【No.1304】残された者の務め

未接種の私たちにとっては、もう終わった話のコロナ騒動。
やっぱり自然に罹った方が、その後の変異に対しても柔軟に反応することができるって論文も出ているし、実際の話としてワクチン接種していない国ではほぼ陽性者ゼロ。
打てば打つほど、蔓延するよって言われていたのに、というかイスラエルや台湾、シンガポール、イギリスが示してくれていたのに、3回目に突入。
それで気づくかと思えば、4回目だって。


「オミクロン対応!新ワクチン」って聞けば、どうせみんな、「武漢型より、そっち」ってなるんだろうな。
これだけ聞けば、新しいタイプのワクチンができたと思うだろうけれども、実情は武漢型にオミクロンをプラスした二価ワクチン。
同じ武漢型を1年半の間で頻回打っても大丈夫なの?
というか、それを実験して確かめたことはない。


つまり、日本人を使って「本当に大丈夫だろうか?」と治験を行うってこと。
アメリカでは、この日本人の結果を見てから、オミクロン型(BA.5のやつ。日本はBA.1)を国民に接種させるかどうか決めるんだって。
これって1945年の広島、長崎と一緒。
なんで軍人がほとんどいない、女、子ども、老人しかいないところに、しかも種類が違う原子爆弾を落としたの?
落としたあとは、米軍が入り、被爆者の人達を観察して回ったというのは有名な話。
欧米人の内側にある優生思想。
アフリカや黒人を使った新薬の治験は、ずっと行われてきた。
今回はイスラエルが4回でやめてしまったので、次は日本が選ばれた。
5回打ったらどうなるか?
新しいタイプのオミクロン型ではどうなるのか?


この1年間は、ずっと「イスラエルの人達はかわいそうだ」と思っていましたが、とうとう日本がその状態になろうとしています。
9月に前倒ししたオミクロン型のワクチン。
ワクチンの接種率が進むと、大きな波が起きて、それは前の波を超えるような大きさになるので、今年の冬にはどうなることか。
人類初の実験が、この日本で行われようとしていますので、素人の私にはまったく想像できませんね。
ただ「残された者」という連想が生じます。


大きな自然災害などが起きると、残された者の"苦しみ"が現れます。
これから身内や親族、友人、知人の中に、お別れしないといけない人が出てくるでしょうね。
そんなとき、「どうして私はあのとき、接種を止められなかったのか」と後悔する人もいるはずです。
しかし、その後悔はする必要がないと思っています。
今回は治験中と知って、自分の手でサインしたのですから。
たとえプレッシャーがあったとしても、その手はあなたの手。
また一度、怖いという感情に支配された人は、力ずく以外で止めることはできません。
それよりも残った者として、こういった歴史を未来に伝え、また少しでもよい未来を次の世代に渡せるよう行動する必要があると思います。


発達相談をしていると、「これはいうべきか、いわないべきか」と悩むことが多々あります。
だって、過去に戻ることはできないから。
10代の女性にとっては痩せていることが一番の価値だったと思う。
20代の男性にとっては食べたいものを食べ、遊びたいことを遊び切ることがもっとも感情を興奮させたのでしょう。
30代になれば、仕事が楽しくなり、キャリアを目指して突っ走ることが幸せだったといえます。
子が生まれれば、良かれと思って早期教育をし、この子が笑顔になるからとテレビやタブレットを渡し、ファーストフード、お菓子を与えた。
ハイハイを飛ばして立ったとしても、「うちの子、発達が早いかも」と優越感を感じたものです。
しかし、今振り返れば、「あのとき、ああしてこなかったら」となる。


ワクチン、コロナ騒動にしても、発達障害にしても、きっと誰かだけが悪かったわけではないと思います。
製薬会社や御用学者、メディアや政治家が悪かったかもしれないが、それを許したのは私達国民だし、その国民を育てたのは戦後の学校教育であり、家庭教育であり。
GHQが悪いと思うけれども、そのGHQの呪縛から77年間も脱することができなかった日本人の問題。
だから、誰かを責めても、個人がいくら後悔しても、意味がないこと。
後悔する時間があるのなら、より良い未来のために行動するのが自立した人間の使命だと思う。


