【No.1452】高いハードル

「いつか…いつの日か特性を個性だと言い切れるようになりたいと思います」
ドラマ『テミスの不確かな法廷』での主人公の言葉。
同僚から「特性は個性」と言われるが、「“特性は個性”とそう言えるには高いハードルがあります」と言ったあとに続く言葉でした。
自然と涙が頬を伝うのに対して、「自分はどうして泣いているのだろう」と疑問に思う。
だけど周囲から「(長年抱えていた想いを言葉にすることができて)ほっとしたんじゃないですか」と言われると、そうか、自分はほっとして涙が出たんだと理解する。
とてもリアリティのあるシーンであり、感動する最終回のシーンでもありました。


成人した当事者の方から「職場には“発達障害”を告げた方がいいんでしょうか?」という相談を多く受けます。
これから就職面接を受ける人も、すでに働いている人も。
みなさんは、こういった相談を受けたとき、どう回答するでしょうか。
もちろん、現実の相談の場面ではなにか一つの方向を示すよりも、一緒に整理しながら本人が考えることをサポートする、になりますが。


考えるのは「本人の視点」と「職場の人の視点」
本人が発達障害だと周囲に告げることで、気持ちが楽になる、前向きになれる、もやもやが消えるのなら良いと思います。
ただ注意しなければならないのは、告げることで「ミスをまけてもらおう」「言い逃れしよう」「同情を得よう」といった気持ちがあるのなら、そこには待ったをかけます。
ミスを認められない人はどこであっても受け入れられづらい。


仕事はボランティアではありません。
仕事はサービスを受ける人、モノを買う人からお金をもらって成り立っています。
同時に会社で働く人にも家族や生活がある。
だから成果が出るか出ないかは別にしても、仕事でお客さんに、また会社のためにベストを尽くそうとすることは当然です。
ただ自分の特性を考慮すると、「別の部署、仕事の役割のほうが力が発揮できる」といった前向きな交渉は一般の社員も行うことであり、会社にとってもポジティブになることもあるのでチャレンジするのは良いと思います。


あと忘れてはならないのは、職場の人の視点です。
つまり一言でいえば、働いている人ならどう評価されているか、それとこれから面接という人はその職場はどのような職場か、です。
働いている人が毎日休まず出勤している
役割、担当に対して問題なく業務が行えている
むしろ成果でいえば優秀
という人なら敢えて告げる必要はないと思いますし、告げてもそんなに大きなリアクションはないでしょう。


一方で考えなければならないのが、休みがち、業務や成果、ほうれんそう、チームワークに問題がある人。
そういう人が発達障害を告げた場合、私の相談のケースでは十中八九、辞めさせる方向へ行きます。
もちろん、障害者差別禁止法があるので、この頃はあからさまな態度はしなくなりましたが、自然と辞める方向へと動くのが現実のところです。
「社員から障害者雇用に切り替えられた」というケースもあります。


これから面接の人は、過去に障害を持った人が働いたことがあるのか、いま、働いている人がいるのか、流れ作業的な仕事か、コミュニケーションが必要な仕事か、従業員の数は多い、少ない、離職率、常に求職が出ているかどうか、など、その会社の業務形態と余裕のあるなしは確かめた方が良いと思います。
このあたりは一緒に調べながら、本人の特性を考慮しつつ、「障害者雇用を求めているかどうか」「仕事ができる人を求めているかどうか」「特性に配慮できるだけの余裕があるかどうか」と見極め、戦略を立てていく必要があります。
会社側のニーズの見極めですね。


こういった当事者の方たちの相談からいま、子育て中の親御さんに伝えたいこと。
「障害に対する偏見」は社会というよりも、身近な家族が作っていることのほうが多いのでは、と思うことです。
成人の人たちと話を進めていくと、その人の持つ「障害観」は家族から言われた言葉、態度が形成していると感じます。
「どうして、そんなに(発達障害を)ネガティブに捉えるんだろう?」
そうすると、あのとき、親からこういわれた、こんなことをされた、こう言っていたのを聞いた、というエピソードが出てきます。
職場に障害の有無を伝えることに対して、私が「待った」をかける人達です。
「発達障害だからできなくて当たり前」または「できないんだ」
「あなたは普通じゃない」
「ミスしたのはあなたが悪いのではなく、特性のせい」
「特性を理解しない社会が悪い」


社会って思うよりも、怖くないし、温かいと思います。
頑張って仕事をしている人が障害を告げても、「なにか困ったことがあるなら遠慮なく言ってよ」と温かい言葉をもらった、と喜んで報告してくれる当事者の人もたくさんいます。
結局、多くの人は障害よりも、その人を見ている。
日本は独裁政権でも、社会主義の国家でもなく、頑張った人が認められる社会。
そして日本人の多くは、頑張る人が好き。
「完璧な人が好き」「普通の人が好き」と刷り込んでいるのは、逆に完璧じゃないこと、普通じゃないことを否定してきた人たちじゃないでしょうか。


『テミスの不確かな法廷』に話が戻りますが、やっぱり社会が癒し、発達する場だと思います。
主人公は発達障害を持つ裁判官。
社会の中で一生懸命働き、生活している中で、ときに同僚とぶつかったり、トラブルに合ったりしながら、でも人の中で成長していく。
「社会は怖いところで、社会に出なければ、(支援のある)ここにいれば、あなたは傷つかないで済む」
それは本当に当事者のためでしょうか。
何も変わらない守られた環境の中に、人生の彩、成長はあるのでしょうか。


50年以上、施設で暮らし、そこで亡くなっていった人たちの姿を見てきました。
あの利用者さん達は守られていた。
だけど、幸せだったのか、この世に生まれてきた実感、喜びはあったのだろうか、と思っていました。
困難や壁を乗り越えたときに見える喜び、充実感を得てあの世に飛び立つことができたのだろうか。


だから、敢えて「障害は個性」「繊細なのはあなたの才能」などという必要はありませんが(却ってこれはこれで問題)、子ども成長を喜び、可能性を信じてほしいと思います。
子育て中にすべて治らなくても、社会に出ればそこで癒し、成長し、治していく人も大勢います。
だからなんでもかんでもやらなくていい。
だけど、胸を張って社会に飛び立っていけるよう子ども達の持つ“発達する力”と、“成長し続ける未来”を信じてほしいと思います。
『テミスの不確かな法廷』の主人公の「いつか特性を個性だと言い切れるようになりたい」という言葉には、「自分のことを認め、愛せる人」が増えてほしい、そういった子を育ててほしいというメッセージがあったように感じました。
私も当事者の人達と一緒に頑張っていきたいです。




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