投稿

【No.1325】「掴めない実態を見える化したい」という欲求

イメージ
マスクをつけている人がみんな、感染しないのであれば、わかりやすい。 遺伝子ワクチンを打った人がみんな、重い副反応が起き、接種した国にだけ、その月だけ超過死亡が急増すればわかりやい。 だけれど現実は、マスクをつけていても感染するし、つけていなくても感染しない人もいる。 ワクチンを打ってなんの副反応が起きない人もいれば、超過死亡がすべてワクチン接種だともいいきれない。 私はマスクもしないし、接種もしないが、ネット上で繰り広げられているこういった単純な論争に対して冷めた目で見ていて、本当の目的は何が正しいかではなく、こうやって人々が争い、分断してき、結果的に日本という社会、世界という仕組み、それぞれの家族、コミュニケーションが崩壊することなんじゃないかな、なんて思っています。 話を単純化したい人に共通するのは、「掴めない実態を見える化したい」という欲求だといえます。 発達障害は発達の経過とともに徐々に明らかになっていくものなので、親御さんは違和感から不安、そして確信、悲観へというようなプロセスを通ることが一般的です。 なので、徐々に発達が遅れ出した我が子に対して、「なぜ!?」「どうして!?」という想いを持たれることが多い。 たとえば、交通事故などが起きたあと、麻痺や記憶障害などが起きれば、原因と結果がわかりやすく、同時に納得できる面もありますが、それがないのが発達障害の特徴ともいえます。 どうして発達障害が起きたのか、我が子が発達障害になったのか、がわからない。 ゆえに混乱の時期が長いということがあるのだと感じます。 中には「とにかく動こう」という親御さんもいて、そこにはその親御さんのキャラクターもありますが、金銭的な余裕、生活のすべてを後回しにしてもOKな環境などの条件があって、はじめて成り立っているわけで、「とにかく一心不乱に突き進んでいたら、気がついたとき、治っていた」というのが実態になるでしょう。 ですがやっぱり大部分の親御さんは、原因と結果が明確じゃないと動けないくらい余裕がないといえます。 ですから相談でも 「忘れ物をなくすには、なにをすれば良いですか?」 「普通級にいくためにはどうしたらいいですか?」 「発達のヌケを埋めたら治りますか?」 「息子の問題は、私の愛着障害のせいですか?」 「栄養が整ったら、知的障害が治りますか?」 というようなご質問が多く、そう...

【No.1324】発達援助に必要な"体感"

イメージ
文科大臣が「必ず"黙食"することを求めているわけではない」と言い逃れをするのは当たり前で、「私がわるぅ~ございました」なんていう責任を認める人間が政治家なんかやるわけはないですね。 ワクチンの薬害だって認められたとしても、10年、20年も先で、きちんと当時(今)の責任担当者がすべていなくなったあと、それこそ、今、青春を奪われた青少年たちが官僚になり、「もう2度と過ちは犯しません」と会見するのでしょう。 まあ、10年後に日本が今の形であるかはわかりませんがね。 私の息子達には… 「今の大人たち、日本は腐り切っているから、もう一度、ぶっ壊れないとわからない」 「大人の言うことは、お前たちが大人になったときの非常識だから聞かなくていい」 「ぶっ壊れたあとの社会を作っていくのは、お前たちだから今のうちに歴史を学び、自分の頭で考え、行動できる人間を目指せ!」 と言っています(笑) 私は、子どもがマスクをつけている姿を見かけると、気持ち的にも、体感的にも、「苦しいな」と感じます。 というか、みんな、そういった感覚を持っていると思っていたのですが、そうじゃない人が多いみたいですね。 だから、エビデンスがどうとか、専門家がこう言っていたとか、新聞だテレビだと体感以外の外からくる情報に反応してしまう。 目の前にマスクをつけた子がいたら、エビデンスとか言う前に、「ああ、苦しいよな」「外してあげたいよな」と我が子とのように感じ、思えることが哺乳類としてのヒトの姿だといえますね。 コロナ騒動の前から自閉症の親御さんの子は治りにくい、治らないな、と感じていました。 それは遺伝的な話という前に、親御さん自身の体感が乏しいから。 象徴的なのが子どもさんの「心地良い」がわからないということ。 神経発達に必要な条件に、子どもの内的な「心地良さ」があります。 その心地良さを感じているとき、それに動員されている神経に強い興奮が表れ、それが神経ネットワークを構築していく。 だから、訓練とか、「はい、身体アプローチの時間ですよ」「あと5分後から金魚体操始めます」みたいなことをやっている限り、いつまで経っても治っていかないのですね。 私達は自分の身体を通して、他人のことを想像し、感じています。 ですから体感の乏しい人は、他人の体感を想像することが難しく、当然、他人の気持ちを察し、それに応じ...

