「IQは変化しない」という迷信、言い伝え、民話?

知的障害の状態が変化するのは当たり前。
「IQが変わらない」というのは迷信であり、(子どもではなく)大人を慰めるためのもの。
幼児期に「知的障害あり」「重度です」なんていうのは、ああそうですか、今はまだ発達のヌケがあるもんね、くらいで良いのです。


発達のヌケが埋まれば、知的障害の状態が良い方に変わっていくのは自然なこと。
「快食、快眠、快便を整えた」「発達のヌケは、育て直した」「学習の土台、愛着の土台はしっかり育てることができた」「環境を整え、本人が学習できる体制を整えた上で、何年も学びを積み重ねてきた」、それでも、やっぱり知的に障害があるよね、やっぱり中度くらいだね、というのなら、「知的障害がある人」「その部分で配慮や支援が必要な人」となるでしょう。


言葉に遅れがあるから受診する。
そうすれば、知的障害が付くのは当たり前。
でも、それって、一生涯、この子は「知的障害である」ということにはなりませんね。
言葉が遅れて知的障害なら、言葉の遅れを取り戻せば、知的障害だって変わってくる。
結局、言葉の遅れ以外にも、遅れをそのままにしているから、最初についた知的障害のまま。


私が学生の頃は、講演会に行けば、「知的障害、IQは維持できていたら、儲けものと思わないといけませんよ、みなさん」と、よく聞きました。
発達のヌケを育てることなく、対処と啓発、お薬だけでは、知的に発達するわけはありませんからね。
そもそも、同世代の人達と比べれば、勉強の時間が圧倒的に少ない特殊学級に、養護学校。
ですから、年齢が上がっていけばいくほど、軽度は中度になり、中度は重度になる。


専門家が対処と啓発、学校が十分な学びの機会を与えられていない。
そりゃあ、なんのための支援、療育だ、学校だ、となる。
その不満を抑えるために、「IQは維持できて儲けもん」「年齢が上がれば、下がるのは当然」という宣伝をギョーカイ人たちはしていたんですね。


というか、「維持できない」「下がって当たり前」と自分たちで言うってことは、「私達は無力です」と言っているようなものです。
そんなグダグダな専門家が専門家ヅラできてたのが、私が学生時代。
あれから15年くらい経ちますが、その間に、何人も、何十人も、IQが変わっていく人達に会いました。
実際に知能検査の結果を見せてもらったこともあります。
私が直接、関わらせてもらったった子ども達、若者たちの中にも、一度、知的障害と診断を受けた子で、標準域に入った子も、手帳を返納した子も、何人もいます。


このように、現実の世界では治っている子ども達、若者たちはたくさんいるんですね。
IQが10、20上がるのだって珍しいことではありません。
就学時、発語なし、最重度だった子は、今、普通の人として一般企業で働いています。
だから、「維持ガー」「下がって当然」とか言っているのは、親御さんに不満を言わせないためのおまじないであり、自分たちが無能なのではなくて、「全部が全部、障害のせいだからね」「IQをあげようと頑張るのではなく、みんなで支援(ギョーカイ)の輪の中に入って暮らそうね」と言っているだけ。


IQが変化するのも、知的障害という診断が適さないくらい発達するのも、親御さん、非組合員(非ギョーカイとも言う)の現場の人達は知っていたわけです。
そして、DSM-5(2013)でも、その状態の変化が記述されるようになった。
ということは、この5年間は何だったのか、ということになります。


アメリカから太平洋を渡る際、この記述は落ちてしまったのでしょうか。
ハワイ辺りに、「知的障害、治るよー」「アスペルガーの人達は働いて暮らしていけるんだよー」というメッセージが落ちているかもしれません。
まあ、冗談ではありますが、この日本の中に嘘つきがいるということだといえます。
でも、私はまだ嘘をついている方が良いくらいだと思うのです。


端的に言えば、バカにされているんですよ、みなさん。
どうせ、一般人にはわからないだろう、親は素人だし、親にも問題があって子育ては難しいくらいなんだから。
そんな発言が、堂々と出版物の中に書かれている。
また、誰も原書なんて読まないだろう、原書より私が言ったことを信じるだろう、正しいと思うだろう、という同じ専門家に対する姿勢の中にも奢りすら感じます。


未だに、「IQは変わらない」「知的障害は治らない」「一度付いた障害が治って、なくなるわけはない」、そんなことを言っている人がいたら、平成という元号と共におさらばする時間となりました。
ギョーカイ内、医療界には上下関係、ムラ社会の掟があるのでしょう。
でも、一般人には、それは通用しません。
その掟を外に持ちだすから、わけがわからなくなる。
そして、そんなムラ社会の掟に従う一般人も、助長させる原因でもありますよ。


IQが変わるのは当たり前。
人は生きているんだし、子は日々発達し、神経発達盛んな時期を過ごしているから。
だから大事なのは、どうやってIQをあげていくか、治していくか、より良く学び、働ける姿を目指していくか。
治る、治らない議論は時間の無駄。
だって、治るんだから、アメリカでも、日本でも。


「治らない」という人は、治す腕のない人か、治った人を見たことがない人か、DSM-5を知らない人。
そして、治ると困る人か、治らないと嘘をついても大丈夫だろうと子ども達、親御さん達、他の支援者を下に見ている人間ですね。
だったら、そういう人とは関わる必要はありません。
治せない人、治す気のない人、子どもの発達する力と親御さんの子育ての力をバカにするような人に用はないのですから。


知的障害を治す知見は、治した親御さんと治せる実践家が持っていますね。
そういった方達の知見からアイディア、発想をもらって、どんどん治していきましょう。
治る可能性は、ギョーカイの外側にある!
だって自分たちで治す気がない、嘘をついてまでも治そうとしないのですから。

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