2019年2月17日日曜日

私達は未来を生きている

「支援があればー」と言っていた人達から見れば、各都道府県に発達支援センターができましたし、政令指定都市、市町村の中にも、相談できる機関ができました。
それに「放課後の過ごし方がー」と、つい15年前くらいまでは言われていたのに、今は知的障害を伴わなくても、児童デイが利用できます。
しかも、学校まで迎えに来てくれて、帰りは送ってもくれる。
「支援者の専門性がー」というのだって、各団体や欧米の大学から資格や認定を受けている支援者が多くなり、明らかに養護学校時代の支援者、教員よりも質も、専門性も向上しているといえます。


情報だって、今、書店に行けば、特別支援コーナーが大々的に設けられているだけでなく、発達障害単独の棚ができ、そこに何百冊もの本が並んでいます。
私が学生時代は、学ぼうと思っても、手に入る書籍は、決められた出版社の決められた顔ぶれが書いたものばかりでした。
今で言えば、ギョーカイ大本営からの声明文みたいな。
そういった限られた情報、専門書を何度も読み直し、日々の実践、関わりの中の答え、アイディアを得ようとしたものです。


当時は、発達障害、自閉症の診断がつけば、親御さんのほとんどは、協会や親の会に入ったものです。
そうやって入ることでしか、情報を得る機会がなかったから。
圧倒的な情報差が、支援者(ギョーカイ)と親御さんにはありました。
だから、平日も、土日も関係なく、無償の奉仕もしたし、講演会のサクラにもなった。
お金も、時間も、労力も、捧げることで、支援者が持っている情報と交換しようとした。
また支援機関、支援者も限られていたため、つながっていること、気にいられることが情報と支援を受けることとイコールになっていたような気がします。


こうやって特別支援の前後を生きていた世代、そのとき、懸命に子育てをされていた親御さん達からすれば、今は、当時の人たちが目指していた未来であり、望んでいた未来だといえます。
そこを私達は生きているのです。
今は、親の会に入らなくても、支援者に気にいられようとしなくても、自らの行動と選択で情報を得ることができます。
大本営以外の書籍もたくさん出ていますし、ネットを使えば、先輩たちや同世代で子育てをしている親御さん達とつながれますし、ブログやツイッターだって読むことができます。
特別支援の世界の外にある有益な情報、知見、非組合員の専門家、実践家ともつながることができます。


圧倒的な情報さと限られた支援の時代は、主が支援者であり、従が本人、家族でありました。
でも、今は違います。
誰でも情報にアクセスできるようになり、支援だって公的、民間関わらず、自由に求められるようになったのです。
私は今の当事者、家族を見て思います。
支援者への従からの脱却、つまり、支援者が奪っていた主体性を取り戻し、いびつな関係性をぶっ壊せたことこそが、特別支援が始まって20年弱で得た一番の成果ではないか、と。


せっかく主体的に情報と支援を選べる時代になり、そこを今、生きているのです。
しかも、冷蔵庫マザー、脳の機能障害の時代を経て、神経発達障害の時代になったのです。
機能に対しては、支援と配慮が中心。
でも、神経だったら、支援と配慮の前に、『育む』がきます。


支援や配慮、理解を求める時代から、育んでいける時代への変化。
求める対象は、常に外側にありました。
しかし、今は内側にある。
神経は、その人の内側に存在します。
その神経を育てるのは、誰でしょうか。
そうです、本人であり、本人が生活している環境、生きてきた道です。
支援者でも、専門家でも、療育機関でもないのです。


このような主体性を発揮できる時代を生きているのに、いまだに支援者、専門家の顔色を伺うのなら、それは愛着形成に課題があるといえるでしょう。
子ども時代、常に親の顔色を伺って生きてきた人が、親と専門家、権威を重ね合わせて顔色を伺う。
専門家との圧倒的な差があった時代は止むを得ず顔色を伺っていた。
でも、今は愛着という土台に弱さがある人のみが、専門家の顔を伺うのです。


未来を生きる私達は、今を謳歌しないといけません。
主体的に、自分の選択と行動によって、子どもを育み、神経発達を促し治していける時代。
治せない専門家、養護学校時代の機能障害を未だに使い続けている専門家に、「バカ野郎~」「必要なし!」と思いっきり言えるのです。
ちゃんと結果と成果で判断できる。
だったら、ちゃんと断捨離をする。
使えない支援、いらない支援には、はっきり「No」をつきつける。
負の遺産を未来の子ども達、親御さん達に残さないのが、今を生きる私たちの役目。


支援を求め、勝ち取る前世代。
負の遺産をきちんと処分する現世代。
治すことと、「No」と明確に表明することが、より良い未来を築く原動力になるのだと私は思います。

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