【No.1323】"今"のリスク、"未来"のリスク

イメージ
相談には2種類あって、『"今"のリスク』の悩みと、『"未来"のリスク』の悩みです。 『"今"のリスク』というのは、今まさに起きていることで、たとえば「夜、なかなか寝ることができない」「自傷がある」「友達を叩いてしまう」といったもの。 一方で『"未来"のリスク』とは、このままの状態で行けば、今後問題が生じるかもしれない、という類になります。 で発達相談の中で、圧倒的に多いのがこっちの『"未来"のリスク』ですね。 偏食というのは、今まさに起きているリスクだと捉えがちです。 しかし実際は、偏食でも生きているわけですし、衰弱しているわけではない。 だけれども、このまま、偏食が続くと、思春期を迎えたときに栄養不足や体調不良になるかもしれないし、今後の人生で食べられるものが少ないというのは食糧危機などが起きた場合、生き抜けないかもしれないというリスクになります。 言葉がしゃべれないのも、親御さんにとっては非常事態であり、大きな悩みだと言えますが、今のリスクではなく、今後未来起きるであろう不都合や「このまま一生しゃべらないかも」という親御さんの内側にある不安から招いているものです。 つまり、何を言いたいかと申しますと、私達人間は、起きていないことを想像し悩む生き物だということです。 発達障害を持った子の子育てに限らず、幼少期から英語教育を始めたり、お受験させたり、親がせっせとドリルを買い我が子にやらせたりするのも、すべて未来のリスクを想像し、不安になり、行動しているのです。 「もしかしたら、良い大学にいけないかもしれない」 「もしかしたら、就職できないのかもしれない」 「もしかしたら、英語教育についていけないかもしれない」 そうやって常に起きていない未来を頭の中で描き、ある意味、勝手に不安になって、知らず知らずのうちに選択してしまっている、ということ。 もちろん、こういった人間の行動はすべて否定されるようなものではありません。 このように起きていない未来を想像することにより、アフリカの大地から世界へと進出し、今まで人類という種を繋いでこれたのですから。 「あの草むらの中にライオンが隠れているかもしれない」 「あの先には崖があるかもしれない」 そんな風に危険を予知することで生き抜いて...

【No.1322】「どのくらいで治りますか?」

イメージ
月日が経つのは早いもので、私の車は夏から冬タイヤへ替わりました。 花風社さん主催の「身体アプローチも発達する 勝手に発達する身体を育てよう」(講師は松島さん!)に参加したのもついこの間かと思っていたのに。 日本シリーズは第4戦目以降、記憶にありませぬ。。。 講座の中で「おやっ」と思ったのが、松島さんの「90日続けてみてください」という言葉でした。 詳細は動画を視聴してもらえばわかりますが、この期間って大事なんですよね。 私も「3ヶ月」はよく使う数字、期間だったので、この言葉にひっかかりました。 もしかしたら「90日」の根拠があるのかもしれませんが、松島さんの今までの経験の中からその辺りが一つの変わる目安になるのだと、私は解釈したのです。 期間については、どの親御さんも興味があることで、発達相談の中でも質問されることが多くあります。 「どのくらい続ければ、治りますか?」は、みなさん、知りたいですよね。 裏を返せば、それだけ続けることが苦手な人が増えたという表れだと思います。 発達相談後、一週間したら「まだ変化がないんですけど、やり方が間違っていますか?」「うちの子、重いのですか?」「治らないんですか?」というお問い合わせはしょっちゅうです。 だから、その親御さん自体の問題というよりも、現代人に共通する課題なのでしょう。 私はあまのじゃくですので、「いつ治りますか?」と尋ねられれば、却って期間に関することは一切話しません、みたいな対応をしていました(笑) ですが、それじゃあ、結局は子どもさんのためにはならないと思って、考えを改めたんです。 「まずは麺じゃなくて、スープから飲め!それができないのなら、うちの店に来るな!!」みたな頑固おやじのラーメン屋方式は令和の時代に馴染まない。 やっぱりお客さんがいての商売だし、偉そうに思われてしまうかもしれませんが、そのお客さんである親御さんを育てるのも、より良い道へ導くのも私の仕事だなって思うんです。 なので、ここ数年は、数字の解禁をしています。 まず誤解がないようにしなければならない前提があって、神経発達を促す、育てることの時間と、その子の発達を阻害している要因を取り除くこと、環境を整えることの時間の2つがあるということです。 ここが混同してしまうと、「やり始めてすぐに効果があった!」というツイートに惑わされてしまいます。 短期間...

