2019年2月25日月曜日

やるだけのことはやってから

発達障害の人達と関わるようになってからの最初の10年間くらいは、ギョーカイが推進する標準療法を学んでいました。
良い先生がいれば、全国どこでも出かけて行って学び、トレーニングを受けてきました。
一度はこの目で見てみたいと、NC州へも行きました。
今となっては、どこにあるかわからないような資格や認定書もあります。


たった10年くらいですが、標準療法を学んで気が付いたことは、どの方法も、発達障害を持つ人の根っこには届かないこと。
最先端で、エビデンスのある療法だとしても、課題の根本を解決するわけではありません。
その課題が表に出ないように対処しているのみ。
限られた場面、環境、人との間で課題が見えなくなることはありますが、あくまでその条件がそろっていないいけない。
「良くなった」「改善した」と思えるようなことがあったとしても、よく良く見れば、ただ適応力が上がっただけ。
だから、少しでも条件が変われば、同じ課題が表面化しますし、支援を受け続ける必要が出てくるのです。


いろんな場面で、私も構造化された支援、ABAのアイディア、SSTなどを使いました。
確かに、環境を整えれば、混乱は減り、理解は促進されます。
でも、そこから先が見えてこないのです。
刺激が減れば、構造化で外付けすれば、脳内の余裕が生まれます。
その生まれたスペースに、ABAでスキルを教えても、SSTでスキルを教えても、結局は適応するための知識を増やしているのみでした。
変化に富んだ実践の場面で役に立たないスキルを教えても、本人の生きづらさは改善していきません。
というか、そもそも本人が持つ根本的な課題には触れてはいないのです。


施設でいろんな方たちを見てきましたが、彼らの生きづらさの根っこは、適応できないことではないと感じます。
夜寝られないこと、十分な食事がとれないこと、感覚の過敏性によって刺激に圧倒されること、うまく掴めない感覚によって勘違いや失敗をすること。
刺激を統制することによって、刺激自体を減らすことはできる。
しかし、それは感覚という課題の根っこを解決したとはいえません。
視覚的なアイディアで予定を伝えたり、食事で栄養を摂る大切さを伝えたりすることはできる。
しかし、寝られない身体、食べられない身体、消化できない身体を解決したとはいえません。


多くの行動障害を持った方達と出会ってきましたが、必ず最初に行うのは、彼らの快食快眠快便を整えることでした。
まずここが整わない限り、支援云々とはなりません。
またほとんどの方達は、この快食快眠快便が整うと、行動障害の程度はグッと落ち着いていくのです。
偏食が治ってから、落ち着いた。
夜寝られるようになってから、問題行動が収まった。
そういったことがほとんどです。
中には、虫歯を治したら、行動障害が見られなくなった人もいます。
ですから、強度行動障害の人への支援方法を指導する立場の人が、「標準療法が大事」なんて言っていると、現場を知らない人なんだと思うのです。
強度行動障害の人に対して、いきなり標準療法、支援なんてできませんから。


こういった経験をしていましたので、花風社さんが提言されている「言語以前へのアプローチ」との出会いは、「これこそ、私が、本人たちが求めていたアイディアだ」と思いました。
標準療法が上っ面の対処療法だっただけに、根本的な、課題の根っこからへのアプローチ、そして何よりも育んでいこうという考え方、知見の素晴らしさがすぐにわかりました。
上っ面で、蕎麦屋の言い訳のような特別支援では、障害の程度に関わらず、ずっと自立なんかできない。
でも、根本から育て、解決できれば、支援者の手の中から離れ、自由に社会人として生きていける。
本来自立とは、自らの足で立ち、自分の意思と選択によって人生を歩んでいけること。


私は、10年間、一生懸命対処療法を学び、実践し、これでは課題の根っこは解決しないこと、本当の意味で自立できる人はいないこと、そして治らないことを証明してきました。
ですから、「言語以前へのアプローチ」を核にして歩んでいるこれからで、課題の根っこを解決し、社会の中で自立し、治ることを証明していきたいと思います。
有難いことに、いろんな方達が治り、自立していく姿を見ることができています。
よって、これからは「治らない」と言っている人達が証明する番だと思います。


言語以前へのアプローチをやってみた。
発達のヌケを育て直し、栄養面を改善し、快食快眠快便を整えた。
それでも、「治らない」のでしたら、治らないことを証明できるはずです。
私は、治らない方法を実践してきました。
だからこそ、標準療法、ギョーカイの推進する方法では「治らない」と言うことができます。
「治る」と言っているアイディアを試すことなく、ただ単に「治るわけがない」というのは根拠があるわけでもなく、ただの妄想です。


ADHDに対する新薬承認のニュースに、『覚せい剤の原料含む』という文字がありました。
就学前の子ども達が、日常的に精神科薬を飲んでいる現実があります。
子どもに、こういった精神科薬は飲ませるのに、ドラッグストアに売っているサプリやプロティンを飲ますことは否定する。
幼稚園、保育園に通う年代の子どもに、精神科の薬を飲ませたいと思いますか。
それだったら、精神科薬の前に、サプリやプロティン、食事から変えてみようと思うのが、自然な感情だと思います。


やるだけのことはやって、それでも治らない、変わらない部分には配慮や支援が必要だと思います。
でも、家で簡単にできること、普通の子育てと変わらないアイディアすらやろうとしない。
それでは「治るなんてインチキだ」と証明することはできません。
以前の私のように、治すことを何にもしないで、ただその日、その日の対処を続けていれば、治るわけも、自立するわけもないのです。
治らないのは障害特性ではなく、治さず対処に明け暮れているから。
周囲の人間の課題まで、ギョーカイの障害者を食い物にする卑しい心まで、障害特性に乗っけるなよ、と思います。


建物を青くして、それで生きづらさが減るのなら、それこそ、トンデモです。
青い光に障害を癒す効果があるというのなら、それこそ、オカルトです。
治そうと思う人達が治っていく。
治そうと思わない人達が治っていかない。
相手の主張をやってみた上で否定するだけの根性がなければ、口を出さないのが社会人としての最低限のマナーですね。

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