身体性を伴わない言葉

「言語訓練を受けています」というお話は、実際、親御さんの口から聞かなくても、お子さんを見ればわかるものです。
単語レベルで止まっていたり、2語文、3語文を話したとしても、その文章が1つのパターンになっていたりします。
そして何よりも、コミュニケーションとしての言葉ではなく、「音をそのまま覚えました」「言いました」というような発し方が特徴的だといえます。


動物としての発声から発語という発達の流れとは異なり、知能でカバーし、暗記した言葉。
そういった言葉からは、どうしても感情が伝わってきません。
その雰囲気を感じると、言語訓練を連想するのです。


驚くことに、未だに具体物や絵、写真を見せて、それに答えさせるような言語訓練が、専門家の療育として行われているようです。
それは、小学生の英語の授業と同じレベルです。
りんごの絵を見せて、「アップル」と言うみたいな。
発声から発語、会話、コミュニケーションというような発達の流れを進んだ子、また話すための脳と身体を培ってきた子なら、そういった覚え方でも効果があるでしょう。


でも、発達障害の子どもにおける言葉の遅れは、外国に行った子が初めてその地の言葉に触れる、覚えるといったものではありません。
言葉を知らないのではなく、言葉を発する準備が整っていない、ということ。
同世代の子ども達と同じように、周囲に言葉があるのだけれども、それが意味ある言葉として捉えられない、耳にした言葉を声に出すことができない、という部分に課題があるといえます。


言葉を聞く準備が整っていない子に、言語訓練をしたら、どうなるでしょうか。
真面目な子どもほど、相手の口元に注目し、必死にその口の形にしようとするでしょう。
言葉を話す準備が整っていな子に、言語訓練をしたら、どうなるでしょうか。
素直な子どもほど、聞いた音をそのままの調子で、リピートするでしょう。


こういった覚え方をしてきた子ども達は、場面と一緒に言葉を覚えてしまいます。
実態を伴わない、意味を伴わない言葉ですから、どうしても場面をフックにしなければ、覚えられないし、思いだせないのです。
ですから、彼らの会話は般化が難しいし、文章丸ごと、一つの型として覚えている。
文章の一文字でも変われば、理解できなくなるのは、そもそも理解を伴った言葉ではないから。


そのような姿を見て、支援者達は「それが自閉症だ。特性だ」と捉えます。
でも、ヒトの発達の流れに逆らった療育がなされた結果、こういった丸暗記の言葉が生まれることもあります。
成人した方達ともお会いしますが、このような言葉の使い方をされる人達が少なくありません。
どう見ても、知的な問題は大きく感じないような人でも、意味を伴わずに言葉を使っているような人もいます。


驚いたことに、大学生の若者は、言葉を数式のように当てはめながら会話をしている、と言っていました。
思ったことがすぐに言葉になる私からしたら、ひと手間も、ふた手間も、多く労力を使っている感じがします。
それでは、会話すること自体に苦手意識を持ちますし、相当な疲労感があるのだと思います。
当然、その場の空気を読んだり、他者支点の想像したりすることに手が回らない、回ったとしても、おろそかになってしまいます。


「言葉が出ないのなら、言葉を覚えさせたらいい」
そういったヒトの発達を無視した療育は、とっくの昔に終わっているものだと思っていました。
定型発達の子どもは、そういった覚え方はしませんし、それは外国語を学問として学ぶやり方です。
言語発達とは似て非なるものです。


強弱のない特徴的なしゃべり方は、自閉症、発達障害特有のものではなく、学習によって身に付けた部分だといえます。
だって、言葉の習得自体が学習だから。
赤ちゃんは、周囲に溢れる言葉を聞いて、内側の言葉のストックをしていきます。
同時に、舌を動かし、いろんなものを嘗めたり、食べたり、空気を出したり吸ったりしながら、発語の準備をしていきます。
そうやって一年以上かけて準備を整え、発声から言葉へ発達させていくのです。
赤ちゃんは、発達と同時進行で、母国語を学習している。


この発達の部分に課題があるのが発達障害の子ども達であって、学習の部分には問題ない子がいます。
そういった子が、型にはまった訓練を受けると、学習の脳力を使って音を覚える。
意味の伴わない、身体性を持たない言葉、しゃべり方はこうやって造られていくのです。


訓練的な、身体性を伴わない言葉の学習は控えた方が良いと思います。
やるとしても、発達のヌケ、未発達の部分を育て、発声から発語への準備が整った後にやられた方が良いといえます。
親心として言葉を教えたいし、早く言葉が豊かになってほしいと願うのもわかりますが、言葉には発達の順序、進化の流れがありますので、それに従って育んでいく方が良いのです。


言葉には、発達の側面と学習の側面があります。
脳の表面にだけ働きかけるのが、学習であり、ひと昔前、ふた昔前の療育だといえます。
この両側面から、子どもの言葉を育んでいく。
言葉も道具の一つですから、使いこなすための身体性も重要なのです。
身体を通して、五感を通して、言葉を発達させていくイメージを持たれると、より良い育みへと繋がっていくと思います。

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