生き物である発達に委ねる

土台が育っていない人、整っていない人が苦手とする季節の変わり目。
その季節の変わり目を自然と迎え、翻弄されることなく、過ごせる人というのは、それだけで発達、成長しているのが分かります。
さらに、「大きな変化がありました!」「ドカンが来ました!」というようなお話を聞くと、「知」を超えた「生」の姿、ヒトの持つ力に、感動を覚えるのです。


夏、思いっきり遊んだ子ども達は、秋を迎える頃に、大きな変化を見せます。
9月に入ってから、そのような素晴らしい発達、成長を遂げた子ども達、親子のエピソードをたくさんお聞きしました。
喃語や単語が出るようになった子、普通級に転籍後、友達ができた子、一斉授業を理解し、学力を積み重ねていけるようになった子、IQがボーダーを超え、正常域に入った子、不登校から学校に通い始めた子…。
若者たちの中にも、アルバイトが決まり、休むことなく働いている人、正社員として働き始めた人などもいました。


まさに「実りの秋」という表現がピッタリな方達です。
しかし、この「実りの秋」は、養分を蓄え、陽を浴び、根や葉を伸ばしていくという準備段階の育み、培う時期をちゃんと過ごしたからこそ、迎えられたものです。
何かをやったから、パッと実ができた、大きな変化があった、などではありません。
小さな積み重ね、目に見えないような変化を積み重ねていった結果、土台がしっかりし、一気に開花したのだといえます。


いろんなご家庭を拝見してきましたが、大きな変化、ドカンが来る子の親御さんは、どちらかといえば、粘り強い人が多い気がします。
「ドカン」という表現になるのですから、それまでほとんど変化が見られない、見られても小さな部分で、というのがほとんどです。
ですから、そういった変化がない時期を、ブレずに育み続けられるか、一つ信じた道を結果が出るまで待てるか、ということがポイントだといえます。


今日から下半期が始まりますが、これは世の中が決めたことであって、子どもが決めたことではありません。
特に年少の子ども達は、その生まれ月で、同じ学年とはいえ、発達&成長が大きく異なります。
世の中の流れの影響を受ける親御さんが、子どもの歩むスピードを見て、余計に遅く感じてしまう、焦ってしまう。
こういったことは多々あることで、特別なことではありません。


子どもを愛するがゆえに、親御さんは焦ります。
でも、焦ったからといって、急激な発達、成長が起きるわけではありません。
何故なら、発達も生き物だから。
とにかく走りまくれば、足が速くなるかと言ったら、そうではありません。
一日でも早く、タイムを縮めたいと、走ったり、筋トレしたり、別のスポーツをやったり…。
そんなことをしていたら、結局、一番大事な走力が育ちませんし、怪我だってします。
脳も、神経も、生きているので、生命としてのリズムがあるのです。


脳、神経の発達には刺激が必要です。
でも、同時に、休息も大事なのです。
刺激のシャワーから解き放たれて、ゆっくり休み、整理し、次の発達に備える時間。
やったらやっただけ伸びるわけではないのは、生き物としての宿命だといえます。


「ドカン」が来る子の親御さんは、一つのことを、信じた道をコツコツと積み重ねていける人です。
たとえ、変化が見られない時期が長かったとしても、待つことができる。
いや、待つことができるというよりは、委ねられる、という表現の方が実態に合っていると思います。


待っているような親御さんでも、内心焦っている人は多いはずです。
でも、どこかで、発達は本人のもの、という意識があるのだと思います。
その本人の持つ発達する力、それこそ、生命体としての発達に、その可能性に委ねている。
「この子は、きっと治ると思う」「大丈夫だと思う」という親御さんの言葉を後押ししているのは、子の発達する力を信じ、それに委ねることができているからだと思うのです。


親子とは言え、資質は異なっていて、同じ波長で育めない親御さんもいます。
焦ると、余計にあれこれと動きたくなる、という親御さんもいます。
それが単に、焦りからくるのでしたら、その焦りを緩めていけばいいのですが、資質として生きているスピードが異なっている人もいます。
そういった人をADHDの器質というのかもしれませんが、どうしても子の発達する力、スピードに委ねられない人、自分の方の身体が先に動いてしまう人だといえます。


このような親御さんは、何も変化の見られない準備の時期がとても苦痛に感じるようです。
すると、余計に焦って行動してしまい、あれもこれもとなって、子が、脳や神経が休息の時期を味わえません。
結果的に、さらにストレスが溜まり、お互い負のスパイラルに入ってしまうことも。
ですから、こういった資質の親御さんは、気を散らすことが大事だといえます。


子どもだけのことに、あれこれ手を出すのではなく、生活全般、人生全般にあれこれ手を出す。
趣味を始めたり、仕事で新しいことに挑戦したり、動物を飼ったり、旅行に行ったり…。
親御さんのエネルギーに、子が負けてしまっている、参ってしまっている場合もあるように感じます。
「委ねる」という静的な動作ができない親御さん、資質に合わない親御さんもいるので、そういった場合は、エネルギーを分散する、注意を分散するのがコツです。
子は、自分にエネルギーが向けられていない時間に、休むことができますので。


「ドカン」が来たというのは、それまで変化がない時期が長かったという話でもあります。
その変化のない時期をどう後押しできるか、親として子育てをコツコツ続けられるか。
土台作りは、本人がやりきるまで待つ必要があります。
しかも、脳も、神経も、生き物ですので、休息の時期も必要。


生き物である発達と向き合うとき、それに委ねられることができるか。
発達の環境を用意する、発達を後押しするのは親ですが、実際、発達させるのは子ども自身です。
ですから、どの道、委ねるしかないのです。
子どもの成長を信じ、発達する力に委ねる。
それが「ドカン」への一番の近道のような気がします。

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