意図的に刺激の量をアンバランスに
「長所を伸ばすか、短所を無くすか」というのは、よく話題になります。
もちろん、その子の持つ長所を活かし、伸ばし、育んでいくことは大事だと思います。
じゃあ、短所はどうするのか、そのままで良いのでしょうか。
長所を伸ばす一辺倒の育み方で良いのでしょうか。
私は、初めて子どもさんとお会いするとき、「バランスが悪いな」と感じることがあります。
それは、表面に見える身体的なバランス、左右差だけではなく、認知や能力、育ち方全般についてのバランスの悪さです。
「このままの状態で成長していくと、ますますバランスが崩れてしまう」
そんな風に感じるとき、私は長所を伸ばすことよりも、短所を無くしていく、弱い部分を育んでいく方の大切さを伝えるようにしています。
発達障害の子どもに対し、「能(脳)力の凸凹」という表現がなされます。
そして、今までの特別支援教育は、ずっと凸の部分をどう活かしていくか、伸ばしていくか、だったような気がします。
別の言い方をすれば、凹の部分は配慮と支援、教育の対象ではなかったような感じです。
しかし、この既存の長所を活かす特別支援では、なかなか自立できない、仕事ができない、続かない、という現実があるように思えます。
ハナから凹の部分は配慮と支援前提で教育がなされているので、当然、自立するのは難しくなります。
でも、それ以上に、凹の部分をそのままにしておくのは、大きくバランスを崩す結果になると思うのです。
認知は高いけれども、社会性が乏しい。
十分働くだけの能力はあるのに、継続性、コツコツ積み重ねていくことが難しい。
多彩な表現、語彙力をもっているのに、相手の視点を想像できない。
こういったアンバランスさは、ある一面を見れば、「働けるのに」「一人で生活できそうなのに」となりますが、「でも…」があとに続いてしまいます。
こういう若者、成人は少なくないと思います。
私は、長所を伸ばすのは、大事な育みだと思います。
しかし、タイミングによっては、それよりも、短所を無くしていく方に重点を置く時期があると考えています。
「いまの時期は、凸の部分は刺激せず、凹の部分のみを刺激する」というようなこともあり得ます。
結局、凸凹がある子ども達は、その凸凹、バランスの悪さが生きづらさの原因になっているように思えます。
もし、能力が高くても、低くても、全体的に揃っていれば、本人的にはそこまで生きづらさにはならないと思います。
そして何よりも、同じペースで、どの能力も共に成長していける感じがします。
大学に行けるような能力を持った人でも働くことが難しい人が大勢います。
一方で、能力的には大学に行けるような力はないけれども、こつこつと地道に働き、自立している若者たちがいます。
私も、若者、成人した人達と関わることがありますが、能力云々よりも、バランスの良さ、全体的な発達、成長、積み重ねがある人の方が、仕事も、生活も、安定し、うまくいっている印象を受けるのが正直なところです。
学生時代の講義では、「障害を持った人の長所を伸ばし、活かす教育と社会」というような内容を散々教わりました。
でも、今思い返してみると、結局、短所に切り込むだけのアイディアも、知見もなかっただけのことのような気がします。
長所を活かせる社会とは、社会が、本人以外が相当カバーしないといけない社会だといえます。
それに、本人の側でも短所が残り続ければ、それが足を引っ張り続けることになるはずです。
短所、凹の部分は、社会、他人が担うには大き過ぎ、自分で担うにはリスクがあり過ぎる。
そして第一、ここが一番の問題ですが、「長所」「長所」と騒ぐわりには、身を立てるだけの武器まで磨かれていない。
結局、絶対評価ではなく、相対評価。
その人の中で、「ここは良いよね。マシだね」というようなところが、「素晴らしい長所」「活かすべき長所」ともてはやされているような場合も少なくないと思います。
申し訳ないですが、色と色のマッチングできる力で就職できるような場所はありません。
ネジ回しがいくら早くても、正確に箱折ができたとしても、独創的な絵が描けたとしても、それだけでは仕事に活かせる能力だとはいえません。
なんだか、そういった部分までも、親を喜ばすための接待の道具にされているような感じがして、個人的には嫌な気持ちになります。
発達の凸凹で苦しんでいる子ども達に対し、凸の部分だけに注目した育みとは、どうなんだろうと思います。
発達のヌケは埋め直した方がラクになり、根本からの全体的な成長に繋がるのと同じように、能力の凸凹も、凹を重点的に育み、バランスの良い全体的な成長を目指した方が良いと考えています。
敢えて、凸には触れず、刺激せず、重点的にヌケや凹を刺激し、育むという視点があって良いはずです。
実際、意図的に刺激の量をアンバランスにした結果、凸凹がなだらかになり、そこから一気に育っていった子どもさんもいます。
「なんだか、バランスが悪いな」「このままいくと、バランスがもっと崩れるな」と感じた方に対しては、敢えて刺激をアンバランスにする。
凸凹の凸、長所だけではなく、凹、短所を刺激し、育んでいくことが、時期によっては最優先すべきこともあると私は考えています。
