書籍が特別支援コーナーに並んでいます。 たしかにほかの出版社のような大学教授や有名支援者&医師が著者...

【No.1443】理解を助ける支援、援助

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例年よりも雪が多く降った函館。 やはり旧正月を迎えたあたりからプラスの気温が続くようになって、道路のアスファルトが見えるようになりました。 日本の気候、四季から言えば、1ヶ月半のズレがありますよね。 北海道の長い冬がようやく終わろうとしています。 今日は久しぶりのブログ更新で、「理解」について書こうと思います。 相談の依頼の多くは「我が子の発達の遅れを育ててあげたい」「我が子の〇〇について悩んでいるので対処、解決の仕方を知りたい」というものです。 最初はメールの文面でそういった相談がくるのですが、これってAIに同じ文章を書いて送っても良いのでは、と思います。 発達障害の治療や援助の実績は積み上がり、情報は溢れている。 だから、「言葉の遅れを育てたい」とAIに尋ねれば、それだったら「口の発達はいかがですか」「足の親指の力は育っていますか」なんて、すぐにhow-toが返ってくる。 今は完璧にはできないかもしれませんが、そんな時代はすぐそこまで来ているでしょう。 発達の遅れを取り戻した人、育てた人はたくさんいる。 発達障害の人あるあるの悩みを解決した人もたくさんいる。 AIは便利で素早く、そういった人、情報を繋げてくれる。 じゃあ、発達相談の仕事はなくなるか、といえば、そうは思いません。 なぜなら、本当に訊きたいのは育て方、対処法、解決の仕方じゃないから。 発達相談の仕事をして、もうすぐで丸13年になりますが、「悩み事に対する回答が得られれば満足です」という親御さんには会ったことがないのです。 いろんな悩み事、相談事がある。 しかし心から望んでいることは、「我が子のことを理解したい」という想い。 別の言い方をすれば、「理解できるはずの我が子のことが理解できず、苦しんでいる」というのが本当の姿ではないでしょうか。 一番そばにいる親である自分が我が子の言動を理解することができない、わかってあげることができない。 だからこそ、悩むし落ち込むし、その「少しでも理解してあげたい」という想いが本やネットでの情報収集、支援機関、専門家への訪問へとつながっているのだと思います。 私は発達相談という仕事を通して、まず「我が子のことを理解できない親御さん」のことを理解しようと考えています。 繰り返しになりますが、how-toを知りたければ、本やネットを調べれば私に依頼する必要はないのです。 ...

【No.1442】インスタの扉をあけたら時代の変化に衝撃を受けました

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インスタの扉を開けたおじさんは驚いた。 発達支援を謳う人がこんなにもいるなんて。 ほとんどは児童デイや療育機関に所属している人だけど、私のように個人事業で行っている人もいる。 てらっこ塾を立ちげた上2013年は全国的に見ても私くらいなものだったのに。 児発やデイだけじゃなくて、支援者も雨後の筍状態になったのか。 おススメに流れてくる支援者のアカウントと投稿の波に飲み込まれそうになりました。 今の子育て世代に当たる親御さん達はエックスやブログじゃなくて、インスタやTikTokが主戦場だといいます。 さすがに43のおじさんに今からTikTokを始めるのはハードルが高い。 そんな想いでインスタにしたけれども、この短い動画と写真でちゃんと伝わるのだろうか、と疑問に思う。 我が子の発達の遅れが気になる。 そんな指摘を受けた。 それで検索するのがインスタ。 で流れてくるのが、私を含めたよくわからない支援者の顔写真と主張。 この中からどれが良くて、うちの子に合うのか決めるのはとても難しいじゃないかな。 いろんな支援者の投稿を見ていて気が付いたことがある。 結構、身体や神経をターゲットにした療育が多いこと。 こうやったら「目が育つ」「耳が育つ」「身体が育つ」「動きが育つ」と身体からのアプローチで発達を促そうとしている投稿も目立つ。 動画もあるのでいくつか見たけれども、「やり続けたらターゲットとなる神経の発達は促されるよな」と思うことばかり。 でも同時に、「それって発達障害児だけの話じゃないよね」とツッコみが入る。 発達障害が神経発達症になった。 だから神経をターゲットにしたアプローチが増え、効果が出ているのは頷けます。 実際、私も実践してきたことですし。 でもインスタに出てくるアプローチの多くは、神経発達を促す遊びや運動であって、なぜ、その子にいま、それが必要なのか、が示されていません。 幼稚園や保育園で実践されていた養育をそのまま発達の遅れがある子に転用しているように感じます。 ひとことでいえば、誰にでも当てはまる方法。 神経発達を促すアイディアが幼稚園や保育園、運動、スポーツ系から入ってくるのは良いことだと思います。 選択肢が増える、それだけオーダーメイドできる可能性が増えるからです。 一方で、その子のどこに発達の課題があり、生きづらさの根っこに繋がっているのか。 またその発達...

【No.1441】2026年のご挨拶

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今年は帰省しなかったので、函館で新年を迎えました。 大晦日から降り続けた雪が20㎝ほど積もり、朝から雪かき。 そのあと、家族で初詣に行き、やっと今、ほっと一息といったところです。 外も氷点下の気温が続いていますが、やっと雲の合間から太陽の光を確認することができました。 昨年末に書いたブログの通り、今年もますます「発達障害かどうか」「診断があるかどうか」は大きなことではなくなると予想しています。 それよりも大きくなるのが、「あなたは何ができますか?」という問いに対する答えだと思います。 「何ができますか?」の“何”はAIに取って代わられない人間らしさの部分です。 小学生と中学生の子の親ですが、彼らの勉強を見ていると、30年前の私が受けた教育と基本的には変わっていません。 多少、「自分で調べて発表する」といった能動的な内容が増えた感じがしますが、根本は知識の習得であり、輪を乱さない指示に従える人間を作ることになります。 脳みそを鍛えるという意味では9年から12年、それ以上の期間、学校教育で学ぶことは良いのかもしれませんが、敢えて人間がそれだけの時間をかける必要があるのか、と思います。 そういったことはAIに任せて、人間しかできないことをやったほうが良いのではないでしょうか。 人間らしさって何だろう。 人間らしさというのは、自分の意思で、また内側から湧き出る欲求に従って行動できること。 AIには意思もないし、欲求もない。 合理的な結論よりも、ときに非効率で直感的、感覚的な行動ができる。 そこに人間らしさというものがある。 また「肉体を持つ」というのも重要な人間らしさといえます。 コロナ前までは、できるだけ普通級で、できるだけ進学という方向で助言することが多かったです。 実際、そちらの方が社会に出たときの自由度、就職率も良かった。 しかし、社会が大きく変わる今、そういったことよりも、経験と実績、技術を持つことのほうが自由に、また豊かに生きていける可能性が高くなったといえます。 昨年の発達相談でも、こういった社会の変化を念頭にお話をした結果、専門学校を目指したり、アルバイトでも実技を必要とするようなところを選択したり、というような若者とそのご家族が増えています。 コミュニケーションが苦手でも、発達が凸凹してても、知的な遅れがあっても、自分の肉体を使って働ける人間は重宝される。...