【No.1321】それは発達の遅れではなく、生活環境に適応した結果ですね

イメージ
「今の生活に満足している」 「なんの不便さも、不幸さも感じていない」 そんな子ども達がいるのは、 前回のブログ でお話しした通りです。 発達に遅れがあるからと言って、どの子も不便さを感じ、不幸を感じているとも限りませんね。 若者たちとお話ししてても、「ずっと自分は発達障害で不幸な人間だと思っていました」なんてのもよくあることで、ルサンチマン系の支援者による実害だといえます。 発達相談の中で、「ハイハイを飛ばした」「椅子に座れない」「走るのが苦手」「箸が使えない」などといった悩みを伺うことがあります。 でも、これは親御さんの悩みであって、本人の悩みではないことが多いのです。 発達障害と呼ばれる子ども達の中には、少なからず「適応の結果としての発達の遅れ」も確認できます。 どういうことかというと、「ハイハイを飛ばしても良い環境にあった」ということです。 考えてみてください。 動物は「なぜ、移動するか?」ということを。 それは危険から回避するためであり、食べ物を得るためであり、興味関心のある対象に近づくためであり、いろんな刺激を体感するためです。 今の子ども達、赤ちゃんが育つ環境として、本当にハイハイをする必要があるのかな、と思うことがあります。 赤ちゃん時代、十分にハイハイできるような環境だったでしょうか。 ベッドの柵の中にいたら、ハイハイする必要はないでしょう。 どこの床もツルツルで、得られる刺激が同じなら会えて移動する必要はないでしょう。 自分で移動しなくても、モノがあっちのほうからやってくるのなら自分でハイハイしてそこまで行きたいとは思わないでしょう。 ずっと靴下を履いていたら、足の感覚がわからず、当然のように動かそう、動かせるとは思わなかったかもしれません。 同じように椅子に座れないのは、椅子に座らなくても十分楽なソファーやクッションがあるからかもしれないし、赤ちゃん時代から自分の筋力を使わないで自動的に座れる椅子に座らされていたからかもしれない。 運動機能の未発達も、それを使う環境がなければ、室内にいる時間が長く、よじ登ったり、走り回ったりできなければ、多彩な動きは身につかないし、それは必要ではない動きに分類されてしまう。 「箸が使えない」というご家庭の多くは、補助箸を使っているし、食べさせているし、手づかみ食べをさせていないでしょ。 栄養不足の子は偏食というの...