発達障害は後悔しても治らない。
後悔するくらいなら、より良い未来のために動くほうがいい。
だけれども一方で、親と子も別人格であって、親が後悔しても、「そんなこと知らね~」というのが子どもというもの。
親の後悔が、子どもに乗っかってはいけない。
それが重荷になり、新たな発達の阻害因子になってしまうから。
子どもさん自身、自分に発達障害があることを後悔しているのでしょうか。
発達に課題があろうとも、子どもは子どもで、自分の人生を歩んでいる。
親が後悔していることに気がついた子どもが、そこから自分の発達の遅れに「後悔」をプラスすることもあるんです。
それを愛着障害と一言でいっていいのかわかりませんが、これも事態をややこしくしているのは、私も日々、感じることです。


<緊急座談会 第二弾!>オミクロン型ワクチンをすすめない理由という東北有志医師の会の動画がアップされていました。
これをNHKで流したら、お年寄りを中心に大パニックになるでしょう。
でも、35度を超えた屋外でもマスクを外さなかった人達だから、そもそも信じないかもしれませんが。
無駄な抵抗というよりも、「こういった警鐘を鳴らしていた医師たちがいた」「真実に気がついていた医師がいても、止めることができなかった」と記録としてのシェアになります。
日中戦争も、「続けてはいけない」と言っていた政治家、軍人たちがいました。
大東亜戦争も、「絶対に日本は勝てない」と気がついていた国民がいました。
だけれども、実際に焼け野原になるまで、多くの国民は目覚めることができなかった。
ですから今回も仕方がないのです。
残った者は焼け野原から立ち上がり、次の世代のために行動するのみです。
お互い生き残ったら、そのときは共に頑張りましょう(笑)




☆『ポストコロナの発達援助論』のご紹介☆

巻頭漫画
まえがき
第1章 コロナ禍は子ども達の発達に、どういうヌケをもたらしたか?
〇五感を活用しなくなった日本人
〇専門家への丸投げの危険性
〇コロナ禍による子ども達の身体の変化
〇子どもの時間、大人の時間
〇マスク生活の影響
〇手の発達の重要性と感覚刺激とのソーシャルディスタンス
〇戸外での遊びの大切さ
〇手の発達と学ぶ力の発達
〇自粛生活と目・脳の疲労
〇表情が作れないから読みとれない
〇嗅覚の制限 危険が察知できない
〇口の課題
〇やっぱり愛着の問題
〇子ども達が大人になった世界を想像する
〇子どもが生まれてこられない時代
〇子育てという伝統

第二章 コロナ禍後の育て直し
〇発達刺激が奪われたコロナ禍
〇胎児への影響
〇食べ物に注意し内臓を整えていく
〇内臓を育てることもできる
〇三・一一の子どもたちから見る胎児期の愛着障害
〇胎児期の愛着障害を治す

第三章 ヒトとしての育て直し
〇噛む力はうつ伏せで育てよう
〇感覚系は目を閉じて育てよう
〇身体が遊び道具という時期を
〇もう一度、食事について考えてみませんか?
〇食べると食事の違い
〇自己の確立には
〇右脳と左脳の繋がりが自己を統合していく
〇動物としての学習方法
〇神経ネットワーク
〇発達刺激という視点

第四章 マスクを自ら外せる主体性を持とう
〇なぜマスクを自ら外せることが大事なのか
〇快を知る
〇恐怖を、快という感情で小さくしていく

第五章 子どもの「快」を育てる
〇「快」がわかりにくいと、生きづらい
〇快と不快の関係性
〇子どもの快を見抜くポイント
〇自然な表情

第六章 子ども達の「首」に注目しよう
〇自分という軸、つまり背骨(中枢神経)を育てる
〇首が育っていない子に共通する課題
〇なぜ、首が育たない?
〇首が育たない環境要因
〇首が育つとは
〇背骨の過敏さを緩めていく
〇首を育てるには

第七章 親御さんは腹を決め、五感を大切にしましょう
〇子育て中の親御さん達へのメッセージ
〇部屋を片付ける
〇子どもと遊ぶのが苦手だと思う親御さんへ
〇ネットを見ても発達は起きません
〇発達刺激という考え方
〇五感で子どもを見る
〇特に幼児期は一つに絞って後押ししていく

第八章 自由に生きるための発達
〇発達の主体を妨げない存在でありたい
〇大人が育てたいところと子どもが育てたいところは、ほとんど一致しない

あとがき
こういう本を読んできました
巻末漫画

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