もちろん、その子の持つ長所を活かし、伸ばし、育んでいくことは大事だと思います。
じゃあ、短所はどうするのか、そのままで良いのでしょうか。
長所を伸ばす一辺倒の育み方で良いのでしょうか。
私は、初めて子どもさんとお会いするとき、「バランスが悪いな」と感じることがあります。
それは、表面に見える身体的なバランス、左右差だけではなく、認知や能力、育ち方全般についてのバランスの悪さです。
「このままの状態で成長していくと、ますますバランスが崩れてしまう」
そんな風に感じるとき、私は長所を伸ばすことよりも、短所を無くしていく、弱い部分を育んでいく方の大切さを伝えるようにしています。
発達障害の子どもに対し、「能(脳)力の凸凹」という表現がなされます。
そして、今までの特別支援教育は、ずっと凸の部分をどう活かしていくか、伸ばしていくか、だったような気がします。
別の言い方をすれば、凹の部分は配慮と支援、教育の対象ではなかったような感じです。
しかし、この既存の長所を活かす特別支援では、なかなか自立できない、仕事ができない、続かない、という現実があるように思えます。
ハナから凹の部分は配慮と支援前提で教育がなされているので、当然、自立するのは難しくなります。
でも、それ以上に、凹の部分をそのままにしておくのは、大きくバランスを崩す結果になると思うのです。
認知は高いけれども、社会性が乏しい。
十分働くだけの能力はあるのに、継続性、コツコツ積み重ねていくことが難しい。
多彩な表現、語彙力をもっているのに、相手の視点を想像できない。
こういったアンバランスさは、ある一面を見れば、「働けるのに」「一人で生活できそうなのに」となりますが、「でも…」があとに続いてしまいます。
こういう若者、成人は少なくないと思います。
私は、長所を伸ばすのは、大事な育みだと思います。
しかし、タイミングによっては、それよりも、短所を無くしていく方に重点を置く時期があると考えています。
「いまの時期は、凸の部分は刺激せず、凹の部分のみを刺激する」というようなこともあり得ます。
結局、凸凹がある子ども達は、その凸凹、バランスの悪さが生きづらさの原因になっているように思えます。
もし、能力が高くても、低くても、全体的に揃っていれば、本人的にはそこまで生きづらさにはならないと思います。
そして何よりも、同じペースで、どの能力も共に成長していける感じがします。
大学に行けるような能力を持った人でも働くことが難しい人が大勢います。
一方で、能力的には大学に行けるような力はないけれども、こつこつと地道に働き、自立している若者たちがいます。
私も、若者、成人した人達と関わることがありますが、能力云々よりも、バランスの良さ、全体的な発達、成長、積み重ねがある人の方が、仕事も、生活も、安定し、うまくいっている印象を受けるのが正直なところです。
学生時代の講義では、「障害を持った人の長所を伸ばし、活かす教育と社会」というような内容を散々教わりました。
でも、今思い返してみると、結局、短所に切り込むだけのアイディアも、知見もなかっただけのことのような気がします。
長所を活かせる社会とは、社会が、本人以外が相当カバーしないといけない社会だといえます。
それに、本人の側でも短所が残り続ければ、それが足を引っ張り続けることになるはずです。
短所、凹の部分は、社会、他人が担うには大き過ぎ、自分で担うにはリスクがあり過ぎる。
そして第一、ここが一番の問題ですが、「長所」「長所」と騒ぐわりには、身を立てるだけの武器まで磨かれていない。
結局、絶対評価ではなく、相対評価。
その人の中で、「ここは良いよね。マシだね」というようなところが、「素晴らしい長所」「活かすべき長所」ともてはやされているような場合も少なくないと思います。
申し訳ないですが、色と色のマッチングできる力で就職できるような場所はありません。
ネジ回しがいくら早くても、正確に箱折ができたとしても、独創的な絵が描けたとしても、それだけでは仕事に活かせる能力だとはいえません。
なんだか、そういった部分までも、親を喜ばすための接待の道具にされているような感じがして、個人的には嫌な気持ちになります。
発達の凸凹で苦しんでいる子ども達に対し、凸の部分だけに注目した育みとは、どうなんだろうと思います。
発達のヌケは埋め直した方がラクになり、根本からの全体的な成長に繋がるのと同じように、能力の凸凹も、凹を重点的に育み、バランスの良い全体的な成長を目指した方が良いと考えています。
敢えて、凸には触れず、刺激せず、重点的にヌケや凹を刺激し、育むという視点があって良いはずです。
実際、意図的に刺激の量をアンバランスにした結果、凸凹がなだらかになり、そこから一気に育っていった子どもさんもいます。
「なんだか、バランスが悪いな」「このままいくと、バランスがもっと崩れるな」と感じた方に対しては、敢えて刺激をアンバランスにする。
凸凹の凸、長所だけではなく、凹、短所を刺激し、育んでいくことが、時期によっては最優先すべきこともあると私は考えています。
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