親御さんにとっての就学相談
例年、この時期は、就学に関わる相談が増えます。
就学時健康診断で指摘があった。
普通級と支援級、支援級と支援学校、どちらにしようか。
我が子の発達障害を認識して子育てをされてきた親御さんも、そういった認識を持つことなく子育てをされてきた親御さんも、悩まれるのは当然だといえます。
答えのない答えを出さなければならない。
しかも、日々、来年の4月が近づいてきている中で。
就学が子の一生を決めるわけではないけれども、成長と将来の選択肢に大きな影響があるのはわかる。
他のおうちは参考になるけれども、我が子が同じようにいくわけではない。
就学や進路選択においては、どう頑張っても「n=1」から逃れられることはできないのです。
どういった選択が、我が子にとってベストになるか、には答えをくれるエビデンスはありません。
今まで多くの方達の相談にのらせていただきましたし、有難いことに選択後のお子さんの様子も教えてくださる親御さん達がいます。
子ども達は、どこに行こうとも、皆さん、その場に適応しようとしますし、その場できちんと学んでいこうとするものです。
就学時、「ああ、僕には他の選択肢があった。他にも学ぶ環境があった」とは思わないもの。
いろんな子ども達を見てきて感じるのは、土台が育っている子は、どんな環境でも成長していけるということです。
「学校の担任ガー」「交流学習ガー」「カリキュラムガー」「同級生ガー」
「普通級だから」「支援級だから」「支援学校だから」
環境はコントロールできないものですし、不満を挙げればきりがないものです。
学校だって、いろんな人がいるわけですし、それぞれのシステムがあり、文化があります。
予測不能で、常に自分に都合の良いことばかり起きるわけではない。
そういった環境の中で、何を学ぶか、どう学んでいくか。
まさに、子ども自身の姿勢、行動が問われているのであって、もっと言えば、家庭の姿勢、行動が問われているといえるのです。
土台が育ち、主体的に学び、成長していく子は、時期が来たら、自らの意思で学ぶ場所を変えていくものです。
最初、支援級で学んでいた子も、感覚的にそこが合わなくなったと感じれば、普通級へと意識が向くようになります。
反対に、普通級で学んでいた子が支援級を希望し、そこで伸びやかに学び、成長していける場合もあります。
支援学校の場合は、本人の問題というよりも、システム、文化の話で、途中から支援級、普通級へ転籍することは難しいですが、それでも義務教育が終わるタイミングで、卒業するタイミングで、別の学び舎に、一般企業への就職に、向かっていく若者たちも出てきます。
「特別支援教育」という言葉が、なにか優しく寄り添ってくれるような雰囲気を醸し出します。
しかし、学校も多様な文化が織りなす社会であり、自分の方へ環境がすり寄ってくれるような場所ではないということです。
「特別支援を受ければ大丈夫」
そういった主体性の乏しさが、先生によって、学校によって、子どもが左右されてしまう結果を生みます。
担任が誰であろうとも、学校がどこであろうとも、そういった環境に左右されることなく、学んでいける子。
そういった子を育てるのが、自立への道になります。
私が見てきた現実として、担任に左右される、翻弄されるような子ども達は、社会の中で自立していけない。
支援学校から一般就労した若者の親御さんは、「担任が変わっても、それに影響されなくなった我が子を見て、一般就職も大丈夫だと思った」と仰っていました。
環境に揺れるということは、地に足がついていない証拠。
子育ての大きな目標の一つとして、環境に左右されない土台作りがあります。
誰が担任だろうとも、どこで学ぼうとも、その中でしっかり学び、成長していける。
そういう子は、就学時に希望を述べなくても、途中でより自分に合った場所を目指し、訴えてくるものです。
そのとき、親御さんは全力で、子どもが出した答えに応えれば良いのだと思います。
就学時の相談は、子どものためというよりも、親御さんのためである、と私は感じています。
答えのない答えを出す際、大事なのはその答えではなく、答えの出し方だといえます。
つまり、子どもが自らの意思を表明するまでの間、責任を持つという決心をすること。
子の代弁者として選択したからには、その環境でより良く学んでいけるような後押しをしていく。
