【No.1450】どこまでいっても「N=1」
「エビデンスのある療法をやっている」
「早期に診断を受け、早期から療育を開始している」
「著名な医師、支援者から定期的な指導を受けている」
「もちろん、私も勉強して家でも取り組みは行っている」
でも
改善しないのは
問題が解決しないのは
発達が遅れたままなのは
療育や支援、支援者から卒業できないのは
何故だろう?
私のところに相談に来てくれる親御さんも含めて、なにかが“足りないから”と思っている人が大多数なように感じます。
早期から療育を始めた人も
「ああ、もっと早くに始めていれば」
「3歳からじゃなくて、違和感を持った1歳から始めていれば」
「ABAじゃなくて、身体アプローチをやっていれば」
とよくならない理由を自分に向けてしまう。
“自分のせいにする”というのは、前提として療育、支援者側に問題がない、そっちは価値あるものとして捉えているということになります。
私もこの世界に20年以上いますので、古今東西、有名支援者、専門家という人達から直接の指導や研修などを受けてきました。
しかしギョーカイ的に著名で、凄腕と言われる支援者の多くが特定の療法に精通している人であって、目の前の人に対して優れたアプローチができるか、その人が改善し、問題を解決することができるか、といえば疑問に思う人ばかりです。
良い例が強度行動障害への支援です。
リアル強度行動障害の人達の支援に携わっていたとき、第一人者と言われるような教授、支援者の研修、講演会、コンサルも受けたことがあります。
しかし、どの専門家たちも、「それは机上の空論ですね」「頭の中で組み立てた支援ですね」という話ばかりです。
ある著名な支援者は、私が働いていた施設の寮の中には入ってきませんでした(笑)
強度行動障害の支援について有難いご講演をされている方が、強度行動障害の人達が暮らす寮には怖くて入ってこれない。
窓の外から様子を見て、すぐに帰っちゃった(笑)
同僚とみんなで「だめだこりゃ」と笑った記憶があります。
ハッタツの世界にいて、ずっと疑問に思うのが「多様性」という言葉です。
確かに発達障害の人はその症状、発達の仕方が一人ひとり異なり、まさにその実態はグラデーションです。
だから多様性というのはわかるのですが、どうして療育や支援に関しては多様性が認められないのでしょう。
学校に行っても、療育施設に行っても、だいたいどの子も同じような支援を受けている。
でも彼らは「エビデンスのあるアプローチをやっていますから」と言う。
ここで改めて言いたいのは、エビデンスのある方法を集めてきても良くならない、ということです。
著名な支援者、専門家から指導、助言をもらっても良くならない、ということです。
もし良くなるのなら、どうして発達障害で悩む人、家族が減っていかないのでしょうか。
どうして著名な支援者、専門家のもとに通い続けるのでしょうか。
ここが発達援助の難しいところであり、根本として押さえておかなければならないことです。
マウスの実験なら被験者である数が多くなるほど、100よりも200、200よりも500というようにそこから得られた研究結果に信頼性が高まります。
しかし発達援助は常に「N(number)=1」なのです。
一人ひとり資質も、成育歴も、環境も、発達の仕方、症状の出方も異なります。
あるアプローチがこの子にはポジティブな効果があっても、別の子にはネガティブな効果になるといったことは普通にみられることです。
だから「エビデンスがある=正しい」「著名な支援者、専門家が言うから=正しい」にはなりません。。
むしろ、ポピュラーな療育、アプローチが目の前の子に“ピタッと合う”なんてことは珍しい。
教科書通りの支援、マニュアル通りの療育で誰もが改善し、悩み事が解決するのなら、こんなに医師も、支援者も、療育施設も、必要ありません。
逆にこんなにも支援で溢れているということは、それだけ「効果的なものが少ない」ということです。
結局、良い支援かどうかではなく、目の前の子どもにアレンジメントできるかどうか、なのです。
多くの失敗は教わった支援という型に子どものほうを当てはめようとするから。
施設でも、家庭でも、うまくいっていないケースは“最高の支援”を目指そうとしている。
でも目指すべきなのは、その子にあった、その子だけのオリジナルな“最適な支援”を作り上げていくことだと思います。
あなたは何を見て、その支援、アプローチ、子育てを行っていますか?
見るべきものは専門家の“権威”ではなく、我が子という“人間”ですね。

コメント
コメントを投稿