引き継がれないのが普通です

担任の先生が代わると、それまでの指導がガラッと変わるなんてことは、よくある話です。
相談にいらっしゃる親御さんの中にも、「せっかく支援ミーティングしたのに」「引き継ぎ資料を作ったのに」と言い、前年度のような指導、学習がそのまま引き継がれないことに不満を述べられる方もいます。


特別支援が始まって15年くらい経ちますので、全国どこでも引き継ぎは行われます。
同じ学校内でも、年度末には引き継ぎ資料を作成するものです。
しかし、「引き継ぎ資料を作る」「引き継ぎの会議を行う」というのと、「引き継ぐ」は異なります。


学校の先生も多様ですから、考え方の違いによって、前年通りの指導を引き継がない、という場合もあります。
でも、ほとんどの場合は、「中途半端なものを引き継がない」のだと思います。
たとえば、「箸を使って一人で食事ができる」ですとか、「大便の拭きとりは一人でできる」ですとか、自己完結できるようなスキル、活動は、そのまま、引き継がれます。
敢えて、一人でできていることをやらせない、なんてことはないからです。


一方で、「平仮名は書けるが、漢字は1年生のものを練習中」「足し算、引き算はできるが、2桁以上になると難しい」「プリント学習は、大人がそばにいないとできない」「時々、言葉が不明瞭で伝わらないことがある」など、完全にできないわけではないんだけれども、まだ指導、支援、介助が必要みたいなものは、だったら、「平仮名の練習だけやればいいのでは」「プリント学習やらなくていいのでは」「不明瞭な言葉なら、カードを使えば」という具合になりやすいといえます。

もちろん、指導途中のものを、そのまま引き継いで指導していこうという先生もいますが、人が代わるので完全に同じような指導はできません。
また、厳しいことを言うようですが、一年間、同じ先生が指導しても身につかなかったという子は、できているように見えることでも、その先生自体がきっかけ、ヒントになっていることが多いものです。
そういった子は、先生との関係性の中で再現している行動であることが多々ありますので、代わった先生が同じようにしようとしてもできないし、できていたこともできなくなることもあるのです。


同じ学校内でも、なかなか前年度のまま、引き継ぎができない現状があります。
じゃあ、他の学校へ転校する場合、進学する場合、さらに福祉から学校、学校から福祉の場合はどうでしょうか。
当然、人が異なりますし、教育に携わる人と福祉に携わる人ではバックボーンも、考え方の核となる部分も、まったくもって異なります。
同じなのは、障害を持った子に携わっている、その一点だけです。


私も福祉の世界にいましたので、学校と同じようにやれ、と言われても不可能なのはわかります。
そもそも環境も、資源も、違いますし。
学校は学ぶ場所ですので、できないこともやれるようにしていきます。
でも、福祉は生活の場であり、自立、一人で完結できることが最も重視されるところ。
ですから、できないことはやらせない、が基本です。


福祉の中にも、「できないことをできるように」という場面もありますが、それはそういった目標を立てるように決められているから、公的なお金を貰うために。
あとは、職員がやった方が早ければ、職員がやっちゃう。
だって、すべてにおいて余裕がないのが福祉の世界だから。
福祉施設へ見学、コンサルで行くこともありますが、だいたい活動にのれない人は、全国どこでもほっとかれていますね。
「来てくれさえすれば、お金になるんです」
いくら「支援」という言葉を使っても、介護の名残は消えないものです。


私が学生だった頃、療育施設の職員さん達が、「引き継ぎ資料を作っても、支援ミーティングに時間を割いても、学校へ引き継がれない」と教えてくれました。
実際、学校に入学すると、それまでやっていたことがなかったかのように、まっさらな状態から教育が始まります。
学校の先生の机の中には、封がされたままの引き継ぎ資料がそのまま入っている、なんてことも見てきました。
「なんで、教員免許を持っていない人の指導を引き継がなきゃならないんだ」という発言を耳にするたびに、先進地域と呼ばれていた教育も下っていくだけだな、と思いました。


就学時は学校がイニシアチブを取りますが、卒業間近となると、立場は逆転します。
「単独でできないんだったら、ダメ」「施設ではやらせない」「施設で過ごしやすいように、別の形に変えてくれ」
「だったら、うちは受け入れないから」という懐刀をちらつかせ、中途半端な指導はバッサリ切り捨てられるのです。
就学の恨みを卒業で晴らす、みたいな。
「今年度できなければ、来年度もやってもらえばいいや」みたいな考えが通用しない現実を突き付けられる3年生と担任、家族といったところでしょうか。


結局、引き継ぎなんてされないのが現実です。
同じ学校内でも、担任が代われば、それまでとはガラッと変わるなんてことがあるのですから、まったく文化も、環境も、考え方も異なる他業種との引き継ぎなんて、期待する方が間違っています。
ですから、引き継ぎはされない前提で手を打っておくことが大事。
と言いますか、昨日と繋がるのですが、先生、支援者、環境が変わったくらいで左右されない土台作りが必要だということです。


あとは、年度内、その機関に通っている間に、完結しておくこと。
よく言われる「芽生え」の段階ではなく、一人でその活動の最初から最後までできるようにしておく。
どんな小さなことでも、誰からの支援、見守りも必要なく、単独でできるスキル、活動を増やしていく。
一人でできるようになったことは、引き継ぎがされようがされまいがおかまいなしに、人生いつでもどこでも行い続けられます。


「自立できる人に育てる」
それは、どんな環境でも、自分の足で立ち続ける、倒れても起き上がれる、ということなのかもしれません。
未発達な部分が育てば、それ以降、どんな環境でも育ったまま。
同じように、一つ治れば、そこはずっと治ったまま、一つできるようになれば、できるようになったまま。


特別支援の方向性は、いかに本人ではなく、環境、周囲を変えていくか、ですが、本人が発達しちゃえば、治しちゃえば、できるようになっちゃえば、環境に左右されることなく、生きていける。
多様で、不確定なものばかりの環境が社会なら、そういった力をコツコツ身につけ、治し、育てていった子ども達の方が、社会の中で自立していけるのだと思います。
不確定な世界だからこそ、確実なものを増やしていく。
それこそが、子育ての方向性ではないでしょうか。

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