そのために腹を決める。
腹が決まった親御さんは、「担任ガー」「学校ガー」「同級生ガー」などと言いませんし、そもそもそんなことに捉われている暇がありません。
むしろ、「学校の中で、きちんと学び、成長していく姿勢を養うことは、社会に出てから役に立つ」と、前向きに考え、将来の自立を意識した本当の学び、生きた教育をすることに繋がります。
同じような障害、症状を抱える子が、ある地域では普通級、別の地域では支援級、支援学校、なんてことはよくありますし、同じ地域でも年度によって違うこともあります。
親御さんの希望を重視する地域もあれば、親御さんの希望よりも、検査の数値で判断されるという地域もあります。
第一、たまたま同じ時期、同じ地域にいただけの子ども達が、同じ学校で学ぶように決められる。
ある意味、最初から理不尽といえば、理不尽なわけです。
よって、「どんな環境でも、自らの足で立ち、成長し、進んでいける子に育てなきゃ」と、改めて決心するのが、親御さんにとっての就学。
この秋、初めて発達障害を指摘された子の親御さんには、腹を決めるだけの時間が少なすぎます。
言われるままに、診断を受け、特別支援の手続きをし、気が付いたらずっと支援級、支援学校、なんていうご家庭も実際に少なくないのです。
ですから、そういった親御さんには、普通級にするか、支援級にするかの選択、意思表明の最終期限はいつなのかを確認するようアドバイスしています。
結構、2月までとか、3月初旬まで大丈夫、と言ってくれる地域もあります。
たとえ、限られた時間であったとしても、発達の後押しをすることはできますし、そういった子育てを通して、徐々に親御さんの心づもりができてくることもあります。
過去には、発達のヌケと未発達の部分を集中して育み、普通級に入学した子もいます。
一斉指示がわかり、離席がほとんどなく座っていられる。
そして他害等の問題がないこと。
小学校低学年くらいの学力は、短期間で一気に学び、追いつけるくらいのものですから。
それに普通級の中にも、高学年になる頃まで落ち着かない子もいますし。
少しでも前向きな気持ちで、入学式を迎えられますよう願っています。
就学時健康診断で指摘があった。
普通級と支援級、支援級と支援学校、どちらにしようか。
我が子の発達障害を認識して子育てをされてきた親御さんも、そういった認識を持つことなく子育てをされてきた親御さんも、悩まれるのは当然だといえます。
答えのない答えを出さなければならない。
しかも、日々、来年の4月が近づいてきている中で。
就学が子の一生を決めるわけではないけれども、成長と将来の選択肢に大きな影響があるのはわかる。
他のおうちは参考になるけれども、我が子が同じようにいくわけではない。
就学や進路選択においては、どう頑張っても「n=1」から逃れられることはできないのです。
どういった選択が、我が子にとってベストになるか、には答えをくれるエビデンスはありません。
今まで多くの方達の相談にのらせていただきましたし、有難いことに選択後のお子さんの様子も教えてくださる親御さん達がいます。
子ども達は、どこに行こうとも、皆さん、その場に適応しようとしますし、その場できちんと学んでいこうとするものです。
就学時、「ああ、僕には他の選択肢があった。他にも学ぶ環境があった」とは思わないもの。
いろんな子ども達を見てきて感じるのは、土台が育っている子は、どんな環境でも成長していけるということです。
「学校の担任ガー」「交流学習ガー」「カリキュラムガー」「同級生ガー」
「普通級だから」「支援級だから」「支援学校だから」
環境はコントロールできないものですし、不満を挙げればきりがないものです。
学校だって、いろんな人がいるわけですし、それぞれのシステムがあり、文化があります。
予測不能で、常に自分に都合の良いことばかり起きるわけではない。
そういった環境の中で、何を学ぶか、どう学んでいくか。
まさに、子ども自身の姿勢、行動が問われているのであって、もっと言えば、家庭の姿勢、行動が問われているといえるのです。
土台が育ち、主体的に学び、成長していく子は、時期が来たら、自らの意思で学ぶ場所を変えていくものです。
最初、支援級で学んでいた子も、感覚的にそこが合わなくなったと感じれば、普通級へと意識が向くようになります。