【No.1320】安心は発達のエネルギー

イメージ
前回のブログ に対して反響が多くありました。 ホントはこういうことを書くと、ますます怪しさが増すから避けてきていたんですよね(笑) でも、書かざるを得なかった、というのが正直な気持ち。 だってええ、発達障害が発達の問題"だけ"だと思っている人が多いんですもの。 発達障害を治そうとするその行為が却って、愛着障害を生み、更なる発達の遅れに繋がっていることがあるんですもの。 「我が子の発達障害を治すにはどうしたら良いですか?」という質問が出ること自体、治っていけない家庭の典型だといえます。 発達相談でご家庭に伺うと、親御さんの深刻さを横に、子どもさんが幸せそうに遊んでいる姿がある、ってことはよくあることです。 親御さんからしたら発達の遅れやその指摘は、奈落の底に落とされた感じになるのは当然だと思いますが、子どもさんはそのことについてどう思っているのでしょうか? もちろん、ある程度大きくなり、また他人との違いを感じるような年代になれば、「治りたい」と本人が願うこともあるでしょう。 しかし最近増え続ける乳幼児さんの発達相談、小学校低学年くらいまでの子ども達は、どのくらいそれを思っているのか。 本当に今、いろんなものを後回しにして、もっといえば、家族の時間、親御さんとの触れ合いや甘え、子ども時代の自由な時間を後回しにして、その療育に通うことは、診断を受けに行くことは、薬を飲むことは、そのアプローチを行うことは、発達障害を治そうとすることはやるべきことなのか、と思うことがあるのです。 先日、お会いした子どもさんは、「もっとお母さんと遊びたい」と言っていました。 親御さんとしては、一刻も早く治ってほしい、今すぐにでもラクになってほしい、と願う。 だけれども、子どもからしたら今、お母さんと遊びたいんですね。 もっと抱きしめて欲しいし、ただただ自分だけのことを見てほしい。 そもそもが発達が遅れていること自体を、その子は不幸に感じていない。 特に子どもは敏感に親御さんの想いを感じるもので、親御さんが発達の遅れに対してネガティブな感情を持ち続けると、それを感じた子が「自分ってダメな子なんだ」と捉えてしまうこともありますね。 子どもさんの発達の遅れに注目が集まるようになってから、「発達が(さらに)遅れ出す」なんてことも少なくありません。 本当にそれが発達の遅れなのか、単に...

【No.1319】子ども達から伝わってくるメッセージ

イメージ
今の科学技術では証明できないけれども、ヒトにはまだ知られていない能力があると思っている。 私が感じる"何か"も、そういったヒトの持つ能力の表れでしょう。 たぶん、その人が歩んできた歴史や今の感情などは、脳みそにだけではなく、身体にも刻まれていて、それが分子レベルか何か分からないけれども、身体から発信しているんだと思います。 私の場合は、目の前の人にもう一人の姿が見えたり、走馬灯のように物語がイメージとして見えたり、映画のタイトルのように文字が見えたりします。 中には憑依するような感じで、その人と同じ感覚になる人もいるようですが、私はそれはあまりないですね。 我が子の発達障害で悩んでいる親御さんは多いですね。 だけれども、その多くは表向きには我が子のことで悩んでいて、本当のところはご自身のことで悩んでいる。 さらに、その自分の悩みは無意識下にあるので、本人は気づいていない。 そんな風に感じています。 少なくとも、私の発達相談ではそうですね。 発達障害という問題はきっかけであり、自分自身の悩みや課題と向き合う入り口のような感じ。 たとえば、これはみなさんも分かりやすいと思うのですが、「私、知識持っています、キリ」の人。 これは支援者にも多いのですが、やたらに知識持ってますアピールをしている。 それほどに知識を持っているのなら、そもそも相談する必要ないですよねー。 もちろん、知識と応用にはそれを結びつける力が必要なので、そういった点で悩み、相談される人もいますが、そうではない人もいる。 このような人達から伝わってくるのは、「私を褒めて」「私を認めて」という声。 発達相談をしていても、本当に我が子のことをよくしたい、治ってほしいと思っているのかな、と思うことがあります。 我が子のことをそっちのけで、私が言うことに対して、「そうですよね」「そうですよね」「私もそう思っていました」などと相槌を打つ。 そして一番のポイントは、「それ、私も考えていました」「それ、私もやってました」と例外なくおっしゃる。 だから、このような人達は、私の発達相談が受けたいのではなく、自分に共感や同意してくれる支援者を本能的に嗅ぎ分け、接近しているんだと感じます。 同じ「知識持ってます、キリ」の人でも、伝わってくるものが違うことがあります。 これも多いのですが、自分の負い目を消し去ろ...