反対に、普通級で学んでいた子が支援級を希望し、そこで伸びやかに学び、成長していける場合もあります。
支援学校の場合は、本人の問題というよりも、システム、文化の話で、途中から支援級、普通級へ転籍することは難しいですが、それでも義務教育が終わるタイミングで、卒業するタイミングで、別の学び舎に、一般企業への就職に、向かっていく若者たちも出てきます。
「特別支援教育」という言葉が、なにか優しく寄り添ってくれるような雰囲気を醸し出します。
しかし、学校も多様な文化が織りなす社会であり、自分の方へ環境がすり寄ってくれるような場所ではないということです。
「特別支援を受ければ大丈夫」
そういった主体性の乏しさが、先生によって、学校によって、子どもが左右されてしまう結果を生みます。
担任が誰であろうとも、学校がどこであろうとも、そういった環境に左右されることなく、学んでいける子。
そういった子を育てるのが、自立への道になります。
私が見てきた現実として、担任に左右される、翻弄されるような子ども達は、社会の中で自立していけない。
支援学校から一般就労した若者の親御さんは、「担任が変わっても、それに影響されなくなった我が子を見て、一般就職も大丈夫だと思った」と仰っていました。
環境に揺れるということは、地に足がついていない証拠。
子育ての大きな目標の一つとして、環境に左右されない土台作りがあります。
誰が担任だろうとも、どこで学ぼうとも、その中でしっかり学び、成長していける。
そういう子は、就学時に希望を述べなくても、途中でより自分に合った場所を目指し、訴えてくるものです。
そのとき、親御さんは全力で、子どもが出した答えに応えれば良いのだと思います。
就学時の相談は、子どものためというよりも、親御さんのためである、と私は感じています。
答えのない答えを出す際、大事なのはその答えではなく、答えの出し方だといえます。
つまり、子どもが自らの意思を表明するまでの間、責任を持つという決心をすること。
子の代弁者として選択したからには、その環境でより良く学んでいけるような後押しをしていく。
そのために腹を決める。
腹が決まった親御さんは、「担任ガー」「学校ガー」「同級生ガー」などと言いませんし、そもそもそんなことに捉われている暇がありません。
むしろ、「学校の中で、きちんと学び、成長していく姿勢を養うことは、社会に出てから役に立つ」と、前向きに考え、将来の自立を意識した本当の学び、生きた教育をすることに繋がります。
同じような障害、症状を抱える子が、ある地域では普通級、別の地域では支援級、支援学校、なんてことはよくありますし、同じ地域でも年度によって違うこともあります。
親御さんの希望を重視する地域もあれば、親御さんの希望よりも、検査の数値で判断されるという地域もあります。
第一、たまたま同じ時期、同じ地域にいただけの子ども達が、同じ学校で学ぶように決められる。
ある意味、最初から理不尽といえば、理不尽なわけです。
よって、「どんな環境でも、自らの足で立ち、成長し、進んでいける子に育てなきゃ」と、改めて決心するのが、親御さんにとっての就学。
この秋、初めて発達障害を指摘された子の親御さんには、腹を決めるだけの時間が少なすぎます。
言われるままに、診断を受け、特別支援の手続きをし、気が付いたらずっと支援級、支援学校、なんていうご家庭も実際に少なくないのです。
ですから、そういった親御さんには、普通級にするか、支援級にするかの選択、意思表明の最終期限はいつなのかを確認するようアドバイスしています。
結構、2月までとか、3月初旬まで大丈夫、と言ってくれる地域もあります。
たとえ、限られた時間であったとしても、発達の後押しをすることはできますし、そういった子育てを通して、徐々に親御さんの心づもりができてくることもあります。
過去には、発達のヌケと未発達の部分を集中して育み、普通級に入学した子もいます。
一斉指示がわかり、離席がほとんどなく座っていられる。
そして他害等の問題がないこと。
小学校低学年くらいの学力は、短期間で一気に学び、追いつけるくらいのものですから。
それに普通級の中にも、高学年になる頃まで落ち着かない子もいますし。
少しでも前向きな気持ちで、入学式を迎えられますよう願っています。
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